プレクサス作品一覧
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-『ぼくの写真も…全てはニセフォール・ニエプスの一枚の「実験室からの眺め」から始まっている』森山大道(『記録28号』より抜粋) 『走行し通り過ぎた台湾のさまざまな都市や町や村、そして擦過した沿道の人々の情景や光景は、写すぼくにあれこれの記憶を蘇らせ、さらに数多くの新しい記憶を植え付けてくれた。』(『記録28号』より著者コメント) 2015年6月に刊行された森山大道の私家版写真誌「記録28号」を電子書籍化。 2014年初夏、台湾の高雄を起点として、台南・嘉義・台中・台北・基隆の都市間を結ぶ400キロ余りのルート上を車で走行し、撮影した幾多のカットから構成される192ページにも及ぶ記録誌過去最大の大作。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立し、世界的にも高い評価を得る。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)など。
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-「池袋愛すべし、池袋あなどり難し、というのがぼくの只今の感想である。」(「記録 第26号」より 著者コメント) かつては新宿の街一辺倒だった森山大道が、散歩の途中でたまたまちょっと気に入った一枚の街角写真が写ってしまったことで火が点き、10年住み続けている西池袋を撮り始めた。 同じ巨大なターミナルステーションでも新宿と池袋とでは街の匂いが異なる。そこにいる人々によって生まれる熱気。人々から伝わるインパクト。1年余りかけて映し出した、森山大道の池袋の街角がここにある。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日、大阪府生まれ。岩宮武二スタジオを経て細江英公の助手となり、1964年より独立。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立するなど、既存の写真表現をラディカルに挑発し続け、世界的にも高い評価を得る。「量のない質はない」というポリシーのもと、現在でも膨大な数のストリートスナップを撮り続けている。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『カラー』『モノクロ』(月曜社)、『実験室からの眺め』(河出書房新社)など。
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-写真家 須田一政の原点『Early Works 1970 - 1975』 “とにかく写真だけを撮っていたいという気持ちだけでここまで来たのだ。” 「カメラ毎日」の山岸章二氏主催の「ALBUM」に掲載された『天城峠』をはじめ、須田一政の代表作『風姿花伝』と同時期に写された『残菊ブルース』『蝉しぐれ』など、1970年から1975年にかけての初期作品集。2013年にAkio Nagasawa Publishingから刊行されるにあたり、改めてネガからプリントを行った作品を収録。 須田一政 1940年東京都生まれ。62年に東京綜合写真専門学校を卒業。67年より寺山修司が主宰する演劇実験室「天井桟敷」の専属カメラマンとなる。71年よりフリーランスの写真家として活動を開始。76年、「風姿花伝」にて日本写真協会新人賞を受賞し、一躍注目を浴びる。近年の作品集に『私家版・無名の男女』、『Childhood Days』など。
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-京都の日本刺繍作家・森康次の作品集「かぜそよぐ」を電子書籍化。 60年の節目を迎え、これまで製作してきた代表作をまとめた作品集。刺繍業を営む家に生まれ、日本刺繍と共に歩んできた60年。 今までの代表作、訪問着、袋帯などに加え、平面作品を収録した、日本刺繍の可能性を追求する1作。協力: 森康次 著者:森康次 写真:石川奈都子 デザイン:飯塚文子 編集:田中敦子 電子書籍化:プレクサス 森康次 昭和二十一年(一九四六)一月五日、京都市中京区に生まれる。「ぬい屋」と呼ばれる日本刺繍業の家に生まれ、昭和三十六年(一九六一) 十五歳 で家業に従事。二十歳の時、和装デザイナー松尾馨氏にきものデザインを、二十六歳の時、日展画家の桑野むつこ氏に写生と水彩画を習う。 二十九歳の時、京都市伝統工芸技術コンクールに出品。その後、京都市展、京都府工美展、日本伝統工芸近畿展、日本伝統工芸染織展、日本伝統工芸展、シルク博物館の染織作品展、京都工芸ビエンナーレ、国際テキスタイルコンペティションなどの公募展に出品。入選、入賞多数。昭和六十年(一九八五)第三十二回日本伝統工芸展に初入選。 準会員となる。平成元年(一九八九)日本工芸会正会員の認定を受ける。公益社団法人 日本工芸会正会員。日本刺繍アトリエ森繍 (もりぬい)主宰。
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-昨年9月、ドイツのケルン、ベルギーのアントワープ、ノルウェーのオスロと、北ヨーロッパの三つの都市を駆け足で回った。今回の「記録」は、その折の通りすがりに写したものばかりである。アントワープの海岸に廃れ置かれた旧式の汽船の写真をどうしても印刷にしてみたくて、ならばいっそ、全てそのときの旅行中にシャッターを押したものだけで一冊にしてみようと思ったわけである。果たして好きな船が「記録」誌上で好きなイメージとして甦るものかどうか…?(「記録 第9号」より 著者コメント) 2008年4月に刊行された森山大道の私家版写真誌「記録 第9号」を電子書籍化。廃れ置かれた異国の船。なまめかしく誘うパーティーのフライヤー。過去と現在が入り混じる街の息遣い。ケルン、アントワープ、オスロの街を駆け抜けた、異邦人・大道の視線。そしてそこで見つけた光。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日、大阪府生まれ。岩宮武二スタジオを経て細江英公の助手となり、1964年より独立。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立するなど、既存の写真表現をラディカルに挑発し続け、世界的にも高い評価を得る。「量のない質はない」というポリシーのもと、現在でも膨大な数のストリートスナップを撮り続けている。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『カラー』『モノクロ』(月曜社)、『実験室からの眺め』(河出書房新社)など。
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-東京とパリが織りなす“二都物語” フランスの “Foundation Cartier pour l'art contemporain” にて開催された「DAIDO TOKYO」展にさいして訪れたパリとその前後で撮影した東京のスナップで構成された一冊。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立し、世界的にも高い評価を得る。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)など。
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-『かつて観た懐かしきマラケシュであり、じつに光の王国そのものであった。』森山大道(「記録30号」より抜粋) 差し込む光とそこに現れる影が織りなす濃淡の世界。映し出される人々や路地と結びつく、自身の記憶や人間の記録。 カメラを片手に、マラケシュの旧市街や市場からアトラス山脈の山間まで足を伸ばし写し廻った。2015年11月に開催された自身の個展で訪れた、26年ぶりのモロッコ、マラケシュで撮影された作品を収録。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立し、世界的にも高い評価を得る。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)など。
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-アレ・ブレ・ボケを感じさせる暴力的な表現に加え、どこか穏やかな印象を受ける今作。 森山大道作品に度々現れる、バイク、背中、路地裏、マネキンなどのモチーフが、従来の記録とは異なる独特な雰囲気を醸し出す。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立し、世界的にも高い評価を得る。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『犬と網タイツ』『Osaka』『絶対平面都市』(月曜社)など。 In addition to Daido Moriyama’s distinctive expression of violently “Rough"“Blurry””Bokeh” style, this issue presents the calmness all over the pages. Motorcycle, Shoulders, Backstreets, Mannequin etc….those typical motifs which appears in Daido’s past works shows a different kind of Visage and atmosphere on this issue. Daido Moriyama / Photographer Born October 10th, 1938. His style of grainy, high-contrast images that came to be referred to as are, “bure, boke” (grainy, blurry, out-of-focus) made an impact on the realm of photography worldwide. Latest works are “NAGISA” ”LABYRINTH”(Akio Nagasawa Gallery), “Dog and Mesh Tights” “ OSAKA” “Zettai Heimen Toshi”(Getsuyo-sha) etc
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-撮影期間、わずか1日。 森山大道の、2016年10月29日、土曜日。 記録26号とは異なる『池袋』があり、その日、その場所へと切り込んでいく、ストリート・スナップの真骨頂。 池袋西口公園、北口まえの裏路地、地下道を抜けた東口一帯の横町。 嫌いなハロウィンの真只中のサンシャイン通り、南口の人影のうすい裏路地。 1日で『記録』を作るという勢いに圧倒される、エキサイティングな1冊。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立し、世界的にも高い評価を得る。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)など。
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-2016年夏、神戸で初の写真展となる兵庫県立美術館森山大道写真展「仮想都市~増殖する断片」に合わせ刊行された。 森山大道が半世紀も前から連日のように通った神戸の街。 当時の記憶の街路を辿りながら、今の神戸のリアリティとアクチュアリティにレンズを向けた幾多のカットから構成される一冊。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立し、世界的にも高い評価を得る。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『犬と網タイツ』『Osaka』『絶対平面都市』(月曜社)など。
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-「ぼくが撮る写真の大多数には、そのとき写す現場で意識するしないにかかわらず、一瞬タイムトンネルを通してたった現在(いま)と交感し合っていると思えるのだ。」(「記録 第38号」より 著者コメント) 過去と未来の接点、つながりである今日”現在”(いま)。写すとは、そのタイムトンネルの1点を、偶然を、ひたすら記憶する作業でもある。2018年7月に発行された私家版写真集「記録」38号を電子化。 協力:Akio Nagasawa Publishing,森山大道写真財団 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日、大阪府生まれ。岩宮武二スタジオを経て細江英公の助手となり、1964年より独立。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立するなど、既存の写真表現をラディカルに挑発し続け、世界的にも高い評価を得る。「量のない質はない」というポリシーのもと、現在でも膨大な数のストリートスナップを撮り続けている。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『カラー』『モノクロ』(月曜社)、『実験室からの眺め』(河出書房新社)など。
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-記録34号は森山大道がドライブで訪れた秩父(埼玉県)市街とその近郊を写したもので構成されている。 ほゞ毎日、東京都内あちこちをうろつき回って街頭スナップを写している。 そんな日々のなか時折ふと、まるで写真学校の一年生がもつようなとまどいを覚えてしまう時がある。つまり、いったいボクはカメラで何を見ようとしているのだろう?いま写したばかりの写真って何なのだろう?などなど、あまりにも素朴かつ初歩的な??にとらわれてしまったりするのだ。(『記録34号』より抜粋) 50余年もの間、写真に関するさまざまな応答を気持ちの中で繰り返しながらも精力的にシャッターを押し続ける森山大道の今が見れる1冊となっている。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立し、世界的にも高い評価を得る。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『犬と網タイツ』『Osaka』『絶対平面都市』(月曜社)など。
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-森山大道 記録シリーズに度々現れる新宿にある「あかるい花園一番街」。 2017年に公開された寺山修司原作の映画「あゝ荒野」のスチールが撮り下ろされた場所だ。 新宿の混沌とした裏通りから、渋谷、池袋など、都心を中心に街の喧騒と停滞感が写り込む。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立し、世界的にも高い評価を得る。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『犬と網タイツ』『Osaka』『絶対平面都市』(月曜社)など。 Shinjuku Golden Gai district, which appears in Daido Moriyama’s Record series quite often. This place was chosen to represent the film “Oh Wilderness”(あゝ荒野)based on Shuji Terayama’s novel, which turned out to be Daido’s new book under the same title. This issue embeds the chaotic backstreets of Shinjuku through Shibuya, and Ikebukuro…the clamor and stagnation of urban tokyo life. Daido Moriyama / Photographer Born October 10th, 1938. His style of grainy, high-contrast images that came to be referred to as are, “bure, boke” (grainy, blurry, out-of-focus) made an impact on the realm of photography worldwide. Latest works are “NAGISA” ”LABYRINTH”(Akio Nagasawa Gallery), “Dog and Mesh Tights” “ OSAKA” “Zettai Heimen Toshi”(Getsuyo-sha) etc
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-カメラマンとして歩いてきた、50年近い時間をふりかえってみると、そこには、フィルムという名の長い一本の道が、遠く過去の方へとつづいている。その道は、峠が多く嶮しく、ときにねじれたり、よじれたり、とぎれたりと、平坦な道ではなかった。そしてその道のいちばん向こうのつき当たりには、ぼくが写真という恋人とめぐり合うことになった、大阪というしたたかな街の景色が映る。思えばその恋人は、愛しくもあり、時にてこずった恋人でもあった。(「記録 第11号」より 著者コメント) 2009年1月に刊行された森山大道の私家版写真誌「記録 第11号」を電子書籍化。森山大道が写真と巡り合った街、大阪を写した作品集。記憶と現在が交錯する、どぎつくて色っぽい夏の日の記録。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日、大阪府生まれ。岩宮武二スタジオを経て細江英公の助手となり、1964年より独立。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立するなど、既存の写真表現をラディカルに挑発し続け、世界的にも高い評価を得る。「量のない質はない」というポリシーのもと、現在でも膨大な数のストリートスナップを撮り続けている。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『カラー』『モノクロ』(月曜社)、『実験室からの眺め』(河出書房新社)など。
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-“街は過激にアートする”、ぼくの日頃の口癖であるが、古来アートの街として現在(いま)に至るフィレンツェでは、街中どこもかしこも、つい笑ってしまうほどアートだった。そんな街を、カメラでアートするほど野暮なはなしはないわけで、となればもう後は、ぼくのルーティーンワークであるスナップの出番だった。道行くオネエサンたちは、すこぶるセクシーだった。(「記録 第19号」より 著者コメント) 2011年4月に刊行された森山大道の私家版写真誌「記録 第19号」を電子書籍化。イタリア・フィレンツェの雑踏もまた、喧騒といかがわしさに満ち溢れていた。肌をひりひりと刺激するエキサイティングなモノクローム集。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日、大阪府生まれ。岩宮武二スタジオを経て細江英公の助手となり、1964年より独立。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立するなど、既存の写真表現をラディカルに挑発し続け、世界的にも高い評価を得る。「量のない質はない」というポリシーのもと、現在でも膨大な数のストリートスナップを撮り続けている。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『カラー』『モノクロ』(月曜社)、『実験室からの眺め』(河出書房新社)など。
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-ウイリアム・クラインは、今もパリの街路のスナイパーであり、人々の“心の内なる傷痕”を、ワイドレンズで掠め撮りつづけている。ぼくが受け持つ写真のテリトリーなど、タカが知れたものだが、にもかかわらずぼくは東京の陋巷を撮りつづけるつもりだ。 ぼくらの日常とは、既視感と未視感がスパークする、ぬきさしならない場所なのだ。折角だから、記録しておかなくっちゃあね。(「記録 第10号」より 著者コメント) 日本、ヨーロッパ、南米などの街頭で撮影され、2008年10月に刊行された森山大道の私家版写真誌「記録 第10号」を電子書籍化。見慣れたはずの風景。まだ見ぬ風景。怯える視線が交差する、時の結晶。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日、大阪府生まれ。岩宮武二スタジオを経て細江英公の助手となり、1964年より独立。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立するなど、既存の写真表現をラディカルに挑発し続け、世界的にも高い評価を得る。「量のない質はない」というポリシーのもと、現在でも膨大な数のストリートスナップを撮り続けている。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『カラー』『モノクロ』(月曜社)、『実験室からの眺め』(河出書房新社)など。
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-いつだって旅行人にすぎないぼくとしては、むろんそのかぎりにおいてではあるが、マンハッタンは、魅せられ惹かれときめくサムシングに充ちている。ニューヨークには、そこはかとなくメスカリンの匂いが漂い、すべてのストリートに、アンディ・ウォーホルの匂いがたちこめている。(「記録 第15号」より 著者コメント) 2010年4月に刊行された森山大道の私家版写真誌「記録 第15号」を電子書籍化。すれちがう路上の人々、儚く灯る電光、ビルディングの巨大な壁面広告。真冬のニューヨークは、限りなく複製されるイメージで氾濫していた。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日、大阪府生まれ。岩宮武二スタジオを経て細江英公の助手となり、1964年より独立。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立するなど、既存の写真表現をラディカルに挑発し続け、世界的にも高い評価を得る。「量のない質はない」というポリシーのもと、現在でも膨大な数のストリートスナップを撮り続けている。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『カラー』『モノクロ』(月曜社)、『実験室からの眺め』(河出書房新社)など。
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-モノクローム写真について日頃よく訊かれる。モノクローム写真をどう思いますか?なぜあなたはモノクローム写真を多く撮っているのですか?モノクロームの魅力とはなんですか?などの質問だ。“好きだから”とか“イロっぽい”からとか答えるのがいちばんいいわけだが、そうもいかないときはぼくなりの解釈を多少添えて、モノクロームの世界は「夢性」を帯びているから、「象徴性と抽象性」を持っているから、などと言うのであるが、結局モノクローム写真の表わす世界そのものが、すでに「異界」の光景「異界」の風景以外の何ものでもないイメージとインパクトを放っているからだと思う。つまり、ぼくも、そしてモノクローム写真を眺める人々も、写された事象そのものを見るだけではなく、始めから転写された「非日常」を突きつけられて、一瞬、白と黒のグラデーションに鈍化された映像への想像力が働き、異界との遭遇、もうひとつの現実を経験するのだと思う。少なくとも、ぼくがモノクローム写真に惹かれる理由(わけ)はこのあたりに在る。 「写真はモノクロームだろうが!」とほざくのが、ぼくの捨てゼリフである。(「記録 第13号」より 著者コメント) 2009年12月に刊行された森山大道の私家版写真誌「記録 第13号」を電子書籍化。今回の作品集は全編をポラロイドによるモノクロームで構成。銀塩写真と変わらぬコントラストで炙り出される東京の辺境。異界との遭遇。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日、大阪府生まれ。岩宮武二スタジオを経て細江英公の助手となり、1964年より独立。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立するなど、既存の写真表現をラディカルに挑発し続け、世界的にも高い評価を得る。「量のない質はない」というポリシーのもと、現在でも膨大な数のストリートスナップを撮り続けている。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『カラー』『モノクロ』(月曜社)、『実験室からの眺め』(河出書房新社)など。
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-手中の、きわめてハンディなカメラに装着された、まるで猫の目ほどの透明なレンズ一個の光軸に拠って、ほんのささやかな指先のストロークに過ぎないにせよ、ぼくは世界を呼び込み、あるいは世界に呼び込まれ、写すという一点で、都市と人間の迷路を回遊しつづける。そして、巷間を目撃し、直感し、歩き捜し求めるという街頭スナップカメラマンの有り様は、ハード・ボイルド小説とつながる感じもある。路上で、しばしば意気ごんだり途方に暮れていたりするからだ。(「記録 第17号」より 著者コメント) 2010年9月に刊行された森山大道の私家版写真誌「記録 第17号」を電子書籍化。同年7月半ばに札幌市街と石狩河口の町で撮影されたデジタル&カラースナップ集。北国にやって来た束の間の夏を享受する、見知らぬ街角、見知らぬ人々。大道が目撃した色イロ。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日、大阪府生まれ。岩宮武二スタジオを経て細江英公の助手となり、1964年より独立。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立するなど、既存の写真表現をラディカルに挑発し続け、世界的にも高い評価を得る。「量のない質はない」というポリシーのもと、現在でも膨大な数のストリートスナップを撮り続けている。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『カラー』『モノクロ』(月曜社)、『実験室からの眺め』(河出書房新社)など。
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-いうまでもないが、写真は、すべからく現実のコピーであり、世界についてのフェイクである。リアリズムもアクチュアリティーも、全てこの内のことだ。アンリ・ベルグソンは、世界は既に全き写され尽くしている、といった意味のことを述べていて、カメラを持つ日頃の感覚としてぼくも同意である。カメラに記された∞(インフィニティ)とは、いうまでもなくメビュウスの環のことである。そう、世界は有史以前より、連綿と無数の人々の眼ざしによって、視=写され、果てしのないコピーを成してきたのだ。そのオリジナリティなき行為こそが唯一写真の強度なのだ。(「記録 第12号」より 著者コメント) 2009年8月に刊行された森山大道の私家版写真誌「記録 第12号」を電子書籍化。三沢、青森、東京。雪、雨、晴れ。蠅のように飛び回り、野良犬のようにうろつき回る。森山大道がコピーする、そこにある風景。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日、大阪府生まれ。岩宮武二スタジオを経て細江英公の助手となり、1964年より独立。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立するなど、既存の写真表現をラディカルに挑発し続け、世界的にも高い評価を得る。「量のない質はない」というポリシーのもと、現在でも膨大な数のストリートスナップを撮り続けている。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『カラー』『モノクロ』(月曜社)、『実験室からの眺め』(河出書房新社)など。
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-台北の裏町や路上の人々の体温が、きわめてぼく自身の体温に近かったので、新宿を写す折りとほとんど変わらないカメラ・ワークとフット・ワークのままに路上をウロつくことができた。(「記録 第18号」より 著者コメント) 台北の市街区「林森北路」で撮影された森山大道の私家版写真誌「記録 第18号」(2011年2月刊行)を電子書籍化。花売りの女、ざわめく裏路地、霞掛かった高層タワー、痩せっぽっちの猫。目に染みるほどの湿度と匂いをモノクロームに閉じ込めた、台北版森山ワールド。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日、大阪府生まれ。岩宮武二スタジオを経て細江英公の助手となり、1964年より独立。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立するなど、既存の写真表現をラディカルに挑発し続け、世界的にも高い評価を得る。「量のない質はない」というポリシーのもと、現在でも膨大な数のストリートスナップを撮り続けている。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『カラー』『モノクロ』(月曜社)、『実験室からの眺め』(河出書房新社)など。
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-「記録」が、デジタル・スナップによるオールカラーになる日がくるなんて、思ってもみなかった。しかも前号で“写真はモノクロだろうが!”とほざいた舌の根も乾かぬ内に。(「記録 第14号」より 著者コメント) 2010年3月に刊行された森山大道の私家版写真誌「記録 第14号」を電子書籍化。北海道・旭川付近で撮影。モノクロフィルムで写真に挑み続けてきた森山大道による、全編カラー&デジタル作品集。銀塩だろうがデジタルだろうが、写真は写真である。そして、森山大道は森山大道である。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日、大阪府生まれ。岩宮武二スタジオを経て細江英公の助手となり、1964年より独立。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立するなど、既存の写真表現をラディカルに挑発し続け、世界的にも高い評価を得る。「量のない質はない」というポリシーのもと、現在でも膨大な数のストリートスナップを撮り続けている。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『カラー』『モノクロ』(月曜社)、『実験室からの眺め』(河出書房新社)など。
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-巷間よく“路頭に迷う”などと多分にパセティックな言葉が使われているが、ぼくなど生まれてからずうっとこの方、路頭に迷いっぱなしの人生だ。カメラを持つまえの20年、カメラを手にしてからの50年、その間あーだこーだとさまざまなことがたとえあったにせよ、そのほとんどを路上で過ごし、いまだに路頭をうろついている。そしてカメラを手にしたらしたらで、こちらもあーだこーだと迷うばかりで、あっちもこっちも収拾がつかず、相変わらず自らの行方すらつかめない。(「記録 第16号」より 著者コメント) 2010年8月に刊行された森山大道の私家版写真誌「記録 第16号」を電子書籍化。“とにもかくにも撮る”ということに忠実に、北海道・小樽の街を2日間彷徨い歩いたデジタル&カラースナップ集。冷たい風に晒され続けた、薄曇りの路上の街と人。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日、大阪府生まれ。岩宮武二スタジオを経て細江英公の助手となり、1964年より独立。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立するなど、既存の写真表現をラディカルに挑発し続け、世界的にも高い評価を得る。「量のない質はない」というポリシーのもと、現在でも膨大な数のストリートスナップを撮り続けている。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『カラー』『モノクロ』(月曜社)、『実験室からの眺め』(河出書房新社)など。
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-雨が降ったら、雨が降ったと記せ、というサマセット・モームのフレーズが好きで、36年まえ、34才のぼくは「記録」誌を作った。きっと、そんな風に写真を考えたかったのだろう。 そして、いまふと立ち戻る、無名の光・街・時。(「記録 第1‐5号 完全復刻版」より 著者コメント) 1972年から1973年にかけて刊行された森山大道の私家版写真誌「記録 第1‐5号」を電子書籍化。焦燥感を抱えつつ、自らの“根拠地”を求めて表通りから裏通りを彷徨い歩いた森山大道の記録が今蘇る。ざらついた風景が奏でる、過去と現在と未来のスリリングな邂逅。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日、大阪府生まれ。岩宮武二スタジオを経て細江英公の助手となり、1964年より独立。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立するなど、既存の写真表現をラディカルに挑発し続け、世界的にも高い評価を得る。「量のない質はない」というポリシーのもと、現在でも膨大な数のストリートスナップを撮り続けている。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『カラー』『モノクロ』(月曜社)、『実験室からの眺め』(河出書房新社)など。
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-たった50年ほどの時の流れで、なんとかヒルズも、かんとかタワーも、何もかも全て老朽化して異様な醜態をさらし、都市の風景は想像以上に一変し、その風景の中で、見知らぬ人類が近未来の生を構成しているはずだ。すでにデジタルもアナクロもヘチマもなく、都市は悪無限的様相を呈しているように思える。とすれば、只今こそ写し残しておくべきだという、いつもの記録至上主義的楽天性はその日のぼくにはなかった。むしろ、だからそれがどうしたの?感の方が強く、苛立ちが先にたち、とにかくひたすら寝不足で、思っている以上に疲れ果てていた。(「記録 第7号」より 著者コメント) 2007年5月に刊行された森山大道の私家版写真誌「記録 第7号」を電子書籍化。記録せずにはいられない、ストリートの狩人が捕らえる都市の記憶。光と闇の饗宴。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日、大阪府生まれ。岩宮武二スタジオを経て細江英公の助手となり、1964年より独立。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立するなど、既存の写真表現をラディカルに挑発し続け、世界的にも高い評価を得る。「量のない質はない」というポリシーのもと、現在でも膨大な数のストリートスナップを撮り続けている。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『カラー』『モノクロ』(月曜社)、『実験室からの眺め』(河出書房新社)など。
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-なんと言ってもニューヨークでのぼくの一番のときめきは、巨大なビルボードのジャングルとでもいうべきか、夕刻のタイムズ・スクエアの、めくるめく光芒のド真ん中に身を包まれた一瞬であり、アドレナリンを感覚する、もっともセクシーな時間である。(「記録 第21号」より 著者コメント) 2012年4月に刊行された森山大道の私家版写真誌「記録 第21号」を電子書籍化。2011年秋に訪れたニューヨークでのデジタルカラー作品集。カラフルでセクシーなスナップで切り取られた秋のニューヨーク。光の引力に吸い込まれ、うっとりしながら歩む大道の視線。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日、大阪府生まれ。岩宮武二スタジオを経て細江英公の助手となり、1964年より独立。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立するなど、既存の写真表現をラディカルに挑発し続け、世界的にも高い評価を得る。「量のない質はない」というポリシーのもと、現在でも膨大な数のストリートスナップを撮り続けている。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『カラー』『モノクロ』(月曜社)、『実験室からの眺め』(河出書房新社)など。
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-ぼくの生を通して、中平卓馬は唯一無二の友であり、ライバルであった。 性格も体質もまるで異なってはいても、どこか確実に通底し合える一点があり、 その一点でお互いしたたかにつるみ合えたのだと思う。(「記録 第29号」より 著者コメント) 街角の人影や建物、ひっそりと存在している路地裏。 どこか物寂しい風景が、デジャブのように見るものの 記憶をするどく呼び覚ます。 東京のスナップで構成された一冊。 あとがきに公式に発表された唯一の中平卓馬氏への追悼文収録。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立し、世界的にも高い評価を得る。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)など。
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-冴えない男3人にも夏がきて、一丁前に、では夏の旅にでも出掛けようか、ということになった。 ひとりの男は「オレはワニに会いたい」といい、 ひとりの男は「ボクはけったいな所に行きたい」といい、 ひとりの男は「ワタシはスケベなものを見たい」という。 となれば、当然行く先は東伊豆の付け根しかないということになる。 で、ワニといえば熱川の<バナナ・ワニ園>だろうし、 けったいなところといえば伊東の<怪しい「少年・少女博物館」>だろうし、 スケベといえば<熱海秘宝館>以外にはない。 冴えない男3人は、なぜか真赤なマツダのアクセラに乗って東伊豆一泊の旅に出た。 楽しい、楽しい、夏のひとときであった。(「記録 第20号」より 著者コメント) 2011年9月に刊行された森山大道の私家版写真誌「記録 第20号」を電子書籍化。きらめく夜景、怪しいオブジェ、キッチュな秘宝館。ビビッドなデジタルカラーが誘うエキゾチックな旅路。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日、大阪府生まれ。岩宮武二スタジオを経て細江英公の助手となり、1964年より独立。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立するなど、既存の写真表現をラディカルに挑発し続け、世界的にも高い評価を得る。「量のない質はない」というポリシーのもと、現在でも膨大な数のストリートスナップを撮り続けている。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『カラー』『モノクロ』(月曜社)、『実験室からの眺め』(河出書房新社)など。
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-ぼくにとって沖縄とは、仮にさまざまな内訳があるにせよ、きわめて個人的に照射され内包される<光>のありようだといってもいい。 那覇の路地裏に当たる光。とあるビーチ全体を包む光、基地脇の大通りを照らす光。城址の丘にそそぐ光。と、ぼくが目のあたりにする沖縄の光は、どこか特有の質を伴って知覚されてくるのだ。(「記録 第25号」より 著者コメント) 沖縄県立博物館・美術館にて開催された森山大道「終わりなき旅 北/南」展(2014)の新作撮影のため、度々訪れた沖縄で撮影された作品にて構成。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日、大阪府生まれ。岩宮武二スタジオを経て細江英公の助手となり、1964年より独立。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立するなど、既存の写真表現をラディカルに挑発し続け、世界的にも高い評価を得る。「量のない質はない」というポリシーのもと、現在でも膨大な数のストリートスナップを撮り続けている。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『カラー』『モノクロ』(月曜社)、『実験室からの眺め』(河出書房新社)など。
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-ロンドン、テムズ河岸の美術館「テート・モダン」で、昨年10月開催された〈WILLIAM KLEIN+DAIDO MORIYAMA〉展は、ぼくの50余年に亘るカメラマン生活のなかでも、特別な展覧会であり、ラッキーな出来事であった。 なぜならば、まだ写真の世界の入口のあたりで、ウロウロ、キョロキョロしていた22才頃のぼくにとって、ウイリアム・クラインの写真集「NEW YORK」との出会いは、まさに決定的なモメントであり、その一冊にぶち込まれた、極めて暴力的かつ自在なカメラ・ワークの氾濫に、見るぼくは目まいに似た眩惑を覚え、生れて初めて、写真という名の映像の持つ、生理的な快感と衝撃を経験させられたからである。当時のぼくに、理や知などどうでもよく、ただひたすら写真集を手にして“カッコイイ!”とのけぞってばかりだった。(「記録 第23号」より 著者コメント) ロンドンでの滞在中に撮影されたエネルギッシュで衝動的なデジタルカラー集。赤と青で織りなす、森山大道によるユニオン・ジャック。路上の息吹が網膜と鼓膜を揺らす。2013年6月刊行の森山大道の私家版写真誌「記録 第23号」を電子書籍化。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日、大阪府生まれ。岩宮武二スタジオを経て細江英公の助手となり、1964年より独立。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立するなど、既存の写真表現をラディカルに挑発し続け、世界的にも高い評価を得る。「量のない質はない」というポリシーのもと、現在でも膨大な数のストリートスナップを撮り続けている。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『カラー』『モノクロ』(月曜社)、『実験室からの眺め』(河出書房新社)など。
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-『今号の写真はむしろ、“散歩者の視点”とでもいうべきかもしれない』森山大道「記録27号」より抜粋 「シャッターボタンを押せば写真は写せるが、写す者と写される者との間隙にひそむ意識上の距離感には、想像を超えてシビアでデリケートな課題が常に横たわっている」(『記録27号』より著者コメント) 『記録27号』は、2014年3月に香港にて撮影された、記録誌初のモノクロ・カラー混合号である。香港の街中を自由気ままに歩き回るなかで映し出される、象徴化されたモノクロの世界と世俗的なカラーの世界。そして帰国後テレビで目にした、反政府デモの市民で埋め尽くされる、かつて撮影した香港市街や大通り。自分と、写真と、世界と、写すということのスタンスの在りようやスナップショットの意味について、改めて思いを巡らせざるを得なかったと語る一冊。森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日、大阪府生まれ。岩宮武二スタジオを経て細江英公の助手となり、1964年より独立。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立するなど、既存の写真表現をラディカルに挑発し続け、世界的にも高い評価を得る。「量のない質はない」というポリシーのもと、現在でも膨大な数のストリートスナップを撮り続けている。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『カラー』『モノクロ』(月曜社)、『実験室からの眺め』(河出書房新社)など。
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-ロスアンゼルスは連日暑く晴れ渡り、光の風も人も街景もなにもかもが、“ロス”という以外にないロスが全開で、もう笑ってしまうほどのロスなのだった。(「記録 第22号」より 著者コメント) 2012年11月に刊行された森山大道の私家版写真誌「記録 第22号」を電子書籍化。ピーカン照りの空の下、強烈なコントラストに欲望は呼び起こされる。ロスアンゼルスの街角の、陽気でリズミカルなモノクローム作品集。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日、大阪府生まれ。岩宮武二スタジオを経て細江英公の助手となり、1964年より独立。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立するなど、既存の写真表現をラディカルに挑発し続け、世界的にも高い評価を得る。「量のない質はない」というポリシーのもと、現在でも膨大な数のストリートスナップを撮り続けている。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『カラー』『モノクロ』(月曜社)、『実験室からの眺め』(河出書房新社)など。
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5.0ところで「記録」今号は、おもに南フランスの町々でのスナップだ。アルル・アビニョン・マルセーユ、そしてパリ。7月の暑い旅だった。例によって、個展、トークイベント、サイン会、ワークショップなどのスケジュールの間でのスナップショットである。まばゆい地中海やうちつづくひまわり畑、そしてすこぶる魅力的な女流写真家サラ・ムーンとの初対面など、いくつもの記憶に残るプロバンスの夏であった。(「記録 第24号」より 著者コメント) この人は一体いくつなんだろう?過剰に荒く、過剰にざわめき、過剰に美しい。あらゆる過剰が詰め込まれた若さ溢れるエネルギッシュなスナップ集。かつて森山氏が発した「量のない質はない」という言葉をまさに地で行く、ボリューミーな南フランスの街角。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日、大阪府生まれ。岩宮武二スタジオを経て細江英公の助手となり、1964年より独立。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立するなど、既存の写真表現をラディカルに挑発し続け、世界的にも高い評価を得る。「量のない質はない」というポリシーのもと、現在でも膨大な数のストリートスナップを撮り続けている。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『カラー』『モノクロ』(月曜社)、『実験室からの眺め』(河出書房新社)など。
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-ぼくの東京暮らしもすでに47年余りとなるが、よく東京を識っているなどとは、ハシが転んでも言えたものではない。ずいぶんと、東京のあちこちを写し歩いたつもりではいても、実際は、レンコンの穴状に抜け落ちている街区がほとんどであることが、もうずうっと以前から気掛かりとなっていた。その気掛かりを、さてこれから始めてみるか、というわけである。例えば京成沿線の、立石とか青砥とか小岩とか、そのあたりから歩きはじめてみたい気がする。きっと向こう数年間は、そんなことがぼくの生きるすべになるはずだ。そしてまた、新宿に戻ろう。(「記録 第8号」より 著者コメント) 34年の時を経て復刊された『記録』シリーズの復刊第3号「記録 第8号」(2007年10月刊行)を電子書籍化。3年間こだわって通ったハワイ撮影を終え、本来のテリトリーである“東京”に森山大道が帰ってきた。彼が惹かれてやまない街の匂いが、ここにある。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日、大阪府生まれ。岩宮武二スタジオを経て細江英公の助手となり、1964年より独立。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立するなど、既存の写真表現をラディカルに挑発し続け、世界的にも高い評価を得る。「量のない質はない」というポリシーのもと、現在でも膨大な数のストリートスナップを撮り続けている。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『カラー』『モノクロ』(月曜社)、『実験室からの眺め』(河出書房新社)など。
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-ぼくの写真のイメージを使って、Tシャツを作ってくれたり、ポスターを作ってくれたり、腕時計を作ってくれたり、というかたちでおつき合いのある長澤章生さんと、新宿のカフェ・ユイットでコーヒーを飲んでいたとき、長澤さんが、ふと、「“記録”をまた出しませんか?」とぼくの意表をつくような話を持ち出してきた。全く思ってもいなかったことなのでぼくは瞬時にとまどい、「“記録”ってあの“記録”?」と訊くと、彼は「ええあの“記録”です」と涼しい顔で返した。ぼくは、しばらくの間「うーん、うーむ」唸るしかなかった。(「記録 第6号」より 著者コメント) 34年の時を経て、2006年に復刊された幻の森山大道の私家版写真誌「記録 第6号」を電子書籍化。砕け散ったガラス、陽だまりのビルディング、地下街の群集、雨に濡れたアスファルト。都市のざわめきと混沌が、重厚なモノクロームで写し出される。 森山大道(もりやま だいどう)/写真家。1938年10月10日、大阪府生まれ。岩宮武二スタジオを経て細江英公の助手となり、1964年より独立。ハイコントラストで粒子の粗い“アレ・ブレ・ボケ”と称される独自のスタイルを確立するなど、既存の写真表現をラディカルに挑発し続け、世界的にも高い評価を得る。「量のない質はない」というポリシーのもと、現在でも膨大な数のストリートスナップを撮り続けている。近年の写真集に『NAGISA』『LABYRINTH』(Akio Nagasawa Publishing)、『カラー』『モノクロ』(月曜社)、『実験室からの眺め』(河出書房新社)など。
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-Cesium -137Cs- 「見てはならぬものを見てしまった気がする」- 瀬戸正人 (『Cesium -137Cs-』あとがきより) 福島出身の写真家瀬戸正人が、2011年3月11日の東日本大震災、東電福島第一原発事故から1年後の福島をとらえた、新作『Cesium -137Cs-』を自身初の電子書籍化。 フランスの通信社の依頼で足を踏み入れた、東電福島第一原発事故の敷地内。そこで見た福島の海や、目に見えぬ恐怖。自然の中に潜む、人体の気配。目に見えない放射性物質や恐怖なるものを可視化しようと、山林や河川、田畑へ分け入り、福島の現在を収めた。 3.11以前と以後での東京と福島の行き来を綴ったエッセイを収録。 瀬戸正人/1953年タイ生まれ。東京写真専門学校(現・東京ビジュアルアーツ)卒業後、深瀬昌久のアシスタントを経て、81年フリーランスの写真家として独立。87年、新宿に山内道雄とギャラリーPLACE M開設。「Silent Mode」(95)、「部屋 Living Room, Tokyo」(96)で、第21回木村伊兵衛賞受賞。自伝エッセイ「トオイと正人」(99)で新潮学芸賞受賞。その他の作品集に「バンコク、ハノイ1982 -1987」(90)、「Picnic」(06)、台湾の街道筋に立ち並ぶ電飾を施したガラスの箱の中で、ビンロウという嗜好品を売る女たちを捉えた「binran」(08)で日本写真協会の年度賞を受賞。 作家活動にとどまらず、木村伊兵衛写真賞の審査員を務めるなど、写真界で幅広い活動を続けている。 現在『バルセア 消えゆく土地』と題した新シリーズを意欲的に発表。
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-1970年代から1980年代半ばに渡り撮影された、日本各地の子供たち。収録された作品は、登場する子供たちのどこかに、見る人自身の幼年時代を思い起こさせる。なかには現代ではお目にかかることはできないだろう、時代を背負った姿もあり、もう戻れない日々が詰め込まれている。初期から現在までの作品より、写真集未収録作品を多数含む、“全て”の大人が持っていた幼年時代をテーマとした、須田一政の写真集。 須田一政 1940年東京都生まれ。62年に東京綜合写真専門学校を卒業。67年より寺山修司が主宰する演劇実験室「天井桟敷」の専属カメラマンとなる。71年よりフリーランスの写真家として活動を開始。76年、「風姿花伝」にて日本写真協会新人賞を受賞し、一躍注目を浴びる。近年の作品集に『私家版・無名の男女』、『Early Works』、『Childhood Days』など。
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-「本作でのコンタクトシートの再構築に際して、否応なくこれまでに撮影したフィルム全てを見返すこととなった。」 フィルムを見返すことは、同時に自身の写真家としての道のりを振り返ること。森山自身が再構築した1枚のシートのなかには、60年代から2000年代までのネガが詰まっている。完成後、その過程を振り返り、本作を自身で「LABYRINTH(迷宮)」と命名した。 1つ1つのカットが連なっているからこそ、生まれる動きやリズム。視線や垣間見える思考。名作と知られる作品の前後のカットだけではなく、シャッターを押す行為そのものの本質に迫る。 『LABYRINTH』は森山大道自身が再構築したネガをもとに、コンタクトシートを作成しており、今回の電子化に伴い、新たに未収録の約3,000カットを完全掲載しています。 監修:森山大道写真財団 協力:AkioNagasawaPublishing,森山大道写真財団
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-須田一政、待望の新作作品集。 この作品集は、夜明けの銀座でショーウィンドウに佇む無機質なマネキンに 須田一政の考えるエロティシズムの理想を見い出した問題作。 これまでの作品においても、日本の叙情の中にそこはかとなく漂う官能性が須田作品の魅力の一つだったが、 今作品集においては、それが前面に押し出され、また、それを誰憚ることなく目的化した作品集となっている。 *本電子書籍はオリジナルの写真集のマスターデータから編集構成されています。 須田一政 1940年東京都生まれ。62年に東京綜合写真専門学校を卒業。67年より寺山修司が主宰する演劇実験室「天井桟敷」の専属カメラマンとなる。71年よりフリーランスの写真家として活動を開始。76年、「風姿花伝」にて日本写真協会新人賞を受賞し、一躍注目を浴びる。近年の作品集に『私家版・無名の男女』、『Childhood Days』、『Early Works 1970 - 1975』など。
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