あらすじ
英語を初めて学んだ時、文の構造の違いや動詞の活用などに戸惑われた方も多いだろう。しかし世界には、単語を入れ替えさえすれば文意が通じる言語が多数存在する。ウラル・アルタイ語族に属する朝鮮語、トルコ語、フィンランド語、ハンガリー語、モンゴル語などだ。これらの言語は、文の構造ばかりか表現方法、つまりものの感じ方までもが共通している。このことから、言語を軸に連帯をはかろうとする運動、ツラン主義が一九世紀にハンガリーで現れた。それは虐げられた民族からの異議申し立てであり、その水脈は今も生き続けている。
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Posted by ブクログ
ウラル・アルタイ語――ハンガリー語もフィンランド語も、トルコ語もモンゴル語も、朝鮮語も日本語もこの仲間。本書はウラル・アルタイ語の類縁関係の発見と研究の歴史をたどる。英語や印欧語からものを見ることに慣らされてしまった者(たとえば私)にとっては、発想(視点)の転換を迫られる。ウラル・アルタイ語から世界史を見直してみることもできそうだ。
田中「節」は健在。ほかの研究者への棘、ちょっとした脱線、そして個人的なエピソードが織り交ざる。随所に挟まれるトリビア、これが堪らない。
ただ、ツラン主義の章はついていけなかった。本書のタイトル『ことばは国家を超える』はこの章に由来する。
アルタイ語にはラ行が語頭に来る単語がない。あっても、それは外来語。日本語もそうなのか? 早速、広辞苑。ほんとだ。ラ行はカタカナ語か漢語しかない!
Posted by ブクログ
言語学を初めて学習する学生にとっても役に立つ本である。印欧語だけの言語学ではない、ウラルアルタイ語への視点を与えてくれる。そして、国語学、日本語額の学生にも新たな視点を与えてくれるであろう。
はじめての言語学の本としてもお勧めである。卒論として基本書となるかどうかはわからないが、新しいテーマを探す手段のひとつとはなるであろう。
Posted by ブクログ
言語学についてまったく無知な自分からすると、知らないことばかりなのでトリビアルなおもしろさはあるが、新書の語り下ろしということもあり、雑多な内容ではある。田中本人の学生時代の思い出話や学会でのいざこざなど、それはそれでおもしろいけれども、不要に思うひとには不要だろう。いずれにせよ入門書のようなものなので気軽に読める。
ロシアにはクマを表す単語が実証されていないという話(メドヴェーチと呼ばれるが、これはメド=はちみつ、ヴェーチ=食べる者、を足したものである)、フンボルトの言語類型論(特に屈折系について多く語られる)、田中がモンゴルの学会でクルマースというドイツの言語学者に「外国語の悪口を言ってはいけません」と咎められた話、戦後間もない日本の言語学の思い出話など、いろいろと話題は多岐にわたる。
本題の内容も当然含まれるが、ざっくりした概観を示すくらい。