田中圭一× 『孤独のグルメ』久住昌之先生インタビュー
手塚治虫タッチのパロディー漫画『神罰』がヒット。著名作家の絵柄をまねたシモネタギャグを得意とする。また、デビュー当時からサラリーマンを兼業する「二足のわらじマンガ家」としても有名。現在は株式会社BookLiveに勤務。
インタビューインデックス
- 原作者も作画者も全く理解できなかった『孤独のグルメ』
- TVドラマ「孤独のグルメ」、松重豊さんが主役に決まった理由
- TVドラマ「孤独のグルメ」、松重豊さんが主役に決まった理由
- 思わず模写したくなる五郎の表情、その一コマ
- 「美味しかった思い出」よりも盛り上がる「不味かった思い出」!?
原作者も作画者も全く理解できなかった『孤独のグルメ』
――まずは、大ヒットした『孤独のグルメ』について聞かせてください。作画を谷口ジローさん (※1)にお願いしようと考えた経緯は何でしょうか?
連載は『月刊PANJA』 (※2)で1994年に始まったんですけど、当時の編集者が出した企画だったんですよ。だから谷口ジローさんは編集者のご指名です。
――なんと、企画ごと編集者によるものだったんですか。
そうです。彼らは(合作ペンネームの)泉昌之のマンガをすごく面白がってくれていて、でもそれをもうひとつ発展させたようなマンガ、と言っていたような気がします。たしかに孤独にひとりで食べるおかしいマンガは、泉さんと描いてきたけど、はたして谷口さんに描いてもらっていいのか、と思いましたね。谷口さんも「なんで泉さんじゃなくて、僕が?」とおっしゃっていました。編集者とずいぶん何度も打ち合わせを重ねて始めましたが、正直、第1 話が上がってきた時は、僕自身まだ面白さが見えていなかったです。絵には驚きましたが。
――じゃあ、3話目までは作り手側も試行錯誤しながら描いていたんですね。
「僕は3話目で見えてきた」と谷口さんに言ったら、谷口さんは「久住さん、3話で理解できたの?俺なんて5話まで分かんなかったよ。俺が描く意味が」って(一同爆笑)。
――連載がスタートして、反響はどうだったんですか?
まったく無かった(笑)。そもそも『月刊PANJA』って雑誌を、誰が読んでいるのか分からなかったし。でもね、嬉しかったのは、谷口さんがまったく手を抜かず淡々と世界を構築していったこと。それで井之頭五郎(主人公)の世界が見えてきた。
――すごい密度ですよね。
今だから言えるけど、第1話の山谷の定食屋のお客さん達は、やっぱり少し怖くて汚い感じだったんです。谷口さんの絵だと、きれいでいい人すぎるなぁと(笑)。第2話で地元の吉祥寺を出して、そしたらオバちゃんがグッとリアルで。そして、第3話の「豆かん」が、これまたすごい。ペンで描いたモノクロの絵で、場をこんなにもたせることができる谷口さんの画力に、ただただ圧倒されました。他の人ではとてももたないでしょう。ほら、この絵なんて、モノクロなのにお茶が緑に見えるでしょ。
――ほんと、同じ漫画家として言葉も出ないですよ。
谷口さんが描いたこの表情とあわせて「このマンガ、面白いぞ」と思いました。
――毎回の料理というかテーマは、編集者さんや谷口さんとの打ち合わせで決めるのですか?
基本的に僕が決めてます。毎回のテーマはすぐに決まるんですけど、連載開始前の細かな打ち合わせに時間がかかりましたね。
――連載前に何を決めたんですか?
主人公である井之頭五郎の設定などですね。たまたま編集者の知り合いで個人輸入を生業としている人がいて、その人から送ってもらった仕事に関する資料を今でも持ってます。倉庫がないとダメだとか、ダンボールからホコリが出るのでマンションではなく庭のある家が望ましいとか。とにかく、井之頭五郎の設定を細かく決めました。
――「食べる」こととは別の、バックボーンの設定ですよね。こういうことを緻密に詰めていくのは、長期連載する場合には必要ですよね。
だいたい僕のマンガは、キャラクターのバックボーンなんておおざっぱにしか決めないんですけどね。どんなバックボーンを背負って食べているかなんて、読者にはどうでもいいことだろうと思っているから(笑)。でも海外では捉え方が少し違うようで、フランスの評論家から「主人公のバックボーンがミステリアスである点が面白い」と解説されました。
――この作品のポイントはそこじゃないでしょう(笑)!
ちなみに、久住さんは別のインタビューで「食事するシーンは恋愛マンガで言う濡れ場だ」みたいなことをおっしゃってましたけど、谷口さんには、その"濡れ場"を大切にしてほしい、みたいなお願いはされたのでしょうか?
『孤独のグルメ』は、特に「食べている時の表情」がポイントだと思いますから。
谷口さんはベテランなので、そういうのは言わなくても「食べるシーンが見せ場だろう」というのを分かってくれていました。第一、そこを取ったら何もないマンガだしね(笑)。
――じつは僕も、今年の春からグルメマンガ (※3)を描き始めたんです。そこで、絵に描いた料理の味を読者に伝えるにはどうしたらいいんだろう?と悩んでいました。 そこで気がついたんですが、宮崎駿監督のアニメに出てくる料理って、どれも美味しそうじゃないですか。あれは料理の絵が美味しそうなんじゃなくて、食べている仕草や表情、それこそが観る人に美味しさを伝えるポイントだということに気がついたんです。 同じポイントを谷口さんも当然ながら分かっていたということですね。
『孤独のグルメ』は翻訳されて海外でも読まれているんですけれど、僕は「外国の人に高崎の焼まんじゅうの味なんか分かるのかよ」って思っていたんです。今思うとすごい偏見。10年ほど前にイタリア版の熱心な読者のイタリア人に、東京で会ったんです。そしたら「焼まんじゅうの味は分からない。でも美味しそうだからすごく食べてみたくなる」と言われて、なるほど!と。僕も小学生の時、白黒TVの西部劇でガンマンが場末の飲み屋で食べていたものが美味しそうだったんです。でも一緒に観ていた親に「あれ何食べてるの?」と聞いても、親も分からなかった。大人になってから、あれはチリコンカーン (※4)みたいなものだなって分かった。つまり、それが何か分からなくとも、人は食べてみたくなるんですね。人間誰しも腹が減るわけで、言葉とは関係なく絵で「美味しい」という感覚が伝わるんです。だから『孤独のグルメ』では、美味しそうに食べるシーンをきちっと見せることが大切だと思っています。
TVドラマ「孤独のグルメ」、松重豊さんが主役に決まった理由
―― TVドラマ「孤独のグルメ」について、主役を松重豊さん (※5)に決めたことに、久住さんは関わられたのでしょうか?
僕が選んだわけではないです。松重さんと、もう1人対立候補がいたはずだけど、誰だったか今となっては覚えていないですね。確か、その1人は原作マンガと顔が似ているというのが選ばれた理由だったと記憶しています。で、結局、ドラマの関係者から「松重さんに決まったよ」と聞かされて、「う〜〜〜〜ん、いいんじゃない!!」と答えました。その直後に、僕のバンドメンバーに松重さんの写真を見せたら、みんな「え、う〜〜〜ん、いいんじゃない!!」って。みんな最初にタメがあったのち、力強く肯定する(笑)。だから、「これはいけるな」と思いました。 僕の第一印象として、松重さんは「ちょっと年齢が高いし、原作より強面だな」と思ったんです。他のドラマや映画でそういった役が多いので。けれど、ドラマのプロデューサーと飲んだ時に「でも松重さん、ロケ弁を実に美味そうに食うんですよ」と言ってて。そこか!決まった理由は!と(一同爆笑)。
――それ、すごく重要なポイントですよね(笑)。
蕎麦とかズルズルっと啜ったり、茶碗を口に持ってきて箸でかき込んで「吸い食い」しちゃうのって、世界でも日本人だけだし、ともすれば下品に見えるじゃないですか。ところが松重さんは不思議と下品にならないんですよね。それから、ミュージシャンの甲本ヒロトさん (※6)と松重さんは、食えない時代に下北沢の「珉亭」という中華料理店でバイトしていたそうなんですよ。で、ドラマを観た甲本さんが松重さんに「おまえ、珉亭のまかないを食ってた頃と全く同じ食い方だな!」って、言ってたらしいです。生まれつき食べ物を美味しそうに食べる人だったんじゃないかと思いますね。
――ドラマも、もう第4シーズン。なのに原作本は、まだ1巻しか出ていませんよね。20巻くらいあれば売上も20倍になるのに。出版社さんから「もっと描いて!」と言われませんか?
月刊誌の連載であればやらなきゃならないんでしょうけれど、連載していた雑誌はなくなっているし、『週刊SPA!』での不定期連載だと、どうしても『食の軍師』 (※7)など、月刊や週刊の連載の締切に押しやられてしまって…(苦笑)。でも、ようやく2巻が出せそうな状況です。『孤独のグルメ』は94年に連載開始して、もう20年近く売れ続けている作品なんですよね。最初に単行本になった時は二刷ぐらいで絶版になったんですが、文庫版になってからハンで押したように1年に2回増刷されていました。2008年に新装版を出してもらえたんですが、文庫版もまだ淡々と増刷され続けているんです。ありがたいことです。
田中圭一の人生を変えた『かっこいいスキヤキ』
――ところで、実は僕が漫画家を目指すきっかけになった作品が『かっこいいスキヤキ』(原作・久住昌之、作画・泉晴紀) (※8)だったんです。だから、久住さんには本当に会いたかった。 大学生の時にあの作品に出会って、ものすごい衝撃を受けました。劇画タッチのギャグマンガというのは、それより10年以上前に赤塚不二夫さんが実験的にやっていましたけど、作風として完成させたのはこれが初めてですよね。 これに影響されて僕も劇画タッチ4コママンガ『ドクター秩父山』 (※9)でデビューできました。ありがとうございます!
それはどうも(笑)。実は『かっこいいスキヤキ』に収録されている「夜行」 (※10)は、某出版社に持って行ったらクソミソに言われて。僕の知り合いの若い編集者に見せたら笑ってくれたんだけど、「載せる雑誌がないね」と言われて。
――あの大傑作が?…新しすぎたんでしょうか?時代の先を行きすぎたというか。
それを軽く「面白いじゃない」と言ってくれたのが、『ガロ』編集長の長井さん (※11)でした。
――長井さん、やはり見る目は確かな人ですよね。しりあがり寿さん (※12)が『かっこいいスキヤキ』を読んだ時は、思わず「やられた!」と叫んだそうです。 自分もやろうと思っていたことを先にやられてしまった!という思いだったみたいですよ。
しりあがりさんも最初は劇画のタッチでギャグを描く人でしたからね。
――あの時代(80年代初頭)は、島本和彦さん (※13)も出てきて、マジメな絵柄でギャグな内容のマンガが一気に溢れた時代でしたよね。 なので、僕もあの時代に『かっこいいスキヤキ』を読んでいなかったらここにはいませんでした。
――そもそも、久住さんが漫画家を目指したきっかけ、影響された作品は何でしょうか?
マンガから影響を受けたことはないですね。僕はマンガ原作だけではなく、デザインやバンド活動 (※14)もやってますけど、創作すべてのきっかけになったのが、 1972年のあがた森魚さん (※15)のアルバム「乙女の儚夢 (ロマン)」 (※16)です。
このアルバム、発売時には歌詞カードが入ってなくて、実は作るのが間に合わなかったらしいんだけど、レコードジャケットの端に紙が入っていて「歌詞カードは完成次第送るので、ここにハガキを出してくれたら歌詞カードを送ります」みたいなことが書いてあったの。で、ハガキを出したら忘れた頃にこれが送られてきたんです。
もはや歌詞カードというより、文章・マンガ・イラストがたくさん詰まった豪華な大判の冊子ですね。こんな歌詞カードは、今まで見たことも聞いたこともなかったんですね。
――ほぉ~、すごいですね!映画のパンフレットみたいな豪華本ですね。
CDの時代と違って、レコードは針を落としてステレオに対峙して清聴する、みたいな感じでしたよね。曲が流れている間は、ジャケットを見て歌詞カードを読んで、音楽を厳粛な気持ちで100%その世界に入り込んで聴いていました。
――だからこそ、この歌詞カードは大きな意味を持つんですね。それにしても、1972年当時にこういったレトロなコンセプトは新鮮だったのでは?
この頃は、まだレトロって言葉も世の中に全然浸透していなかったですからね。レトロは80年代からの言葉です。だからとにかく、ただただ、よくぞここまで昔っぽく凝りまくったなあと、唖然としたというのが正直なところで、感動していました。一番の肝は「音楽と文章とマンガと写真とイラストとデザインは、全部一体となり得るんだ」というところです。泉昌之の初期のマンガには図やグラフが出てきますが、そういうのは、このアルバムあたりから得た、自由さと、面白がり方だと思う。
――なるほど、これが久住さんの原点ですか。
それともう一つ、小学校時代に母親に与えられた平凡社の『絵本百科』です。
あいうえお順に森羅万象、様々なものがページごとに図解されていて、子供心にワクワクしながら見ていたんですが、取り上げる対象がバラバラでじつにアナーキー。「あ」でいきなり「アイヌ」、次が「あかり」「あそび」「アーチ」「アリ」……と、全く脈絡がなさすぎ(一同爆笑)。こういう、ぶっとんだセンス、概念にとらわれない自由さが大好きだったんです。それから、バージニア・リー・バートン (※17)が書いた絵本『名馬キャリコ』(岩波書店)も好きでした。 その翻訳者が瀬田貞二さん (※18)という方なのですが、この人は僕の大好きな『指輪物語』 (※19)の訳も手がけていることが後で分かった。で、その後、この『絵本百科』について調べていたら、編集のトップがなんと瀬田貞二さんだったんです。
――へぇ~!久住さんの心に引っかかったものが、全て瀬田さんの手によるものだったんですね。
思わず模写したくなる五郎の表情、その一コマ
――さて、では本題の「今回の一コマ」を教えていただきましょう。今回、事前に教えていただいた久住さんの「一コマ」作品は『孤独のグルメ』でした。本当は作画の谷口ジローさんにも同席いただき、お2人に一コマずつ選んでいただくのが本インタビューのルールなのですが、谷口さんが現在多数の〆切を抱えて超多忙とのことで、今回は久住さんに「これぞ」というコマを挙げていただきます!