感情タグBEST3
Posted by ブクログ
震災で起きた悲惨だったり葛藤をありふれた日常の様に淡々と描かれていて、それぞれにとってありふれた日常は決してありふれていなくてその人だけの二度とない日常なんだろう、と感じた。
と、あとがきを読む前に感想として書いたのだけど、あとがきでも「この作品は「震災もの」ではない。だれかの日常であり、あなたの日常であり、これからも続くものだと思う」に激しく共感しました。
以下、良いなと思ったフレーズ。
終わりがない祝福ってかんじだ。
輝く女性、ってのはやめませんか。そういう言い方されるとオエってなっちゃいます。
もちろん、震災後になにか取り組みをされている方の特集をすることは賛成ですけど。輝いてますから、そもそも全員。「輝く女性」って言えば女性のこと応援した気になるかもしれないですけど。
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みんなが声に出したいけれど、世間の目もあるし声を出せなかったこと。
それを優しく諭してくれるような心地にさせてくれました。
「震災」が起こり、自分も怖い思いをしたり普段通りの生活ができなくなる。
コロナだってそうかもしれない。
でもニュースを見ればもっと不幸な人たちもいる。
もっとつらい思いをした人たちもいる。
不幸の大きさってあるの?私たちの不幸は客観的なものなの?
自分が「つらい」と思ったら、それが人にどう見えていたって「つらい」はず。
そういうモヤッとした思いを言葉にした作品。
本当に素敵な言葉の数々でした。
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お正月の地震で、あまり揺れない場所にいたひと。
自分は大丈夫だったことが後ろめたく、何もできない無力さがつらいひと。
こんな気持ちをうまく吐き出せる場所はきっと無い。でも、この本を読んで自分を抱きしめることはできるかもしれない。
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全くどんな内容かわからず読みはじめたが一気に読んでしまった。
同じ著者の作品うたうおばけも読んだが、友達との会話が素敵すぎる。現代風に言うとエモいとでもいうのだろうか。ちょっとカッコつけだなとも思う。自己肯定感高そう。
そして著者の写真のほんわかイメージとのギャップ。
友達になりたい。どこかそんな親近感を感じる。
この作品にしてこの感想でいいのかという罪悪感のようなものもありつつ。
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震災について思うとき、必ずついてまわるうしろめたさみたいな思い。
私(なんかでも)も感じていました。
何をどう感じどう思うかは自由。
感情まで蓋をする必要はないのではないかと思わせてくれました。
(最近読んだ朝井リョウさん著作に通じるものがありびびっときた)
誰かから与えられた役割や責任を背負いこまず、自分自身のために生き切りたい。
装丁がすてきすぎました。
花ぎれが薄ピンク…春だ。
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読書をすることのひとつの意味って、誰かの痛みを完全に理解することなんて出来ないと知ることだと思う。
人それぞれ違う場所に痛みを持っていて、それを知ったつもりになるのはとても傲慢で、自分の言動でふいに傷つけることもあると知ることだと思う。
生きていると、忘れられない、この先ずっと抱えていかなきゃならない痛みに出会うことがある。
それに向き合うことが苦しい時、きっとまたこの本を読むんだろうな。
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途中からずっと十三回忌、と思いながら読んだ。いや、これが出たのは2021年なんだけど、そう思いながら読んだ。お盆のせいもあるかもしれない。それと、中央アジアの草原にてのメロディと(この本じゃないのだがずっと鳴っている)。
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ある程度歳を重ねると、絶句してしまう瞬間に立ち会う事がある。歌詞じゃないけれど「何を思えばいいんだろう」と立ち尽くす事しか出来ないような。それでも私は当事者じゃなくて、だからたくさん本を読まなければならないと思っている。
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わたし…傷ついていたんだ_
東日本大震災から10年…
当時 盛岡の高校生だった主人公をはじめ
震災を経験した人たちの記憶や想いを辿っていく物語
小説なのに エッセイを読んでいるような感覚で
くどうれいんさんの飾らず真っ直ぐなあとがき含めて素晴らしい作品でした_
“被災者”だけど 被災者じゃない
“傷ついた”けど 傷ついてなどいない
ずっとそんな風に抱いてきた…
だって 家族も友達も家もちゃんとあるから
傷ついてなどいないと思ってた…
傷ついてはいけないと思ってた…
でも違った…
時が経ったからこそ あの時の記憶を思い出そうとすると
無意識に避けてきた物や場所があることを思い出す
ずっとずっと おのおのが心の中で抱えてきた
“氷柱”を見たような気がした
その氷柱から滴る水が その方がずっと我慢してきた涙のようにも感じた
どうかどうか…
その氷柱が陽の光を受けて少しずつ溶けていきますように…
そんな思いを何度も抱きながら この本を読み終えました
私の中で 今年もっとも出会えて良かった作品です
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東日本大震災のときに、盛岡で高校生だった伊智花の約10年。
震災から間もない頃のもやもやから、
成長しながら出会う、震災を経験したひとびと。
大きな被害を受けた人もいれば、
直接的な被害はなかった人もいるグラデーション。
何も失わなかった人は、申し訳無さを感じて
震災について語れない人も実際たくさんいるのだと思う。
でも濃淡はあっても、
誰もが『震災後』の日常を歩んでいる。
優しく包みこんでくれるような、読んで良かったと思える読後感だった。
特にトーミさんがたどり着いた考えが好きだな。
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すずめの戸締まり鑑賞後に読みました。
まだ昨日のことのように苦しむ人が身近にいる環境なので、10年経ってみんな忘れたよね!思い出そう!みたいなメッセージが非常に苦しかったです。
ああ、私は取り残されているんだなと。
なので、あの映画よりも震災に関する触れ方は、とても好ましく感じられました。
直接被災した人、
被災したけれど物的被害がそんなになかった人、
ニュースでリアルタイムで見ていた人。
いろんな立場がある中で、各々の主観を肯定してくれる作品だと感じます。
経験して見て聞いて感じたなら、誰もが当事者であると。
辛いと、言っていい。
可哀想だと、言われなくていい。
そんなメッセージが優しく届くのではないでしょうか。
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作者のあとがきの、
わたしたちは何を語ろうとしても「震災のあった人生」以外を選ぶことができないこと。
がとても印象に残った。
今、某映画が震災を描いているけど
この作品を読むと一括りにしてしまうのは怖いよな……と感じる。
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宮城旅行の時、読んだ。
あれから10年、という年だった。
大地震が起きた場所で、自分が何を感じるのか、を知るための旅行だった。
中学2年生が終わる頃、東日本大地震があった。
私は佐賀に住んでた。
春休みに、ひさしぶりに関東に住んでる姉に会いに行く予定だった。
この本を読んで、よかった。
思春期ど真ん中に、震災にたいて感じたこと思ったことがホロホロと解けていく感覚だった。
読んでよかった。
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東日本大震災のお話だった。自分は、そこまで大きな何かを失っていないから、傷付いていない、傷つく資格はないと思っていたけれど、今、正直に、誰かの目を気にせずに振り返ると、やっぱりかなり傷付いていたんだということに気がついた。気がつけてよかった。だからこんなにも日々の中で東日本大震災のことや、自分ができることを考えているのだとわかって、これまでのいろいろなことが腑に落ちた。
自分が震災のことを忘れないために、何度も読み返したい作品だと思った。
まったくだよ。に、んだからさ。ってルビがついてるのが良いなと思った。
盛岡、福島、仙台、石巻、陸前高田、釜石、それぞれの場所で暮らす人々の震災のお話。
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岩手県の内陸に住む高校2年生の伊智花は、東日本大地震の時ライフラインが少し止まった程度の被災しかしなかった。何も失わなかった自分に震災の事を話す資格はないと思っていた。 震災から10年の月日を様々な人達との出会いから、震災後を見つめ直す。 「言うほどの事じゃない」と思っている人達も、みんな震災の物語を持っている。当時学生だった子供たちは「希望の子」を社会から背負わされ生きている。 読んでいて、この物語は綺麗事でも偽善的でもなく、本当の事なんだと実感しました。
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自分の置かれた境遇や抱えているものに振り回されるのではなく、それらを背負った上で自分がどうありたいのか、そのためにどう動いていくかを表した「人生をマイボールにする」という一文がずっと心に残っている。
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チャリティー番組をみると居心地が悪くてチャンネルをすぐ変えてしまう。心のどこかでずっともやもやし続けているひとはみんな読んだらいいんじゃないかなと思う。
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あとがきまで読んで、腑に落ちた。
というか、あとがきが1番よかった。
本作を読んで、あー、そうだよな、希望とか絆とかそーゆー言葉って被災者ではない人たちの押し付けというか、耳心地の良いだけの言葉な部分はあったんだろうなと情けないこと初めて思い至った。
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くどうれいんさんのエッセイが大好きなのですが、小説は初読。とても良かったです。
私は震災当時、東北地方からは少し離れた場所の高校生でした。
だからあの時のことは実感がなく、
ただ、大変なことが起きている、ということを
テレビや新聞で知るばかりでした。
著者のくどうさんは私と同い年で、被災した岩手県盛岡のご出身。
少し生まれた場所が違えば、私もくどうさんと同じ立場だったかもしれない。
くどうさんは執筆にあたり、東北にゆかりのある7名の方々に取材を行ったそうです。
東北地方の方々があの震災当時考えたこと、そして今感じていることをこの小説のかたちで読めたことは、とても意味のあることだと思いました。
言葉にすることがあまりにも難しい迷いや葛藤が、真摯に描き出されていて、途中涙が出てきてしまいました。
そして内容から少し離れますが…。
くどうれいんさんの、さっぱりとした、けれど柔らかくて芯を捉えた文章表現が、やっぱり好きだなぁ。
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震災に遭った、そこは共通項なのにみんな抱えている思いや傷は異なる。
一括りにはできない。一人一人そこには違う人生がある。
そんなことをしっかり丁寧に、感情に踏み込みすぎず、でも伝わるように、という作品でした。
2024.5.4
69
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読めて良かった。
震災に限らず、自分なんかが語るのはおこがましい、と思うことはよくある。
ただやはり震災に関しては顕著だろうなと思ったことはあったが、小説であれ、当事者についてすごく読みやすく言語化してもらえて、理解が進んだ気がする。
自分が伝えたいことよりもドラマチックに、より濃くされてしまう。それが嫌という気持ちはとても理解できる。
そして実際に濃い体験をしたから、どう言われてももういいや、と開き直れる人も強いなと思う。
『希望の子供』として勝手に背負わされた人も多いんだろうなと、こちらも勝手に思ってしまった。
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Audibleにて。
テレビのニュースや紙面では知ることが出来ない、被災者の話を聞けた感じ。
何も失ってない私が震災を語るなんて、って所やケーキに刺さったロウソクが苦手だと言う男性の話が印象的。
新たな視点で被災地を思う
2022年中学入試では麻布、海城などで出題された。あとがきでわかるが、東日本大震災の被災地にいながらも大きな被害を受けなかったために、被災者としての資格がないと思い悩む作者がその複雑な心境を物語に託している。「希望」や「絆」というメッセージをマスコミや周囲から強要されているような同調圧力に違和感を感じる主人公。就職も被災者枠というお情け採用がはたして救済なのか?10年経ってもロウソクや海を見られないトラウマを抱えてしまった人。陸前高田の海を毎日写真で投稿する人。それぞれに震災後の人生が続いている。
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読んでいて、高校時代に経験した震災を思い出した。
仲が良かった友達の家と家族が津波で亡くなってしまって、自分がかけた言葉や対応は正解だったのかな...と思う時がたまにあるけど、そういうことをまた考えた。
あとがきの、「震災後を生きている人は、みんな震災ものの人生だ」という言葉がすごくしっくりきた。
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東日本大震災の本です
震災の本に感想なんて書けないので、一つ資格試験の面接試験の時に言われた質問とそれに私が答えたことを
この資格を取得して震災のボランティアに行くことになったときに、どのようなことがしたいと思いますか?
たまたまボランティアで来ている私にできることなんて、無いと思っています。話すことも、きっと無いと思います。見ず知らずの人に何かを話すことって難しいと思うので。それでも見ず知らずの人にだから話せるという人もいるかもしれません。もし、私に話を聞いて欲しいという人が現れたら全力で話を聞きます。それが私にできることだと思うし、むしろそれしかできないと思うので
今も、こんな風に思っています
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2011.3.11 美術部の伊智花は、盛岡の自宅にいた。
2016年 教育学部の大学生。
2019年 フリーペーパーの編集部勤務。
2021年春 表紙の桜の絵を描いた。
著者の体験・経験・取材と素直な文と美しい描写。
くどうれいんさんの作品をさらに読みたくなった。
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2011年3月、盛岡で高校2年生だった伊智花は震災を経験した。
美術部として絵画コンクールに渾身の力で描いた滝の絵だったが
震災を経て求められるものは、もっと別の作品だった。
大学進学で仙台で出会った2個下の女友達。
大学で出会った恋人が記録していたブログ。
バイト先の後輩が震災時刻を黙祷するときに思うこと。
地域フリーペーパーを発行する編集部に就職して
東北の海の写真をインスタにアップし続ける人のありのままにインタビュー。
震災遺児だから大企業に就職できたと上司に言われた年下の知り合い。
家族も家も無事だった自分が、震災を語ってもいいのかどうか。
自分よりも過酷な経験をした人たちを差し置いて、
何の物語のない自分がそれを語る資格があるのだろうか。
震災から10年経って、伊智花が、震災に捉われずに、自分の人生を歩むまで。
人生がマイボールってどういう意味だろう。。。
私にはわからない。。。のだけど
東日本大震災を、場所の違いはあろうとも
それを経験した人は
失ったもの変わったものの差はあるだろうけど
少なくとも何かしらに絶望して傷ついたことの方が
多いと思うなあ。
名前がなんかすごい。
れいんって。今どきだよねえ。
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被災経験がなく、ある意味悲劇化&美化された震災復興の報道しか知らない私にとって、様々な被災後の生き様を知れました。子供に読ませたい一冊であることは確か。
「春」「桜」「氷柱の融解」といった描写は一般的にはポジティブにとらえるべきなのでしょうが、
・3.11が春だったこと
・また季節が変わり冬も来ること
・主人公が高校生のころに軽蔑した、「大衆迎合的な面や欺瞞的な希望を謳う面のある記者」に、主人公自身がなりかけていること
をふまえると、問題が解決されたわけでもなく、主人公が劇的に震災体験を昇華できたわけでもないように思えました。
ジャンプやマーベルの「信念をもった主人公が、心の傷を乗り越えて勝利する」的なストーリーがいかにフィクションか。ほとんどの人に信念なんてなく、震災後の日常は日常でしかなく、乗り越えるものでも向き合うものでもないのかもしれません。
結びの言葉の「春だ。」は一見、薄っぺらい表現に見えますが、じゃあ小説らしい凝った表現ならいいのでしょうか? 日常においては「春だ。」っていう誰かのシンプルな言葉で心が救われたりする。
筆者はそんなことを問いかけているのかもしれません、、って考えすぎですかね?
Posted by ブクログ
震災と言っても色んな経験があるわけで。何も失わなかったことに対して抱く思い。ひとまとめに希望だの絆だの、可哀想だのと語られてしまう人生に対して、そうじゃないと言えるこの作品になんだか私もガツンとやられた気がする。私も被災者をそういう目で見てたんだなあって。被災者というラベルだけを。