ラストへのばら撒き。
この五冊を読み終えて、改めて思ったのは、この作品は「音楽漫画」というジャンルに収まるものではない、ということだ。
確かに作中には、ギター、ライブ、バンド、成功と挫折といった音楽的モチーフが溢れている。だが読み進めるほどに、「ロックとは何か」「誰がロックなのか」という問いは、むしろ分からなくなっていく。
登場人物たちはそれぞれロックであり、同時に誰もが決定的なロック像にはなりきらない。才能、覚悟、犠牲、継続、そのどれか一つで定義できるほど単純ではないからだ。もし“ロック”を分かりやすく括るなら、ブレずに立ち続けるマットが最も近いのかもしれない。しかしそれも、あくまで仮置きにすぎない。
物語の中心にいたはずの竜介は、終盤で「勝つこと」や「自分がステージに立つ未来」を明確に語らない。彼が選んだのは、音楽で何かを成し遂げることではなく、自分が中心にいなくなった後でも“場”が成立するかを賭ける行為だったように思える。その選択はロック的でありながら、同時にロックという言葉だけでは説明しきれない。
ギターの持ち替えや象徴的なイメージも、よくある音楽作品のように一直線で回収されることはない。楽器が運命を決めるわけでも、覚醒の証になるわけでもない。約束されたはずの出来事が、感動的に果たされる保証もない。そこには「物語としてのカタルシス」をあえて拒む姿勢がある。
だからこそ、この作品は音楽の成功譚ではなく、人生そのものを描いた劇場として立ち上がる。答えは提示されず、問いだけが残る。ロックとは何か。誰がそれを引き受けるのか。生き残った者は何を背負うのか。
読み終えた今、はっきり言えるのは、この物語は「理解した」と言った瞬間に取りこぼしてしまう作品だということだ。定義できないまま、保留したまま、考え続けさせる。その不完全さこそが、この作品の強度であり、ロックなのだと思う。