あらすじ
11歳のポリアンナは,牧師の父を亡くして孤児になり,母の妹である独身のポリーおばさんに引き取られた.天真爛漫なポリアンナは持ち前の明るさで,子ども嫌いの気むずかしいポリーおばさんや,孤独に暮らす金持ちの老人など,周囲の人々を変えていく.
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Posted by ブクログ
いつも心に愛のゲームを。
孤児のポリアンナは独身のおばさんに引き取られる。気難しいおばさんと暮らすポリアンナは、亡き父から教わった「ゲーム」を村に広め、周囲を変えて行くのであった。
小さい頃読んだけれど、正直に言って嫌いな話だった。どんな辛い状況でも喜ぶなんてできない、そんないい子の話なんて楽しくなかった。
しかし、大人になって再読すると「なんでもうれしがるゲーム」に対して印象が変わる。子どもの頃に感じたのは、いい子でいることを推奨する圧力への違和感や拒絶だった。この「ゲーム」は自分から参加するものだ。押し付けられた「ゲーム」では、真に幸せにはなれないだろう。
毎日を変えていくのは、自分の心がけ次第。ポリアンナは、自分らしく生きていこうとする少女なのだ。義務だけでなく、やりたいことをしたいと主張し、自分の見つけた問題を解決しようと、働きかけていく。ポリアンナは、魔法の力を持っているわけでも、自由になる大金を持っているわけでもない。だから、周囲を巻き込まざるをえない。その中でトラブルも起きる。でも、動かないと変わらない。だから、前向きになんでもうれしがる。とても今風の生き方だ。コロナ禍の今だからこそ、余計に心に響くのかもしれない。
しかも、そんなポリアンナですら、嬉しがれないことがある。もう二度と歩けないかもと知ってしまった時、ポリアンナはさすがに嬉しいと思えない。ゲームの発端となった松葉杖のエピソードが自分に降りかかってくる。うれしがるゲームには限界があった。ラストでポリアンナは再び歩けることの幸せを語る。一時期歩けなかったから、歩けることの喜びを感じる、と。ハッピーエンドのはずが、なんだかもやっとする。
他人と比べて、自分の方が○○できるから幸せだ、というのは危険な発想だ。ポリアンナのゲームには、この危険を孕んでいる。障がい者に対する気持ちの持ち方は、決して「かわいそう」ではない。当時は「かわいそう」「歩ける自分に感謝」でよかったのだろう。この本を読んで、今は考えないといけない。自分の境遇を「なんでもうれしがる」こと自体は悪くない。でも考える必要がある。今の時代に合った「ゲーム」のやり方を。