あらすじ
誰もが情報発信できる現代、ニュースの〈信用度〉を的確に評価することは、さらに喫緊で重要な課題になった。ニュースの作られ方から陰謀論の構造までを精査する。
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
誰でも情報発信できる時代の情報との付き合い方。
なぜフェイクニュースや陰謀論に振り回されてしまうのか。それはそのニュースが「事実」かどうかを評価するのがとても難しいことだからだ。著者は若い読者に対して情報との付き合い方を伝えようとしている。なるべく一次情報に近いものを得ること、発信元を確認すること、明らかになっていないことに注目すること、未確認情報を適切に扱うことである。
情報の信頼度を評価するには、発信元を意識し、明らかになっている発信元について調べてみる必要がある。匿名の情報は確認が取れないという面で信頼に欠ける。もちろんインターネットの発展が、自由な発信を保障し、それまで報道の自由がなかった世界に風穴を開けて民主主義の背中を押したのは評価される一面である。でも、匿名の発信に責任はないのだ。そこで人はどんな暴走もできてしまう。
しかし事実を元にしたからと言って、真実が伝わっているかというとそうでもない。たくさんの事実の中からどの事実を選び出すかで伝わる全体のストーリーが変わる。特にマスメディアには何を報道するか、記者の判断や会社としての判断が関わってくる。読者が求めている(と思われる)情報を伝えようとしても、それが実際の読者の感覚とズレていることもある。また、メディアの特徴によって選ばれる情報が変わることも、伝わるメッセージが変わることもある。
著者はインターネットが悪いとも、マスメディアが悪いとも言っていない。トランプ大統領や新型コロナウイルスの話題を取り上げ現在に着目しているが、著者が重要視しているリテラシーはそれほど新しいものでもない。発信元の確認、伝達経路の意識、明らかにされていない部分や未確認の情報への想像力、これらは普遍的なリテラシーであると思う。
ただ、以前の知りたいことも知りたくないことも一定の情報を与えられるマスメディアにニュースの入手を頼っていた時代には、業界人にはともかく個人にここまで情報リテラシーは求められていなかった。しかし今は情報の発信も受信も個人が行える。だから個人がそれぞれ知的負荷の高い情報リテラシーを求められている。情報社会にももちろんメリットとデメリットがある。この時代を良いととるか悪いととるかは、どれだけ個人に情報リテラシーが浸透するかによるだろう。