北村浩子の検索結果
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文法の魔法
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。 書き出しが印象的な名作はたくさんあるが、夏目漱石の『坊っちゃん』もその1つ。にゅっと勢いよく突き出される、自己紹介的な冒頭のこの一文を記憶している方も多いだろう。ところで、〈親譲りの無鉄砲で〉の〈で〉について、考えたことのある方はいらっしゃるだろうか。この〈で〉が、実は文章の魅力を担っていると言ったら不思議に思われるだろうか。 〈無鉄砲〉は、品詞で言うと形容動詞だ。「形容動詞+で」となる時は「原因・理由」または「並列」を表すことが多い。たとえば、 *仕事が大変で、今日は飲みに行けない。 ⇒ 原因・理由 *積極的で明るい人を採用したい。 ⇒ 並列 並列の場合は、前後の言葉のニュアンスを揃えたほうが自然に感じられる。 *あの店はにぎやか(ポジティブ)で味もいい(ポジティブ)。 ⇒ 自然 *あの店は不親切(ネガティブ)で料理もまずい。(ネガティブ)。 ⇒ 自然 *あの店は不便(ネガティブ)で安い(ポジティブ)。 ⇒ 不自然 こんな文も作ることができる。 *佐藤さんは勉強熱心で立派だ。 この「で」は「原因・理由」「並列」の2つのうち、どちらの意味を表しているのだろう? 「勉強熱心」も「立派」もポジティブなニュアンスがあるので、並列ともとれる。また「勉強熱心だから立派だ」と、理由を述べているともとれる。つまり「で」は、1つで、2つの意味を表すこともできるのだ。 親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。 この文はまさに「1つの言葉(厳密に言えば1つの活用)で2つの意味」が感じられる文だ。「無鉄砲だから損ばかりしている」とも解釈できるし「無鉄砲かつ損ばかりしている」とも読める。どちらかと言えば前者の意味合いが強いとは思うが、「無鉄砲」も「損」もネガティブなイメージの言葉なので、並列と捉えてもおかしくはない。この文のあとには「無鉄砲さ」ゆえに損をしたようなエピソードが書かれているけれど、よく読むと家庭環境に恵まれなかった不遇さが「損」の根幹にも思える。「親譲りの無鉄砲のため」とか「無鉄砲が災いして」に変えてしまうとリズムが崩れる。〈無鉄砲で〉の〈で〉によって、この一文には期せずして快さと広がりが生まれているのだ。 そう考えてみると、少しばかり面白さを感じるのではないだろうか。漱石はただ自然に書いただけなのかもしれないが、こうやって拡大してみると、なにげなく使っている言葉の中に、ちょっとした秘密が隠れているような気がしないだろうか。 母語話者にとって文法とは「知らずに会得し自分の中で育てた膨大なルール」だ。そのルールに着目し深掘りしてゆくと、謎解きをするようなワクワク感が潜んでいるのが分かる。知っている人の知らない顔を見たような気持ちになれる。文法のスリリングさをここから探検してゆきたい。 まえがきに代えて 〈親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている〉の〈で〉 夏目漱石『坊っちゃん』 〈大変親密になって了った〉の〈了った〉 志賀直哉「赤西蠣太」 〈蜜柑が凡そ五つ六つ〉の〈が〉 芥川龍之介「蜜柑」 〈国境の長いトンネルを抜けると〉の〈と〉 川端康成『雪国』 〈あの隔てのない語調で〉の〈あの〉 中島敦『山月記』 〈もうダメなんです〉の〈んです〉 太宰治『人間失格』 〈わたしは、夫をどうしても欲しいのです〉の〈を〉 松本清張「地方紙を買う女」 〈いつの時代でも同じの筈〉の〈の〉 筒井康隆『家族八景』 〈いいもの好きで、ないものねだりのところもありました〉の〈もの〉 向田邦子「手袋をさがす」 〈これは今となってはよくわからない〉の〈わからない〉 村上春樹「午後の最後の芝生」 〈それを辛がって訴える男〉の〈辛がって〉 田辺聖子「お茶が熱くてのめません」 〈生きるかなしみ〉と〈生きるかなしさ〉の違い 山田太一「断念するということ」 〈いっているその状態を「いく」と断定してしまう〉の〈いく〉 山田詠美『快楽の動詞』 〈僕に、新しい靴をプレゼントさせてほしい〉の〈させてほしい〉 小川洋子「薬指の標本」 〈すでにチェキの台紙に浮き上がり終えた面々〉の〈終えた〉 長嶋有「祝福」 〈アンタがあと10センチ身長高かったらホンマに好きになったかも〉の2つの〈た〉 又吉直樹『第2図書係補佐』 〈私は「治らなくては」と思いながら〉の〈なくては〉 村田沙耶香『コンビニ人間』 〈おいしい、と声に出した〉の〈に〉 柚木麻子『BUTTER』 〈エドワード・ホッパーの絵に描かれた人たちのように見ている側は寂しさを感じた〉の二義性 多和田葉子『研修生』 対談 谷口ジョイ×北村浩子「面倒くさいからこそ推したい文法」 -
日本語教師、外国人に日本語を学ぶ(小学館新書)
「日本人が知らない日本語」再発見エッセイ。 日本語を学ぶ人は全世界で400万人にのぼり、今や空前の日本語ブーム。来日した留学生たちを指導する日本語教師の北村さんはこう綴ります。 <文法の教え方に悩み、説明し過ぎたと落ち込み、今日はまあまあうまくいったかなとちいさく自分を励ます、そんなことを繰り返している。あるときから、心の中にひとつの疑問が居座るようになった。 ――どうやったら「その先」に行けるんだろう? 継続して勉強していれば確実にうまくはなる。意思を伝えられるようになり、生活上の不自由はある程度なくなる。わたしが知りたいのは、その先だ。自分を表現できていると、どうしたら思えるのか、母語ではない日本語を「操っている」という感覚はどうやったら得られるのか。>(「はじめに」より) 流暢な日本語で活躍する外国出身者9名に根掘り葉掘り聞いていくと、「語彙も文法もひたすら耳から覚える」「単語を“採取”して調べてストック」「1年かけて稲盛和夫の著作を読む」など、独自の言語習得法が続々登場。さらに「汚い言葉が少ない」「『いいえ』は日常で使わない」など日本語の意外な一面も――。 言語を学ぶことの本質に迫る奇跡のダイヤローグ。 (底本 2025年1月発売作品)