あらすじ
「怖い絵」シリーズなどで絵画鑑賞に新たな歓びを提示してきた著者による、
知的ユーモアにあふれ、ときにスリリングなエッセイ集。
『怖い絵』や『名画の謎』シリーズで絵画鑑賞に新たな視点を提示した著者は、芸術を、人を、どのように洞察するのか?
名画との衝撃的な邂逅や、一見穏やかに見える日常から掬い取るおかしみと歓び。
「絵を買う人々」「夫たちの怖い秘密」「幸運の前髪」「異類婚の哀しみ」等を収録した初のエッセイ集が文庫オリジナルで登場!
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Posted by ブクログ
950円
247P
メーリアン、
中野京子さんのファンだから、中野京子さんの本30冊ぐらい買った。ほぼ文庫か新書になってるから、1冊単位が安いから有難い。
この本は敬愛する中野京子さんの読んでる本が知れて最高だった。やっぱり幼い頃から活字中毒らしい。
ヨーロッパの部屋の照明が暗い理由って瞳の色が違うから、ヨーロッパの人にとっては別に暗くはないって事実初めて知った。私は碧眼ではないけど、日本の照明明るすぎる気がして苦手なんだよね。特に蛍光灯の白い光が疲れるから好きじゃない。家帰ったら目を休めたいから真っ暗にしてた。
私もやたらとゴッホを生前評価されなかったからみたいな感じで同情と判官贔屓的に人気がある感じあんまり好きじゃない。ゴッホはドラマが付加されて皆それを見てるだけなんじゃないかと思ってる。ルーヴルで自撮りしかしてないおめえらは、ちゃんと作品を公平に見てるのかな?
中野 京子
(なかの きょうこ、生年不詳)は、日本の作家[1]、ドイツ文学者[2]、西洋文化史家、翻訳家[3]。北海道生まれ[4]。1979年、早稲田大学大学院修士課程修了[5][6]。オペラ、美術などについて多くのエッセイを執筆する。2007年に発表された『怖い絵』を端緒とする『怖い絵』シリーズが大ヒットとなる。新聞や雑誌に連載をもつほか、テレビの美術番組にも出演する[7][8]。早稲田大学講師[9][10]。『怖い絵』シリーズの刊行10周年を記念して2017年に開催された「怖い絵」展では、特別監修を務めた[11][12][13]。2021年9月に開催された「怖いクラシックコンサート」(東京文化会館)での解説[14]、2022年3月公演の舞台「怖い絵」の監修[15][16]、同年7月上映の「星と怖い神話 怖い絵×プラネタリウム」の監修・解説を担当した[17][18]。
「ロシアを訪れたのは、 2001年(あの 9・ 11事件は帰国の翌日だった)。「チャイコフスキー」と名付けられた飛行機で、夕方モスクワへ到着。ホテルは「赤の広場」の近くだったので、その足で聖ワシーリー大聖堂を見に行った。ライトアップされた玉ねぎ坊主頭の教会は幻想的で、建築を命じたイワン雷帝が、二度とこのような美しいものを造らせないようにと設計者の眼を潰した、との伝説が生まれたのも無理からぬ、と思えるほどだった。 そのイワン雷帝を描いたレーピンの傑作は、トレチャコフ美術館所蔵である。なのに当時のわたしはなぜか勘違いし、ペテルブルクのエルミタージュ美術館蔵とばかり思い込んでいて、トレチャコフへは、ルブリョフ作品を目当てに出かけた。」
—『そして、すべては迷宮へ (文春文庫)』中野 京子著
「新しい芸術は新しいパトロンのもとで生まれるという。だがもちろん、新しい芸術が逆に新しいパトロンを産むこともある。 19世紀後半、フランスで起こった印象派の絵画革命がその好例だ。 当時、画家が絵だけで自活するには、アカデミー会員(美術学校の教授や批評家など)に認められ、毎年の国家行事たるサロン(官展)で作品を展示してもらう必要があった。サロンの常連となれば、美術館やブルジョワジーが高値で購入してくれる。 誰もがサロンを目指した。けれど応募しても応募しても落選ばかりの貧乏画家たちは、ついに結論を出す。アカデミーの好む絵と自分たちが追求する絵は違う。違う土俵で勝負はできない。自主発表会(後に「印象派展」と呼ばれた)を毎年開き、購買者を開拓しよう。」
—『そして、すべては迷宮へ (文春文庫)』中野 京子著
「18世紀末まで、彼女の作品を所有することがステイタスシンボルとされた。ところがその後、分類や解剖こそ正しい科学的態度とみなされはじめ、同時に美術と科学が完全に分離したことで、名声にかげりがさしだした。パイオニアとしての業績は故意に無視され、解説文中の巧みな比喩──「おむつをした赤ちゃんのよう」「シャツをくるんと脱ぐみたいに脱皮」──が、およそ科学的でないと冷笑された。 そこには明らかに、〈女は科学と無縁である〉と主張したがる意図が働いていたのだが、こうして研究者としての価値がおとしめられるとともに、画家としての彼女も忘れられていった。 そしてまた新しい時代の波がきた。 20世紀後半からメーリアンの絵は、芸術と科学の幸福な合体と再評価されはじめている。自然を丸ごととらえるその捉え方も、現代の環境問題に対する意識とリンクしていよう。彼女の作品が日本でももっと多くの人の目に触れることを願ってやまない。」
—『そして、すべては迷宮へ (文春文庫)』中野 京子著
「イギリス風景画の巨匠ターナーは、今も本国で絶大な人気を保持している。 2005年に BBCラジオがおこなった「イギリスで見ることのできる最も偉大な絵画は何か?」というアンケートで──ベラスケスやルーベンスを差し置いて──約 12万人の回答者による第 1位作品が、『解体のため錨泊地に向かう戦艦テメレール号』だった。ターナーの色彩家としての頂点を示すばかりでなく、イギリス人好みの物語的要素をも含む代表作である(拙著『運命の絵』参照)。 落日の中、大型帆船テメレール号が曳航されてゆく。昔日のトラファルガー海戦においてナポレオン軍から勝利をもぎとった、いわば英雄艦。しかし時の流れとともに老朽化し、ついに解体が決まる。幽霊船のように影の薄いテメレール号を曳くのは、小さな、だが黒々と力強い近代的な蒸気船だ。盛大に炎と煙を上げている。当時の新聞は本作をこう評した、「まるで一人の人間の晩年を見るようで、痛切きわまりない」。」
—『そして、すべては迷宮へ (文春文庫)』中野 京子著
「ターナーといえば、旅である。頑健そのものの体力にものをいわせ、一日 30キロ以上歩き続けて疲れを知らなかった。 10代から最晩年までの 60年近く、毎年必ず長期の旅に出た。国内はもちろん、スコットランド、アイルランド、スイス、フランス、オランダ、イタリア、ドイツ、オーストリア、チェコ……気に入った町は幾度も訪れた。スケッチ帖は膨大な数になる。当時はもちろんまだ戸外での油彩制作はできないので、鉛筆やペン、時に水彩で写生し、帰宅してからアトリエで記憶を頼りに自然光の移ろいを再現し、景色を再構成したのである。 アルプスの威容を目の当たりにした成果は、『吹雪──アルプスを越えるハンニバルとその軍勢』に結実した。自然の非情を前に人間の営みなど全く無力であることが、圧倒的迫力で描出される。古代の英雄ハンニバルを背に乗せた戦象も豆粒ほどだ(この象を探す楽しみも鑑賞者に与えられている)。」
—『そして、すべては迷宮へ (文春文庫)』中野 京子著
「ルーベンス( 1577─1640)が「王の画家にして、画家の王」と讃えられたのは、ヨーロッパ中の王侯貴族がこぞって彼の絵を欲しがったからであり、また 17世紀バロック時代に王者のごとく君臨したからだ。 さらにルーベンスは「幸せな画家」とも呼ばれた。人好きする容姿、貴族的立ち居ふるまい、温厚な人柄、円満な家庭、努力を厭わぬ精神、 7カ国語をあやつる語学力、古典の素養、優れた経営能力、契約の順守と迅速な仕事ぶり、何よりその輝かしい画業! こうした多才ぶりから外交官としても活躍したし、おおぜいの弟子や助手を抱える彼の大工房は巨万の富を生んだ(残された資料から、ルーベンス工房は弟子志願者を 100人以上断ったほどの人気企業だったとわかる)。作品への評価は生前も死後も全く変わらず、欧米のルーベンス所有者が所蔵品を誇るのも当然だろう。」
—『そして、すべては迷宮へ (文春文庫)』中野 京子著
「 学生時代、ドイツ留学中の友人宅にしばらくやっかいになったことがある。そこは古い集合住宅で、エントランスはいつも薄暗かった。おまけに階段部は常に消灯してあり、階上へのぼるときは壁のスイッチを押さねばならない。スイッチを押すと天井の電気が、やはり薄ぼんやりと点くのだが、 2階分ほど上ったあたりで自然に消えてしまう。そこでまた壁を手探りしてその階のスイッチを押し……と、くり返してやっと 5階の彼女の部屋へ辿りつく。 不便といったらありはしない。 同じ建物で顔見知りになったドイツ人に、スイッチの場所が見つけにくくて困りますよね、と挨拶がわりに言うと、そんなことはない、このやり方は合理的だ、と返事がかえってきた。さすがケチと名高いドイツ人だけあると感心した。 それからずいぶん月日が流れ、知人のドイツ人が我が家へ遊びに来た。夕方になり、室内にも闇が近づいてきたので電気を点けると、まだ外は明るいのにもったいない、フロアスタンドだけで充分だと言われた。他人の家の電気代まで考慮してくれるとはさすがドイツ人、と以前と同じ感想を持った。」
—『そして、すべては迷宮へ (文春文庫)』中野 京子著
「たまたま医学雑誌をめくっていた時だ。アジア人の黒い眼と欧米人の青い眼の違いについて書かれていた。彼らは暗い照明でも平気なのだという。いや、「暗い」というのは我々黒目の人種が感じるだけで、彼らにはちっとも暗くない。彼らにちょうどよい明かりは我らに暗く、我らにちょうどよい明かりは、彼らには眩しいのだ! なんだ、そんな単純な話だったのか! 大人の雰囲気だの、ロマンティックだの、そんなものはこちらの思い込みで、彼らにはあたりまえの明るさというにすぎなかった。どうしてもっと早く気づかなかったのか。だいたい青い眼の一族は太陽の眩しさに耐えきれず、真夏はサングラスをかけている。一方、黒い眼の一族たる我々は、ぎらつく日の下で存外平気だ。そのことはとっくに知っていたのに、室内照明にまで思い至らなかったのが口惜しい。薄暗い欧米ホテル、イコール高級感、との刷り込みが強烈だったからに違いない。」
—『そして、すべては迷宮へ (文春文庫)』中野 京子著
「19世紀末のパリ。小高いモンマルトルの丘では、かつての僻村の名残たる風車をトレードマークにしたキャバレー「ムーラン・ルージュ」(「赤い風車」の意)が大勢の客を引き寄せていた。人々は着飾って酒を飲み、ホールで踊り、娼婦を物色した。何より熱狂したのは、プロのダンサーたちが踊るダイナミックで猥雑なシャユー( =カンカン)だった。 開店はエッフェル塔が建設された年と同じ、 1889年。 2年後にはロートレックのポスター『ムーラン・ルージュのラ・グリュ』が発表されて大評判となり、店の人気に一役も二役も買った。「ポスターを芸術の域へ高めた」と讃嘆されたこの 4色刷リトグラフは、文字、人物、色彩の配置が大胆、かつ斬新で、今なおデザイン性の高さと魅力を失っていない。 中央で足を高く上げ、スカートをひるがえして激しいカンカンを踊るのが、タイトルのラ・グリュ(「大食い」の意)。モンマルトルのスター・ダンサーだ。手前には相手役の特異なシルエット。極端な鷲鼻、突き出た顎、山高帽をかぶり、どこかくねくねして見える。彼もまたダンスの名手として知られていたが、どれほどアクロバティックに踊ったかは、そのあだ名を聞けば想像できる。「骨なしヴァランタン」というのだった。 本ポスターで一躍脚光を浴び、その後も骨なしヴァランタンを何度か描いたロートレックは、自身、骨に難を抱えていた。」
—『そして、すべては迷宮へ (文春文庫)』中野 京子著
「正式名は、アンリ・マリー・レイモン・ド・トゥルーズ゠ロートレック゠モンファ。 8世紀のシャルルマーニュ(カール大帝)時代までさかのぼれるほど、名門中の名門伯爵家の御曹司。おそらくプロの画家としては、空前絶後の身分の高さだ。領地管理は別として、実質的な労働で金銭を得るのは恥と思う大貴族が、いったいどうして画家になったかといえば、これまた骨に関係している。 ロートレックの身長は、せいぜい 152センチ程度。ただし生まれつきの小人症ではない。上半身はごく普通の成人男性なのに、下半身がまったく成長できず極端に短い。写真も残っており、尊大な父親にとっては期待外れの息子だったろうし、本人も階級と身体の齟齬に激しく悩んだはずだ。何しろヨーロッパでは、日本のいわゆる「蒼白きインテリ」の存在は認めず、エリートは頭脳明晰と頑健な肉体がセットというイメージがある。背の高さは地位身分の証なのだ。そこから外れるのは辛い。 しかしロートレックの場合、まさにその不幸のおかげで自由を得、好きな絵の道へ進むのを許された。もし彼が普通の体格であったなら、伯爵として長生きはしても歴史に名は残らず、フランス美術史も欠落感を覚えたことだろう。」
—『そして、すべては迷宮へ (文春文庫)』中野 京子著
「ロートレックの年表では、 14歳で椅子から落ちて左大腿骨骨折、 15歳で道端の溝にはまって右足を骨折し、以後成長が止まったと書いてあることが多く、転倒が原因のように誤解されがちだが、そうではなく、逆だ。濃化異骨症に罹患していたため、骨折しやすかったのだ。これは常染色体異常による、きわめてまれな遺伝性疾病であり、名家に多い血族結婚が(連載第 1回で書いたハプスブルク家と同じ)原因とされる。ロートレックの両親も従兄妹婚であった。 肉体的ハンディにより上流階級に溶け込めず、中産階級にも溶け込めないロートレックは、ダンサーや娼婦、サーカス芸人といった下層階級に受け入れられた。彼らもまた自分の居場所に違和感を抱く人々だったから、互いを理解しやすかったのかもしれない。ほかの画家なら踏み込めないような彼らの日常へ深く入り込み、裸の下半身をさらして性病検査に並ぶ娼婦や、レズビアンの生態までも生々しく描いた。達者な絵筆でリアルに表現されたそれらの作品は、当時のパリの深い闇の部分を容赦なく抉る、まさにゾラの小説の絵画版といったところだ。 ロートレックは長生きできなかった。毎夜の深酒が肉体を蝕んでゆき、アルコール中毒と梅毒で 36歳の短い命を終える。」
—『そして、すべては迷宮へ (文春文庫)』中野 京子著
「 ヨーロッパではこのようなヴァニタス絵画が山ほど描かれてきた。全人口の 3分の 1を死滅させた中世のペスト禍の影響が大きいと言われる。そしてこうしたメメント・モリ( =死を忘れるな)には、必ずといっていいほど骸骨ないし頭蓋骨が登場する。絵画ばかりでなく、実物の骨を大量に飾った骸骨寺も各地にあるし、書斎に頭蓋骨を置物とするのが流行した時代もあった。日本人としては「死者を冒涜しているのでは」と驚くほかないが、彼らに言わせると遺体を焼却するほうが残酷の由。」
—『そして、すべては迷宮へ (文春文庫)』中野 京子著
「かつて「働く女性」が軽蔑されていた時代があった。働くのは働きたいからではなく、働かねばならない惨めな境遇だからと考えられていた。男性に頼らず自立したいとか、自己実現を目指して、などという女性の思いは歯牙にもかけられなかった。 そんな風潮が殊のほか強かった、イギリスはヴィクトリア朝時代。がちがちの階級社会の上層に位置した女性たちは、父の財産に守られて育ち、次いで夫の財産に守られて暮らし、最後は夫の遺産に守られて余生を過ごすのが「真っ当な道」と強制された。許されるのは、ボランティア活動に限られていた。 富裕なジェントリー階級ナイチンゲール家の次女フローレンスが、看護婦になりたいと夢を語ったとき、周りの誰ひとり本気にしなかったのも無理はない。まして当時の看護婦といえば、何の知識も技量もいらない末端の召使であり、不潔で下品な飲んだくれの老女、と見做されていた。事実、老いた娼婦が看護婦になる例が多かった。「白衣の天使」というイメージは、まだどこにもない。それは他ならぬナイチンゲール自身が、このさき創りあげてゆくイメージなのだ。」
—『そして、すべては迷宮へ (文春文庫)』中野 京子著
「総じて日本人は宗教問題に関心が薄く、世界史の授業でもカトリックとプロテスタントの違いについて詳しく教えない。両者が何世紀にもわたり、文字どおり血みどろの戦いに明け暮れていたことなども、さらりと触れる程度だ。まして暦にまで影響を与えた事実は教科書にも載っていない。少なくともわたしは高校の授業で習わなかった……気がする。」
—『そして、すべては迷宮へ (文春文庫)』中野 京子著
「現代日本人アーティストとしてもっとも国際的に活躍し、評価されているのは村上隆氏だろう。『五百羅漢図』に見られるように、魅力的だがきわめて癖のある強烈な作風なので、好き嫌いがはっきりするのはわかる。だが彼を「商売人」と批判する見方には違和感がある。 画家に対するこの言葉からは、三つの意識が透けて見える。一つ目は、商人は画家より「偉くない」との、まるで江戸時代を引きずっているかのような士農工商的意識。二つ目は、多くの人に支持される作品は価値が低いとの思い込み。三つ目は、本物の芸術家は──ゴッホのイメージで──世間的成功を目指さない、というロマン。 最初の二つについてはいつかどこかで書くとして、とりあえず三つ目についての誤解を解きたい。 幼児のお絵描きならいざ知らず、いやしくもプロの画家で、自作が売れなくてもよいと思う呑気者はどこにもいない。自作に支払われる報酬の多寡は、評論家の褒め言葉よりずっと自信になる。ゴッホも同じだ。彼は売れないのに描き続けたのではなく、必ず売れると確信して描き続けたのだ。弟テオの画廊を通じ、売るための努力もしている。」
—『そして、すべては迷宮へ (文春文庫)』中野 京子著
「超のつく真面目人間だった伝道師もまた、何とか人々を救いたいと禁酒運動にのめり込む。どうして酒をやめられないのか──当時の一般的な考え方はアルコール依存と犯罪者はイコールで、それは生まれつきだ。しかし彼はそう思わなかった。自分も貧しいので貧しい者の気持ちがよくわかる。連日の激しい肉体労働の後、憂さを晴らさねばやっていられない。では同じ境遇の自分が酒を飲まないのはなぜか。信仰が支えになったから──そう結論づけてしまえば話は終わる。伝道師は冷静に自己を顧みた。辛い日々の慰めになったのは、伝道のためとはいえ各地を歩き巡り、はからずもそれが観光になったからだ。観光は安酒より確実に人を癒やす。 ちょうど汽車が普及し始めていた。彼は自分で鉄道会社と交渉し、自分で広告を打って参加者を募る。使命感にあふれ、行動力に優れ、その上アイディア・マンでもあったのだ。こうしてレスターからラフバラまでの 11マイル(約 18キロ)の汽車旅に禁酒大会というイベントを組み合わせ、往復わずか 1シリング(農民の 1日分の賃料)のパック・ツアーができあがる。車両は屋根なしの吹きさらしで、椅子無しだが、それでも 500人以上の乗客を興奮の嵐にして、ツアーは大成功だった。 上流階級の子弟が何カ月も何年もかけて異国を修学するグランド・ツアーならいざ知らず、下層階級の観光旅行など想像もされていなかった時代である。いかに画期的だったかわかろうというもの。」
—『そして、すべては迷宮へ (文春文庫)』中野 京子著
「そういえば、元タカラジェンヌと雑誌対談をした際、こんな驚きの話も知った。宝塚の演目でギロチンが出てくる場合、その作り物の処刑台に加え剣や銃などもまとめて、舞台上で神主さんにお祓いをしてもらう由。 それもこれも、劇場といういわば一夜の幻を現出させる装置が巨大で複雑で事故も多く、激しい人間感情が渦巻いて凝ってしまった場だからかもしれない。」
—『そして、すべては迷宮へ (文春文庫)』中野 京子著
「恋愛はロマンティシズム、結婚はリアリズム、子育てはクソリアリズムだそうだ。なるほどね。」
—『そして、すべては迷宮へ (文春文庫)』中野 京子著
「物心つくころから活字中毒で手当たり次第に読んできたが、だんだん二通りの読書になってきた。一つは自分の仕事に直結する美術や西洋史関連のもの。もう一つは別世界へワープさせてくれるエンターテインメント。 思えば、人生論を語るエッセーや身辺に題材を取った私小説などは苦手だった。平凡な暮らしを送っているせいで、非日常的作品しか面白いと思えない体質(?)になったらしい。 そんな次第だからフレデリック・フォーサイスは大好物。とりわけ『ジャッカルの日』は寝る間も惜しんで読んだ。」
—『そして、すべては迷宮へ (文春文庫)』中野 京子著
「旅のお供には、いちおう仕事がらみの本を持ってゆく。ただしそうした本には眠りの精がくっついているらしく、数ページ読むと必ず瞼が重くなる。それを見越してミステリか SF小説も鞄に詰めるが、新作だと当たり外れが大きすぎるから既読本も用意する。これでようやくセーフティーネットは万全だ(読む本がないとパニックになってしまう)。 幾度アガサ・クリスティーのお世話になったことだろう。彼女の作品は中学時代から愛読し、今でも書棚に文庫がずらりと並ぶ。その中のどれかを持ってゆけば間違いない。 推理小説のほとんどは一度読めば十分なのに、ミステリの女王の場合、犯人がわかっても謎が解けても読み返したくなる。どこで自分が騙されたか、検証せずにおれないからだ。」
—『そして、すべては迷宮へ (文春文庫)』中野 京子著
「『シャガール』(ジャッキー・ヴォルシュレガー 安達まみ訳/白水社) 本書は気鋭の女性美術評論家による、シャガールの本格的評伝。英国スピアズ・ブック・アワードを受賞しており、一級資料としての価値はもちろん、読みものとして実に面白い。シャガール・ファンばかりでなく、彼の絵にさほど興味ないという人にもお勧めの一冊だ。カラーを含め、図版も約 200点と充実している。 シャガールは帝政ロシアの片田舎、ユダヤ人特別強制居住地区に生まれた。二流国民と差別され、家庭は極貧、両親はほとんど読み書きできず、血族にただのひとりも社会的成功者はいない。これはアンデルセンなどにも共通し、彼らは 1発の巨大な花火として、それまでの何世代にもわたる闇夜の埋め合わせをしたのだ。天才の出現というのはまこと興味の尽きないものがある。」
—『そして、すべては迷宮へ (文春文庫)』中野 京子著
「関わった多くの芸術家とのエピソードも豊富だ。とりわけピカソとの、互いに笑みを浮かべたままの嫌み合戦は血まみれの相打ちといった様相を呈し、シャガールの意外な一面を強烈に示す。また彼は──母親に溺愛された長男にありがちだが──どんな局面でも自己肯定と楽観は揺るぎない半面、女性は自分に奉仕して当然とばかり利用し尽したという。 著者はシャガール絵画の唯一無二の個性を愛しながら、後期作品についてはやや口が重い。ピカソやマティスのように、死ぬまで自己変革し続けてほしかったのかもしれない。 85歳のシャガールが、破壊されたとばかり思っていたロシア時代の自作を前にこう言うとき、読むほうも切なさに胸が疼く──「わたしは優れた画家だったろう? あのころは、信じがたいほど若かった! これらの作品は魂で描かれている」。」
—『そして、すべては迷宮へ (文春文庫)』中野 京子著
「この分析については、今後さまざまに検証されてゆくだろう。賛否両論あるはずだ。しかしその一途な研究者魂には敬意を表さずにおれない。イギリス人の彼女は成人してからフランスへ移住し、職を転々としながらゴッホにのめりこんでいったという。経歴はどこか謎めき、ゴッホと何らかの共通点があるのではないかと読み手は想像してしまう。 それはさておき、膨大な資料を読み込んでゴッホ時代のアルルの住人 1万 5000人ものデータベースを作成したマーフィーは、 19世紀フランスの因習的な田舎町に、オランダからやって来た赤毛の異邦人がどんな存在だったかを浮かび上がらせる。 訳者の山田美明氏が言うように、本書の真の価値は「当時のアルルの生活や社会状況を克明に調べ、それを通じてゴッホを血の通った人間として描き出した点にあると思う」。」
—『そして、すべては迷宮へ (文春文庫)』中野 京子著
「異様な犯罪者の心理が丹念に描かれる。この種の人間はいっさい他者を理解しようとはしないが、追う側は彼を理解しなければならない。行動パターンをなぞり、彼の感じたであろうおぞましい恍惚をも想像し、次の行動を予測して犯罪を阻止せねばならないのだ。 とりわけ主人公の捜査官は共鳴性が高く、犯人の眼で見るという特殊能力が備わっていた。それだけに魂に傷を負いやすい。ニーチェの言葉にあるように、怪物と戦う者は自身も怪物になりかねない。深淵を覗けば、深淵もこちらを覗く。」
—『そして、すべては迷宮へ (文春文庫)』中野 京子著
Posted by ブクログ
あ、面白い♪くすっと
笑えるし絵画に対する
深い造詣は流石の一言。
なんでこれまで著者の
本を読んでこなかった
んだろうと密かに後悔。
イワン雷帝とその息子
の鬼気迫る表情は見た
瞬間息が止まりました。
書物でも写真でもなく
絵画だから表現出来る
リアリティですね。
仕事がらみの本に眠り
の精がくっついている
という話も同感。
数ページ読むと必ず瞼
が重くなるんですよね
・・・(笑
Posted by ブクログ
エッセー集と言っても、中野京子さんの日常を綴るというよりは、絵画の解説や書評が多く、相変わらず知的好奇心がくすぐられる。どのジャンルの文章も、情熱的でありながら、情景が浮かんで読みやすい名文。
本もよく読まれるようで、若干西洋美術系寄りな選書が面白い。
Posted by ブクログ
1章は絵画で2章が雑記、3章は読書。「おわりに」はあるがいつものこの著者ならあるはずの「はじめに」がない。”読む覚悟”と”心構え”ができずにいきなりエッセー集に入る。軽い。1つ1つが短い。覚悟などいらない。勿論、いつもの中野節で”クスっと”笑わせてくれる。ページは進むよ、スイスイと。素直に面白い。行きついた最後のエッセーは「わたしの始まりの一冊『名画で読み解くハプスブルク家』」。売れ始めた最初の一冊。それまで全然売れていなかったという。この人が売れない本を書けたなんて、今となってはそちらの方が不思議だ。
Posted by ブクログ
「怖い絵」で大ブレイクした著書の初のエッセー集。エッセー集と名乗ってはいるのだが、こう言ってはなんだがエッセーというよりは……雑文集? エッセイもあるが、展覧会の紹介文やら書評やらもありで、いろんなところにいろいろ書いたのをとにかくガサーッと集めました、という趣。
しかしだからといって面白くないというわけではない。文章はほどよく整っていて読みやすいし、絵画だけでなくヨーロッパ芸術全般についての深い知識が惜しみなく供され、へーっ、ほーっ、ふーんと頷きながら楽しむことができる。
残念だったのは、触れられている絵画がすべて図版として収録されているわけではないということ。まあこれは「怖い絵」のような絵が中心の本ではないのである程度はやむを得ない。肝となるような絵はだいたい収録されているので、他にどうしても見たい絵があれば自分で探せる世の中で助かった。
あと、書評に限らず、取り上げられている本に興味をそそられる本が多く、いろいろ読んでみたい本が増えてしまった。
中野京子さんの著作は初めて読んだのだが、こんな感じでスルスル読めるなら他の本も読んでみたいなあと思いました。
Posted by ブクログ
『怖い絵』シリーズなど、美術関連の著作では現在最も勢いのある中野京子さんのエッセイ集。
専門の美術の話だけでなく、日常の話も軽妙洒脱で読みやすい。そう、読みやすい。
本の最後にご自身の「始まりの一冊」に関して述べられているが、なるほど、『怖い絵』は売れるように意識して書いていたのかと納得しきり。だって、読みやすし面白いし。
25/03/04再読
話の魅力は変わらず。ただ、それが主ではないとはいえ、絵画が主題なエッセイではその図版も掲載してほしかった。
Posted by ブクログ
中野京子さんからは教えられることが沢山あります。
絵画を観ることの楽しみが格段に飛躍しました。「怖い絵展」良かったです。『レディ・ジェーン・グレイの処刑 』忘れられない…。
Posted by ブクログ
エッセイ集、美術や西洋史関連の話が多くて、風土や習慣の違いとあわせて書かれていました。読まれた本の感想もあります。色々あるなかで、トーマス・クック、神の道を説く伝道師が畑違いの初の旅行業を立ち上げる経緯は興味深かった。そしてアジア人の黒い眼と欧米人の青い眼の違い、照明の違いには納得して一番印象に残ってます。
Posted by ブクログ
美術から少し離れた日常生活のことや読書のことも含まれていて、中野さんの別の一面を垣間見れた気がする。愛読書というアガサ・クリスティー、自分も読んでみようかな。
Posted by ブクログ
中野京子さんの、今まで新聞や雑誌に寄稿したエッセーをまとめたもの。
第一章が美術関連。第二章が身辺雑記。第三章が書評など、本について。
第一章で取り上げた画家は、レーピン、ルーベンス、モネ、アルチンボルト、ターナー、ベラスケスなど。
「絵画のタイトルを画家が決めるようになったのは近代になってから」という記述が興味深かった。
ルネサンスなど、昔の時代では、特権階級からの受注が主で、内容もタイトルも決まっていた。
それに対し、近代ではモンドリアンの「ブロードウエイ・ブギウギ」などはタイトルの勝利、と述べる。納得。
このように、時代を経て、画家のあり方も、画風やテーマと共に大きく変わっていった。
宮廷画家や工房を切り盛りしていた頃と違い、19世紀末では、印象派のように、画家が一人で活動するようになった。
これがフリーランスの始まりだったのかな。
西洋音楽も宮廷音楽家から、古典派になるとベートーベンのように独立して仕事する人が増えてきた。
美術も音楽も、バロックから古典になると、大きくその立ち位置も変化していったんだろうな。
今まで、中野さんの本は美術解説本しか読んだことがなかったので、新鮮だった。
大学で語学や西洋文化史をかつて教えていたことがあったようで、授業や生徒たちとのクスッと笑ってしまうようなやり取りや、授業の具体的な内容、仕事で朗読することになり練習に苦労したこと等、また、日々の出来事なども語られており、中野さんの意外な一面も知れて面白かった。
最初の方は教鞭をとりながら翻訳書やオペラの本を出すも、初版止まりで全く売れなかったようだ。
しかし2007年の「怖い絵」第一弾で成功を収めたという。その後、ずっと感心を持っていたスペインのハプスブルク家について書いた一冊が、自分の中でのはじまりの一冊になった。これは絶対読んでみようと思った。