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-遺族の立場に甘えない、やさしくも厳しい目で綴った渾身の手記 どんなに騒がれた大事故でも、時がたつとともに世間から忘れられていきます。しかし、この事故の裏側には、決して忘れてほしくない事実や、人のやさしさがありました。私は、日航機事故のその後を、多くの人に伝えたいと思いました。(本文より) 雪解けの尾根を登る日航社員、上野村の村民、マスコミの人たちとの交流を重ねるうちに生まれた人間ドラマを、筆者のやさしくも厳しい目とココロが追う。「日本航空123便墜落事故」の遺族が自らペンを取った感動のノンフィクション作品。 第一章 遺族として過ぎた十一年 第二章 日航の社員たち 第三章 墜落現場の上野村と村人たち 第四章 忘れられないマスコミの人たち 第五章 尾根に散らばる遺品 第六章 遺書が取り持った友情 第七章 御巣鷹の尾根管理人 ●池田知加恵(いけだ・ちかえ) 東京都生まれ。慶應義塾大学文学部社会学科卒。
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5.0※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 盧溝橋事件の勃発当時、現地で不拡大を主張した軍人がいた! 盧溝橋事件(1937年)勃発当時、支那駐屯軍の作戦参謀だった池田純久は、現地で交渉による解決を強く主張して拡大派司令官と衝突し、左遷される。のち、1945年にはポツダム宣言の受諾を決めた「最後の御前会議」に出席するなど、日本の転換点に居合わせた池田純久という人物を、盧溝橋事件前後を中心とした史料と家族の思い出という両面から描き出す。
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-人はなぜ陰謀論に心を奪われるのか―― 近衛文麿が戦中、「共産主義陰謀説」に 傾倒していった過程を詳細に追う! 1945年、近衛文麿が天皇に上奏した文章は、第二次世界大戦の終戦を進言するとともに「陸軍の一部が共産主義化しており、日本を戦争に導き混乱に乗じて共産主義革命を起こそうとしている」とした驚くべきものだった。近衛は、日本の戦争を「共産主義者の陰謀」という物語によって説明しようとしたのである。21世紀になっても変わらず「陰謀論」は繰り返されている。有事において、陰謀説とは完全な因果関係によって世界を捉えようとする、ある意味で合理的ともいえる世界なのである。――2016年の初版を大幅に改訂し、現代の「陰謀説」についての論考を加えた新版! 目次 序 章 第一章 共産主義陰謀説のルーツ満州 第二章 新体制運動と「アカ」批判 第三章 企画院事件と尾崎・ゾルゲ事件 第四章 ソ連情報と反共主義の拡大 第五章 近衛文麿と陸軍赤化説 第六章 東條内閣打倒と陸軍赤化説 第七章 「近衛上奏文」 第八章 陸軍による赤化説批判 終 章 共産主義陰謀史観の再考 あとがき 関連年表 人名索引