【感想・ネタバレ】修禅寺物語 新装増補版のレビュー

あらすじ

鎌倉幕府二代将軍・源頼家の非業の最期を描き、綺堂が歌舞伎作家として名を馳せた戯曲「修禅寺物語」を小説化した表題作をはじめ、平安朝末期、あやかしの美女と若き陰陽師の壮絶な悲恋を綴った長編ファンタジー「玉藻の前」、そして、怪談として名高い「番町皿屋敷」を余韻の残る江戸情話に仕立てた逸品を加え、達人の筆捌きを存分に堪能できる傑作集。

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Posted by ブクログ

明治五年生まれの著者だから、江戸時代はついこの間。江戸時代を生きてきた人もたくさん存命中だったろうし、時代の呼び名が変わっても、中身はすぐに変わる訳じゃない。明治もかなり江戸時代のまんまだっただろう。
だから、江戸もの「番町皿屋敷」がリアルなのは納得。
しかし鎌倉時代の「修善寺物語」、平安時代の「玉藻の前」も、(その時代を生きたわけではないからこう言うのもヘンだけど)とてもリアルに感じた。もちろん本物の平安時代の人が読んだら「違う!」ってところもあるのだろうけど、考え方、行動様式なども、その時代だったらそうだったんじゃないかなと思える。
現代の作家だって鎌倉時代、平安時代を舞台にした小説は書ける。しかし、思考回路は現代人っぽくなる。読者も現代人だから仕方ないのだろうが。

芥川龍之介も今昔物語などをベースに書いているが、作家の持ち味が違えば全く違ってくるものだなあと。芥川はやはり純文学、彼の思考が反映されているが、これはエンタメで、物語として面白い。何より口調や文章にリズムがあって美しく、音読したくなるような魅力がある。(歌舞伎の脚本作家だったから当然か。)
代表作だけあって「修善寺物語」は素晴らしい。
芥川の「地獄変」と共通するところがあるが、違いがよくわかる。
「玉藻の前」は、男尊女卑であった平安時代に、愚かな男たちを色香で手玉に取り、私利私欲に走る政治家(関白家)を混乱させ、美貌も妖力も賢さも抜群の玉藻の前は、現代的なスーパーウーマンのようにも思える。相手の男(千枝松)のほうがおろおろしてどっちつかずの上、別の美女に心を奪われたりしてなんとも情けないのも現代的な感じがして、これを明治時代にそんなことは意図せずに書いたのも凄いことだなと思う。
明治の一流エンタメは今も面白い。

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2022年10月01日

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