『ゴースト≠ノイズ(リダクション)』『滑らかな虹』でミステリに新風を吹き込んだ著者による初の短編集。帯に「求む挑戦者。」とあるものの、本格推理の色は薄く、独立して謎があるというよりは、物語そのものに謎が組み込まれている印象。長編の多い著者だけに、短編の読み味が気になったが、長編と遜色ないほどの密度の
...続きを読む濃さを感じた。
「枯葉に始まり」
ジャズサークルに所属する先輩から持ち込まれた謎と、その背景で三者三様の思惑が交錯する一本。それぞれの内心を交えながら語られる三人称は当初はややとっつきにくさを感じたものの、丁寧に紡がれる人物描写の巧みさに無意識のうちに飲み込まれてしまった。以前『滑らかな虹』の感想にも書いたが、十市社の人物描写にはキャラクターへの「断定」が一切ないのが凄い所で、それは本作でも変わりがない。これは昨今流行りの、分かりやすくキャッチーな人物造形が売りのキャラクター文芸とは一線を画す所である。リアリティのある人物造形、というのとも少し異なり、出てくるのは物語の登場人物ながらも、読み手との距離感は実在の人間に近いのかもしれない。それは小説を読み慣れたメタな視点を持ちがちな読者ほどフックとなって引っかかるポイントで、人によってはその不安定さに落ち着かない心境を抱くとも思う。しかしながら、そこが十市社作品の真骨頂でもあり、その「寄る辺なさ」に、物語における役割の安心感のない不安感を覚えつつも、ページを繰って推移を見守るしか道はないのだ。
暗号めいたテキストの解読はミステリらしさがあり、口語文ならではの引っかけも随所にありながら、その謎の解決は独立したものではなく、登場人物の思惑によって意外な輪郭を持った謎へと形成される。誰も彼もが腹に一物抱えながらも、明確についた嘘と仕方なくついた嘘、隠された本心に隠し切れなかった本音と、心理描写はグラデーションのように様変わりする。そして名前の付けない感情の正体に気づいた時には、物語が一気に色を取り戻す。これは○○の話なんだな、と一言でまとめられない所に味わいがあり、それは作中の人物と同じ思い出の共有に繋がるのだろう。
「薄月の夜に」
分かる人には一発で分かる、ミスチルの曲をモチーフにした作品で、最初その仕掛けに気づいた時には笑ってしまった。最初の短編に反して、こちらは逆に一人称をほとんど持ちいずに物語が進行しており、巧妙に隠されたアイデンティティは、語り手でありながらもその本質に気づくのは物語の最後になってからというのが面白い。ミステリで言うところの信頼できない語り手、というのともまた少し違うため、読後の感想としては「騙された」ではなく「気づかされた」なのだ。話の筋立てそのものは最初の短編と比較して驚くほどシンプルで、一言で説明のつく、なんてことのない浮気の話である。しかしながら、前述の「キャラクターの断定がない」のがポイントであり、読み手の第一印象を逆手に取ったわけでもなく、主人公の不貞もそれが全てというわけでもない。つまるところそれが人間というもので、よくある話だがどこにもない話という、奇妙な読後感に繋がっていくのだ。
「三和音」
「枯葉に始まる」の続編でありながら完結編となる一本である。母となった中熊さんの心境の変化の筆致が上手く、母という役割が先に立つわけでなく、変わってしまった中身の方を先に描けるのはこの著者ぐらいだろう。前回で残された謎と、奇妙な三角関係の決着を描く物語なのだが、珍しく三人の関係性に断定的な言葉が出てきたのはやはり決着を意識したからだろうか。面白いのは、最終的に中熊さんがポリアモリーな関係にNOを突きつけたことで、そこに至る過程も子供を持ったからだということを踏まえると納得しかなく、物語における救済がないのもリアルである。しかしながらそれが残酷な現実や保守的な社会という結末にもならないのがこの物語の真骨頂で、三角関係を通して思い出への決別であったり、しっかりと答えを出すことで、浮いたままだった紫子の恋心に失恋という形でケリをつけたのが素晴らしかった。しかしながら、愛は共有できずとも、恐らく三人の腐れ縁は続いていきそうな予感があるし、三角関係が無理でも、恋人と友人として付き合い続けるのは今後の展開次第では可能である。それはさながら地球と月のような付かず離れずの関係であり、月が地球に衝突する必要性はないのである。中熊の迂遠な策略の成就が、謎と秘めた恋心の発覚で一転して窮地に陥る様は面白く、それでいながらしっかりと幕引きとなったのも見事である。この短編集、個人的には「枯葉に始まる」と「三和音」の二作が非常に好みであり、連作短編で読んでみたいと思ってしまった。
「亜シンメトリー」
表題作でありながら、個人的には一番難解な短編で、掴み所に苦労した物語でもある。作中で仕掛けられたシンメトリーの漢字ゲームは面白く、それに合わせて語られる昔の初恋の物語も、昔語りの雰囲気が朝のバス停という空気感に非常にマッチしており、日常でありながら非現実的な空気の醸成に一役買っていると言えるだろう。しかしながら、僕自身の読解力の限界を突きつけられたのもこの作品で、物語の外殻をなぞる語り口に終始翻弄されて、切り込んだ語りが少なかったせいか、いまいち全体像を掴み取れなかったという悔いが残ってしまった。クライマックスで出てきた芥という老人がかつての初恋相手なのだろうか?蓮の話は心境を表していたのか?巨椋は鏡写しにすると巨は亜になるが関係はあるのか?と色々と考えたが分からず仕舞いで、自分の読解力の浅さに辟易としてしまう。しかしながら、帯の文句もあって挑戦心が沸沸と湧いたのも事実で、これから先、繰り返し読むであろう「宿題」で、そういう意味では一番贅沢かつ末長く楽しめる短編であると言えるだろう。現時点ではこういう感想で非常に心苦しく申し訳ないのだが、いずれまた機会を見つけてリベンジしたい。その時はこの続きに感想を書くと思う。