あらすじ
西欧中心のローマ史観を根底からくつがえす
「ローマ史は五賢帝時代がピークで、あとは下降線」。世界史を学んだ人が抱くこんなイメージは、18世紀イギリスの歴史家エドワード・ギボンが印象的に描き出したもので、日本にも広く知れ渡っている。しかしそろそろこうした「西ヨーロッパ中心主義」を解体する時期ではないか――期待の俊英が、ローマが2000年続いたのは東側に機能的な首都・コンスタンティノープルを作ったからだとし、勅令や教会史に現れる「儀礼を中心とした諸都市の連合体」としてのローマ帝国像を生き生きと描き出す。コンスタンティヌス帝やユスティニアヌス帝ら「専制君主」とされる皇帝たちは、本当は何に心を砕いていたのか? 最新研究を踏まえた驚きの古代史!
[目次]
はじめに
第一章 コンスタンティノープル建都
第二章 元老院の拡大――コンスタンティヌスの発展的継承
第三章 移動する軍人皇帝の終焉
第四章 儀礼の舞台――変容する皇帝像
第五章 合意形成の場としての都
第六章 都の歴史を奪って
おわりに
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Posted by ブクログ
ローマ帝国の中心が、何故、いつから東へと移り、西ローマは滅びたのか不思議に思っていた。西ローマはイタリアとガリアの統一が上手くいかず、僭称皇帝の乱立が続いたことから東ローマが介入せざるを得ず、結果皇帝を擁立しないことで介入を防ぐ選択をとり、西ローマが滅亡というのは意外だった。ユスティニアヌス一世のイタリア遠征とその後の混乱がローマの荒廃を招き、結果ローマという名の首都の座をコンスタンティノープルに譲る結果になったというのは皮肉なものだ。ローマの鍵シリーズのファンとしても、切ない。
Posted by ブクログ
3世紀から10世紀までの西洋史は空白といってよいのではないかと思う。その前半期間を本書は取り扱っているが、コンスタンチノープルが「第二のローマ」として認識されていく過程が詳述されていて、非常に興味深い。
Posted by ブクログ
コンスタンティノープルはいかにして「首都」となっていったのか――その建設から7世紀までを扱う。
伝説で語られがちなコンスタンティヌス大帝とコンスタンティノープルの関係だが実態はどうだったのか。キリスト教におけるコンスタンティノープルの地位の上昇はどのような経緯で達成されたのか。宮廷がコンスタンティノープルに固定されたのはなぜか。後世、ローマ帝国の滅亡と呼ばれる476年の出来事の意味は何であったのか。東ローマが長く続いたのはなぜか、などなどその内容は目から鱗。
「ローマの滅亡」として語られがちな時代を問い直す一冊。