高木凛作品一覧
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4.0一八八五年生まれの渡邊庄三郎は、貿易商の許で働くうちに浮世絵の美しさに目覚め、それが世界に流出していくことに心を痛める。そして国内では顧みられない浮世絵の再興を企て、新たな作品「新版画」を、伊東深水、川瀬巴水、橋口五葉といった絵師たちと作っていく。やがてこのムーブメントは大きく広がり、世界からは「shin-hanga」として高い評価を得られるようになる。「版元」として新版画とともに生きた男の人生。 写楽や北斎といった絵師が描いた浮世絵は、江戸の庶民たちに愛された。だが明治に時代が移り、西洋から流入した石版や写真にその座を奪われ、伝統の木版は衰退の一途を辿る。そんな悲惨な状況に置かれた浮世絵に目を付けたのが、欧米人たちだった。彼らはその価値を認め、結果、大量の浮世絵が国外へ流出していった。 1885年生まれの渡邊庄三郎は、貿易商として浮世絵に触れ、その美しさに心を奪われ、なんとかこの芸術を日本に残せないかと、浮世絵復興へと走り出す。それは、伝統芸術を守っていくだけでなく、新たな浮世絵の世界、つまり「新版画」を作っていくという大きな企てだった。庄三郎は『渡邊木版画店』を立ち上げ、絵師、彫り師、摺り師の三者によって生み出される日本特有の芸術を、伊東深水、橋口五葉、川瀬巴水といった力のある絵師たちと組み、欧米から「shin-hanga」と認知、賞賛されるところまで引き上げていった。 大きなムーブメントを起こした新版画創作だったが、庄三郎の死とともに収束していく。力のある画家たちは日本画の世界へ戻り、発表される作品も減っていった。その意味で、彼は新版画の「最後の版元」だった。だが、その一方で、彼が亡くなった後にも、すばらしい作品が残り、日本人の記憶に残った。そして、それは世界を驚かせ、やがてあのスティーブ・ジョブズの心も動かした。 このほど、庄三郎の孫・章一郎のもとに、庄三郎の日記とメモが残されていたことがわかった。知られざる「最後の版元」の人生に、名脚本家でもあるノンフィクション作家が迫っていく。
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4.0第14回小学館ノンフィクション大賞受賞作。 戦後、沖縄の自立のために多くの事業を起こし、大宅壮一に「沖縄に男あり」と言わしめた“海の女王”初の本格的評伝。照屋敏子(1915~84)は沖縄・糸満生まれ。幼い頃に両親を亡くし、16歳にしてセレベス島へ駆け落ち。19歳で結婚し沖縄に戻るも、空襲を受けて福岡に疎開、終戦を迎える。戦後の混乱の中、沖縄出身者を集めて漁業団を結成。女頭領として頭角を現わし、舞台を南太平洋にまで広げていく。その後、米軍占領下の沖縄に帰った敏子は、ワニ皮バッグなどを揃える「クロコデールストア」を開業、無謀とも思えるほど多くの新規事業を提唱・実践していった――。まさに「女傑」と呼ぶべき沖縄女性の波瀾の生涯を描く。第14回小学館ノンフィクション大賞受賞作。