【感想・ネタバレ】特攻隊員と大刀洗飛行場 四人の証言のレビュー

あらすじ

昭和20年(1945)3月、重要拠点ゆえにB29に爆撃され、壊滅的被害を受けた大刀洗飛行場(福岡県)。大正8年(1919)に完成したこの飛行場は、その後、陸軍飛行学校や技能者養成所が置かれ、東洋一と謳われた。国民学校を卒業したばかりの15歳の少年たちは、この地で速成され、ある者は整備兵として、そしてある者は特攻兵として戦場へと送り出されていったのである。当時を知る者が数少なくなる中、大刀洗飛行場で若き日を送った4人に、直木賞作家・安部龍太郎が取材。古代から近代まで、数多くの歴史小説を上梓してきた著者が、満を持して初めて「太平洋戦争」に取り組んだ。 【目次】●序章 大刀洗飛行場を訪ねて ●第一章 松隈嵩氏への取材――技術者たちの苦闘 ●第二章 信国常実氏への取材――生き地獄を味わった整備士 ●第三章 河野孝弘氏への取材――陸軍の迷走と「さくら弾機事件」 ●第四章 末吉初男氏への取材――特攻兵の届かなかった手紙

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

近年アジア・太平洋戦争と呼ばれるようになったかつての大東亜戦争、広大なアジア・太平洋地域で繰り広げられた、日本とアメリカを中心とする連合国との大戦争である。これだけの広い地域に戦線が拡大したのは、1914年の第一次世界大戦で初めて用いられた航空機の軍事転用や航海技術の進歩がその一因となっている。その太平洋戦争は、日本の航空機によるハワイ真珠湾奇襲攻撃により幕を開け、同時期に日本の航空機によるイギリスの戦艦(当時、世界最強と謳われた)プリンス・オブ・ウェールズとレパルスもまた、日本軍の九六式陸上攻撃機、一式陸上攻撃機による水平爆撃により、史上初めて航空機による雷撃で戦艦が沈められている。戦争はいよいよ航空機中心の時代に移っていく。
当時の日本は現代と同じく、資源に乏しい事から、敵対するアメリカの重工業力には到底及ぶはずもなく、戦争はその後、全ての生産力を軍事関連に注ぎ込む消耗戦状態になる。そして生産力を支える労働人口の低年齢化が進み、本書に登場する戦後を生き延びた戦争経験者たちも、15歳という若さで航空廠勤務や飛行機乗りを経験した人々である。その舞台は九州福岡県にある大刀洗飛行場である。当初の大刀洗陸軍飛行学校は、日本陸軍の軍学校のひとつとして1940年(昭和15年)に設立されている。ここでは、飛行機操縦に従事する少年飛行兵や特別幹部候補生などの教育が主に行われていた。飛行兵が飛行機の基本操縦教育を行うには、周囲が山に囲まれ、かつ飛行場近辺には広大な平地があることからうってつけの場であったのである。ここには巨大な航空廠も建設され、飛行機の整備も行われていた他、それら整備を担当する整備兵の訓練も行われている。ただし時代は国力の無い日本が連合国軍に押される状況で、とても悠長に教育訓練をしている余裕などない。大刀洗飛行場は通常の訓練期間を圧倒的に短縮した即席の兵士や整備士を大量生産する場となっていた。戦争末期には航空機特攻を目的とした訓練が主となっていった。
本書はこの大刀洗飛行場を舞台に、筆者が当時の特攻隊員や航空整備兵の戦争経験についてインタビューし、それを小説風に纏めていく内容構成となっている。当時の時代背景がどの様なものであり、そこで彼らが体験してきたものは、平和な現代を生きる我々からは想像もつかない事ばかりである。15歳そこそこの若者、いや少年たちが国を憂い天皇のためと自らの命を捧げる世界。生きていれば戦後の日本を支えるはずだった優秀な命が、特攻を含む戦争で大量に失われてしまった。そして本書に登場する4人の証言者たちのように、生き残っても尚、心に深い傷を負い続けさせる。簡単な言葉で済ませて仕舞えば、戦争は悪であるが、一言で「悪」という表現には到底収まり切れない。それ程の深い傷が当時の経験者たちが生きている間中苦しめるのである。本書の帯にも記載されている言葉「無事生還を遺憾に思う」は、少年たちの心に生涯消えない傷を負わせたに違いない。
平和な世が永く続き、二度と若い命を夢を叶える事なく散らせないよう、本書のような戦争関連の書籍から学び続けたいと思う。

0
2026年09月05日

Posted by ブクログ

福岡県にあった東洋一の太刀洗飛行場
そこで働いていた特攻隊員や技術者、4人の証言

こんなところに巨大な飛行場があったことに驚いた
また平和祈念館にいかなければ

0
2024年07月16日

「学術・語学」ランキング