あらすじ
フェルメールの名画は「パン屋の看板」として描かれた!? ガラクタ扱いされていた印象派の価値を「爆上げ」したマーケティング手法とは? 美術の歴史はイノベーションの宝庫である。名画・名作が今日そう評されるのは、作品を売りたい画家や画商、そして芸術を利用しようとした政治家や商人たちの「作為」の結果なのだ。ビジネス戦略と美術の密接な関係に光を当てた「目からウロコ」の考察。
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Posted by ブクログ
「アート作品を売れれば、この世に売れない商品などない」3
「アートにとって経済の話はタブーなのでは」と見なされがちだが、元々アートというものは経済的な余剰が存在しないところには決して存在しない。
アートが経済の話を避けるのは、その出自があまりにも密接に経済と直結しているため、出自を暴かれることで価値やイメージの下落を恐れるため。
対照的に、同じ経済の話であってもオークションで巨額落札された絵画のニュースが好んで取り上げられるのは、こちらは美術の価値やイメージを上げることに直接的に貢献する話題だから5
猫足家具はルイ15世統治下、ルイの愛妾ポンパドール婦人のアート政策に始まった。猫足を「カブリオール」と呼んだ。これはイタリア語の鹿足から来ている176
出現当時の印象派絵画は、そのあまりの衝撃からしばしば新聞の風刺画になった。面白いのは第三回印象派展当時の新聞風刺画家シャムの『戦争に備えて印象派展で作品を買い漁るトルコ人』。兵士が印象派の作品をかざして敵兵を追い払っている181
デュラン=リュエルはルノアールに「希代のギャンブラー」と呼ばれた。「印象派の未来を信じる」という、無謀ともいうべき賭けに出た唯一の画商だったから215
第一章
17世紀オランダでは宗教改革が進み、偶像崇拝として協会絵画がことごとく破壊され、アーティストは失業危機に陥った。そこで個人に作品を販売する方法をとりピンチをチャンスに変えた。宗教画を止め、静物、風景、一般人というモチーフの絵画が生まれた。代表的なのはフェルメール。『牛乳を注ぐ女』はパン屋に飾られた家政婦の絵だ。
ここに市場初めてアートの一般販売という形式が誕生。市場は大きくなったが、アーティストの過当競争が起きた。そこで個々のアーティストは「個性的なモチーフ」を探求して商品(アート)の差別化に乗り出した。これが「アートは個性を重んじる」の起源
第二章
アートメセナの走りのメディチ家。その反映は「ヤミ金」であった。キリスト教では利息が厳禁されていたのでメディチ家は常に罪の意識にさいなまれていた。そこで遠方の通貨との両替を名目にした商売や、教会の金庫番を行い利益を出した。さらに教会が求める宗教画をメセナし、これが今日まての「アートの守護者」のイメージを作った。しかし実際にはアーティストへの支払いは極少額で、例えばボッティチェリへの作品制作料は現在の金額でたった50万円ほどだった。このことから現在ではメディチ家を「アーティストの守護者」とは思われていない。
第三章
16世紀まではアートは不動産だった。絵画は教会に描かれたテンペラなので動かせないため。しかしこのころキャンバスと油絵の具が開発され「持ち運べるアート」が可能になり動産化する。
テンペラは漆喰が乾かない内に絵の具を塗らなければならないため、手の早さが求められた。しかし油絵の具はじっくり制作でき、修正も可能だった。この効果に魅了されたのがダヴィンチで、その典型的作品がモナリザ。ダヴィンチは手が遅くて有名だったので後年仕事が来なく貧困だった。ただモナリザは手元で制作出来たため相当な年月をかけて制作された。モナリザは当時から破格の価値だったが、愛弟子にあげてしまい本人はビジネスに失敗した。
第四章
レンブラントは商魂たくましく、複数人がモデルの一枚画商法を考えた。各人から金銭をもらい巨大な作品を作る方法で、有名な『夜警』を作る。またそのリアルな表情やポーズの作風が評判を呼んだので工房を経営して複製や模造もいっぱい作った。しかしその作風は次第に時代遅れになり、また工房大量生産方式によりブランド力も落ちて晩年は貧困になった。
第五章
「作家は職人に優位する」は17世紀絶対王政時代に生まれた。絶対王政の王は「科学」を推奨した。これは当時生活や戦争などの技術向上に科学が強い役割を果たしたので、これを王が推奨することで「王の思し召し」、「権威の証」として利用出来たから。そこから「王立アカデミー」が生まれた。
アカデミーは今までの社会を構成していたギルドを否定したので、王政の元、反ギルド運動が起こり、ギルド制を採っていた絵画職人、彫刻職人はギルドから独立。ここにアカデミー(王政)が承認する「アーティスト」が生まれる。これまで「art(技芸)」と呼ばれていた絵画、彫刻はこの時から「arts(芸術)」と呼ばれることになる。これは「美」をもたらす「技芸」という意味。
第六章
ナポレオンはイメージ戦略としてアートを使った。有名なナポレオン肖像画は意図的に、多量に作られ、これがナポレオンの権威、神格化をもたらす重要な要因になった。また文化事業としてルーブル美術館を「ナポレオン美術館」と変えて、各国の戦利品を収蔵した。
第七章
落書き同様の評価だった印象派は当初全く価格が付かない「ガラクタ」と見なされていた。これを天文学的なバブル価格にした立役者がデュラン=リュエルという画商。
その商法は「クラシック」と「セレブ」。印象派を金ぴかの額縁で額装。顧客をセレブとして接待し猫足家具とシャンデリアのある私室でもてなす。金ぴか額縁も猫足家具も当時は時代遅れの終わった用具と見なされていた(これらはフランス革命前のルイ15世治世の様式)。しかし、クラシックな演出は顧客の警戒感を緩め、セレブな接客には顧客の財布のヒモを緩める効果が備わっている。また、販売のためには印象派絵画の並外れた新奇性を緩和するためにも寄与した。その相乗効果は、「顧客の理解を越えた商品」でさえ容易に購入の意思決定へと誘導する魔術的な作用を発揮した。これは今日のギャラリーのビジネスモデルを確立した。
この金ぴか額縁は、都市風俗や川面を描く絵にマッチしないからアーティストからは嫌われた。しかしデュランは、作家の画風やモチーフは好きにさせたが、金ぴか額縁は譲らなかった。これはデュランが、絵を買う立場から作品を眺めていたから。海のものとも山のものとも知れない奇抜は作品に本当に価値があるのか?値崩れするのでは?などの心配を防ぐため。事実後年、印象派絵画が完全に市民権を得てからデュランは、作家の希望どおりシンプルな額縁にした。
金ぴかは貴族層にも不評だったが、そもそもデュランは没落していく彼らをターゲットにしていなかった。ターゲットは新興富裕層。新興層は資産を手にいれたが貴族のような地位が無いのでそれを欲しがった。それが金ぴか部屋の絵画を求めた。さらに貴族願望を持っていたのはアメリカ国民。ヨーロッパ人以上に貴族へのコンプレックス、憧れを持っていた彼らは印象派を爆買いした。画商はアメリカ人に法外な値段で印象派絵画を売った。これを「アメリカ値段」という。
第八章
印象派絵画をアメリカ値段で売ることにもっとも貢献したのがペン。つまり美術批評の誕生だった。有名なのはド・ローネ子爵。貴族の男性と思われがちだが、この人物はデルフィーヌ・ジラルタンという大衆紙の女性記者で新聞王の妻。つまりブランディング用のカリスマインフルエンサーペンネーム。美術批評を載せた雑誌、新聞というメディアはその後のアート市場を作った。
デュランはこのメディア戦略として、「画商自ら出版社を立ち上げる」という画期的方法を行った。
「画商こそが美術史を創り出す主人公である」
Posted by ブクログ
誰もが見たことある絵画を題材にしてくれて面白い
宗教改革で、宗教画がかけなくなったから静物画や風景画が生まれた
動産、不動産としての絵画
ギルド(教会」vs王室
職人と作家、アカデミア
正面は聖なるもの
横顔は永遠、記念碑的なもの
斜め向き自然体、親近感→モナリザで完成
批評家がフランス美術に反映をもたらした
美術を売る戦略、面白かった
Posted by ブクログ
名作が生まれた裏側にあるビジネス戦略
販売戦略、マーケティング戦略、メディア戦略、広報戦略、政治戦略、写真すらない時代において、美術はその手段であり、目的であり、商品であった
とまぁ、名作を見る目が変わる一冊
Posted by ブクログ
美術を商品としてとらえ、その売り方が
歴史とともに変動する、と教えてくれる本。
宗教が強ければ、宗教画が
教会から注文される。
その場合、教会の権威のプレゼンテーションと
して、絵画が使われる。
王宮が強ければ、王宮画が王宮から注文される。
これも、王族の権威のプレゼンテーションが
求められる機能。
教会や王宮に権威がなくなると、市民に売る
ことになる。
受注生産ではなく、見込み生産。
市民が入り込めるように、民衆や、
風景が描かれる。
成金がでてくると、客をその気にさせるため
金縁の額にかざり、客を貴族かのように
扱い、高値でありものを売る。
美術をこういう観点で理解するのも、
面白いな、と思う。
Posted by ブクログ
ヨーロッパの美術の歴史を、世界の経済、社会情勢から解説した一冊。
ダ・ヴィンチやレンブラント、フェルメールなど巨匠と言われる作家たちの置かれていた状況や、何故彼らの歴史に残る作品が生まれたのかなど、理解できました。
Posted by ブクログ
絵画は生活必需品ではないので、画家が生活するには、それを支える経済的な仕組みがあるはず。この視点から、ダビンチやフェルメール、レンブラントや印象派の背後にあるビジネス戦略を解き明かす。
マルチン、ルターの宗教改革は、偶像崇拝を禁じ、それまで教会が宗教画を発注してた画家たちが食えなくなった。そこで画家たちは、当時、貿易で経済力のあった市民が買うことで、盛り上がっていった。フェルメールは、パン屋の代金代わりで、店に飾るポスター的な絵画だったとか。
Posted by ブクログ
2023.02.22 とても興味深く、面白く読ませていただいた。美術品も商品であるわけで、であればその背景には必ずビジネスの側面がある。そこが時代の変化、技術の発展とともにどのように推移したか。とてもよく分かった。興味深い内容であった。
Posted by ブクログ
西洋絵画の裏歴史というべきか、画家や作品ではなく世界史から絵画の道具、さらには政治やビジネス戦略から絵画を見るとこうも切り口が出てくるのか、とワクワクした一冊です。
元々は宗教画など崇高で神聖なものとされた絵画は、宗教改革や偶像崇拝の禁止の影響で大口取引だった教会や聖職者を失い、あらたな消費者として市民へ間口へ広げていった。一方で富豪のメディチ家は自身のもうけによる罪から逃れるために、芸術への支援を行いそれが現在のアートにもつながった。
こうした歴史背景から絵画がどのように利用されていったか、続く章で考察されていきます。
絵を描くためのキャンバスの誕生が芸術に与えた影響。
ナポレオンの芸術を利用した政治戦略。
アメリカの台頭と印象派の画家たちの活躍。
そして芸術家たちのブランド化、メディア戦略と権威化。
画家や技法の変遷をたどるだけではみえてこない芸術史が見えてくるのです。
芸術となると画家や作品が前面に押し出されるイメージがあったので、世界史や当時の世相などを交えて芸術史が紐解かれていくのがとても新鮮でした。少しひねくれた視点から西洋美術をみる入り口としてうってつけの一冊だったと思います。
Posted by ブクログ
【ビジネス戦略から読む美術史】 西岡 文彦 著
編集者が付けたタイトルと思いますが、内容からすれば「西洋史における美術」という感じです。
プロテスタントが偶像崇拝を禁じたことから商業絵画がオランダで開花。当時、「家政は国政の礎」とされて、家政婦の社会的位置づけは高く、フェルメールが「牛乳を注ぐ女(家政婦)」を描いて、パン屋の広告に使われたという話から、ダ・ヴィンチ、ナポレオンなどの史実を踏まえて、19世紀ころまでの西洋史(+米国史)を新書サイズに一気に書き上げた内容になっています。
読んでいるうちに、「これ、歴史の本じゃないの?」と思うときもままあり、金利の話やそれによるユダヤの位置づけなど、美術とはそれますが、とてもわかりやすく書かれています。
歴史と絵画との大きな流れをつかむことができて参考になりました。高尚なウンチクを語るにはお薦めの一冊です。
Posted by ブクログ
多摩美術大学教授で、テレビの美術系番組の企画も行う著者による、ビジネスの視点に立った美術史。西洋絵画を主体に、単に画家や美術作品そのものを評価するのではなく、ビジネスの視点から画家やそのオーナーなどが成功を収め、需要に応えることによって宗教画や自画像、印象派の絵画へと移っていったことを説明している。フェルメールもレオナルド・ダ・ヴィンチもレンブラントもビジネス的に上手く時代にはまったからこそ、現在でも高価な値がつく作品を残せたことに納得した。美術には素人である私でも興味深く読み進められた。勉強になった。
「フェルメールのように無名の少女や家政婦を主人公にした絵は、宗教改革が宗教絵画を禁止したことを機に描かれはじめた。モネが得意とした風景画や、ゴッホがひまわりを描いた静物画も、その時期に人気を呼んだ新種の絵画だった。驚くべきことにそれ以前のヨーロッパには風景画も静止画も存在していない。これらの絵画は、教会という大スポンサーを失った画家達が、生活のために市民顧客に売れる絵を描き始めた結果として生まれたのである」p4
「美術の経済的な側面にまつわる話題は芸術性に反するように見なされがちだが、もともと美術というものは、経済的な余剰が存在しないところには決して存在しない」p4
「驚くべきことには、「十戒」の戒めを最も厳格に守ったプロテスタント国のオランダがレンブラントとフェルメールという当時を代表する巨匠を生み出し、近代には印象派を代表する天才ゴッホを生み出し、現代には抽象絵画の開祖にして最高峰の巨匠といわれるモンドリアンをも生み出しているのである」p16
「教会を飾る絵画彫刻やステンドグラスは、神の権威と教会の権力をプレゼンテーションするために製作されたものであり、教会と並ぶ美術のスポンサーであった王室にとっても、宮殿を飾る美術は王の権威と権力をプレゼンテーションするためのものだった」p19
「今日では名画と聞けば誰もが思い浮かべる静物画や風景画は、当時のオランダで確立されたジャンルであり、それ以前のヨーロッパ美術にはこうした絵画は見当たらない。ルネッサンスの巨匠であるボッティチェリやダ・ヴィンチやミケランジェロが描いたとされる静物画や風景画が残されていないのはそのためである」p25
「西洋の風景画といえば風車がつきものとなっているのも、もともと風景画がオランダで誕生したからである」p28
「写真技術が登場する以前に人々が絵画に期待していた手法といえばもっぱら写実描写のみであった。写真のない時代における絵画は、今日の私たちが写真に求める画像による記録という機能を果たし得る唯一の技術であり、したがって写実を拒否した絵画などは絵画と見なされなかったのである」p39
「(ヨーロッパと東方を結ぶイタリア商人)現金で支払わずに決済が可能な為替というシステムや、利益と損失の関係の正確な把握が可能な複式簿記のノウハウを確立して会計実務の技術革新を行ったのがイタリア商人であり、やがてヨーロッパ経済は彼らによって独占的に支配されることになる」p49
「国によっては19世紀までローマ数字を会計帳簿に使っていたのに対して、イタリア商人は12世紀にはアラビア数字を導入、複雑な計算が可能なこの数字システムを活用して、経理技術を飛躍的に発展させることになった」p52
「キャンバスは絵画の代名詞として用いられるほど一般化しているが、この布製の下地材の登場は、絵画というものの存在を根本から変える大事件であった。木の枠に釘で貼るだけですぐに絵を描くことができ、軽量であるために大画面の作品も丸めて運搬できるキャンバスは、絵画という芸術に、描く場所や飾る場所を選ばないという画期的な機動性と流動性をもたらすことになったからである」p68
「ミラノ公に問いただされたダ・ヴィンチは、画家はなにもしていない時にこそ多くの仕事をしているものだと答えている」p74
「デュラン・リュエルが販売に着手した時点では、印象派の作品は人々の理解を超えた前衛芸術でしかなく、当時の新聞「フィガロ」は印象派の絵を評して猿の落書きか猫がピアノの鍵盤の上を歩いて出す音のようなものだと酷評している。市場価値は皆無に等しく、タダ同然の値段でも買い手のつかない絵だったのである」p171
「フランス絵画というアメリカ人が憧れてやまない伝統の象徴であると同時に、新時代の市民生活を賛美するという二重の効用によって、印象派の絵画はまさに新大陸の新興富裕階級にはうってつけのステータス・シンボルとなったのである」p191
Posted by ブクログ
ちょっと難しかった。
「リモートワーク」とか、なんか強引に、
最近のワードを使ってくるのも、
なんかな…という感じがした。
でも、印象派の話とか、
知らない事が多くて、勉強になりました。