赤瀬浩の検索結果

  • 長崎丸山遊廓 江戸時代のワンダーランド
    4.3
    10両程の身代金(約100万円)を背負って商売をはじめ、運と実力があれば揚代だけで年間1000万円を超え、プレゼントに至っては一度に数百万円単位で得た。その収入は本人の貯蓄のみならず家族や親戚、出身の地域社会まで潤すことができた。娘たちだけが持っている可能性を生かしたサクセスストーリーが丸山遊女にはついてまわったのである。 長崎は対外貿易港であったが、そこで取引される製品に長崎で生産されたものはなく、また貿易に携わる商人も、先の西鶴の作品にもあったようにもっぱら京大坂の大商人であった。言うなれば長崎は「場所」を提供し、貿易の事務手続きを請け負いその手数料を得るだけで、「商売」の主役ではなかった。手をこまねいているだけでは貿易の「上がり」は長崎住民の頭の上を通りすぎていくだけだった。対外貿易の「上がり」をできるだけ長崎に落とさせる、そこに他の都市の遊廓とは異なった長崎丸山遊廓の存在意義はあった。長崎において遊女が特別な存在とされたのは、なによりもまず、都市長崎があまりにも小さく、あまりにも貧しかったからだった。地場の生産力の不足を補うために都市に貿易の利益を還流させるという重要な役目を担っていたのが遊女たちであった。つまり、遊女は長崎の第一の「商品」だったのだ。 丸山遊女の多くは長崎市中や近郷の貧しい家庭の出身であった。「籠の鳥」として、親元からは切り離され、孤独な生を営むことを余儀なくされていた吉原をはじめとする他の遊廓とは異なって、長崎の場合、ほとんどの遊女は実家と密に連絡をとり、遊女となった後も地域社会の構成員としての意識をもちつづけていた。また奉行所をはじめ、都市をあげて遊女を保護し、嫌な仕事は拒むことも可能だった。長崎の街は一つの運命共同体であり、住民の生活が成り立つようにするためには、他所から訪れた商人が長崎で得た貿易の利益を丸山で揚代や贈物として吸い上げ、そのようにして得た利益を回して貧しい借家人まで潤してゆかなければならなかった。そのような「トリクルダウン」の手段として、丸山遊女の果たす役割はすこぶる大きかった。それゆえ、現代の価値にして数千万円の収入を得る可能性もある遊女は、むしろかならず、長崎市中の出身者でなければならなかったのだ。 本書では、このような視点のもと、丸山遊女が当時の人々からどのように見られていたかについては今日的な視点から早急に判断を下すことを避け、当時の人々の気持ちが想像できる資料をもとにして論じていきたい。
  • 「株式会社」長崎出島
    7/3入荷
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    お奉行様から花魁まで、みんなこの街の「社員」だった 街全体が丸ごと「会社」だった不思議な都市。対外貿易のためだけに創られ、事業所長=奉行からプロフェッショナルな地役人、テクノクラート・オランダ通詞、そして長屋住まいの日雇い稼業の労働者から丸山の花魁にいたる全住民が組織化され、街をあげて貿易会社の社員のように働いていた。日本の出島=江戸時代の長崎を活写する。 【目次】 序章 「組織」としての都市 第一章 貿易と繁栄 1 貿易都市の黎明 2 キリシタン都市長崎 3 長崎をつくった人々 4 都市長崎の成長 第二章 「株式会社長崎」の誕生 出島・唐人屋敷・長崎会所 1 オランダ東インド会社 2 出島とオランダ人 3 長崎の唐人たち 4 システムとしての長崎貿易 第三章 長崎のお役人たち 1 代官一〇〇〇両奉行三〇〇〇両 2 プロフェッショナルな地役人 3 日雇い稼業 第四章 貿易都市・歓楽都市 1 歓楽都市「長崎」 2 遊女=歓楽都市の主役 第五章 都市と組織の間で 1 武士と町人の矛盾 「長崎喧嘩」の深相 2 フェートン号の衝撃 3 米不足の脅威 終章 ボーダーを越えて 1 「会社都市」の終焉 2 「異域」という生き方 新たな「出島」への可能性 参考文献 あとがき 年表 索引

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