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5.0ダンスホールの閉鎖やレコードの検閲、「健全」な娯楽の推奨などに顕著なように、満洲事変期からアジア・太平洋戦争期に至る戦時期には、政治や経済だけではなく、文化や日常生活が総力戦体制に組み込まれ、統制されていた。 帝国議会や各種委員会の議事録、文部省、内務省、警視庁、内閣情報部(のちの情報局)の資料、新聞報道などの歴史的な史料やエビデンスを丹念にたどり、国民精神総動員運動や厚生運動の内実、決戦非常措置要綱の狙いや背景などを解説しながら、戦時下の娯楽政策の全容と変遷を明らかにする。 統制や制約、あるいは自主規制や忖度などが入り交じるなかで、音楽・映画・演劇・文学・美術など、日常に欠かせない娯楽が戦争に否応なく動員され、ダンスホールやカフェなどの飲食業が転廃業や従業員の解雇を余儀なくされた実態を浮き彫りにする。
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-明治末期に生まれ、日本とドイツを往復しながら、ヴァイオリンの演奏から指揮や作曲、果ては当時のニューメディア=映画制作まで取り組んだ貴志康一。「天才」と評され、ヴァイオリンの名器ストラディヴァリウスを日本人として初めて所有し、ベルリン・フィルを25歳で指揮しながらも、わずか28歳で生涯を終えた。この若き音楽家の人生と作品、その時代背景を総合的に分析して彼の魅力に迫り、人物を通して戦前期日本の社会をも読み解く。
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3.0
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-明治期以降、西洋音楽が軍隊や教育の現場を中心に普及していき、大正期から昭和初期、そして戦時下に至る過程で、レコードやラジオを通じて音楽は人々の生活になくてはならない文化として定着した。戦争と音楽はプロパガンダの側面などが注目されがちだが、戦時下日本の日常で音楽はどのように鳴り響き、人々を楽しませていたのか。 日本近代史の捉え方という大きな視点や日本の近代音楽史のベースを押さえたうえで、大阪朝日会館での音楽の取り組み、エロ・グロ・ナンセンスと流行歌、堀内敬三の音楽観の変遷など、これまで注目されてこなかった音楽文化の諸相に光を当てる。 加えて、ナチス・ドイツと日本の音楽交流、ヨーロッパの「国民音楽」との交差、植民地朝鮮での音楽活動など、海外事情と音楽文化の緊張関係も掘り起こす。 国内外の事例に、戦前・戦後の連続性/非連続性という時間軸も織り込んで、敗戦後80年の2025年に「戦争と音楽」を鋭く問う貴重な成果。