あらすじ
私たちが「現実」だと思って縛られているものから自由になる! 17歳のときに、98歳で死期を迎える自分を設定して楽になった話。「脳の誤作動」である鬱状態に陥ったらどうするか。「半現実」のつくりかた、など目の前の「現実」が違って見え、驚きの世界を体験できる本。文庫化にあたり、最終章「現実創造論」を書き下ろし、さらに健康になる具体的な方法を伝授。
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Posted by ブクログ
『現実脱出論』に補論(「現実創造論」)が追加された増補版なのだが、補論では『現実脱出論』で提示された問題提起に応えるかのように、具体例に「現実さん」と上手にお付き合いしつて、「健康」にサバイブするための方法(=「現実創造」)が提起されていて、これだけでも購入する価値がある。
補論で提起されているのは、自分が「健康」であったときのことを思い出し、その「健康」であったときの「現実」を創造していくことなのだか、筆者によるその実践の具体の提示のしかた(「健康」であったときの「現実」の見つけかた、その分析の仕方、再創造の仕方)もユニークで、考えさせられる。
Posted by ブクログ
「現実を見ろ」「現実は甘くない」といったような説教でよく使われる「現実」を脱臼させ、がんじがらめになってしまった私たちの生きかたに自由の息吹を吹き込もうとする試みがなされています。
現象学や哲学的人間学に通じていれば、もうすこし厳密なしかたでおなじような発想をあつかうことも可能なのかもしれませんが、本書では哲学的な概念に頼ることなく、著者自身の体験にもとづいて、いわば素手で議論を切り開いていこうとしています。著者の知性の膂力を感じさせる本だと思います。
ただ、社会のレヴェルの問題を個人のマインドセットの問題に還元してしまうことにともなう危険性にも、もうすこし目配りしなければならないように思います。なにも松本哉を見習ってイデオロギー的な立場を鮮明にするべきだというつもりはありませんが、個々人が感じている生きづらさは、同時に政治的な問題でもあるという視点は、必要ではないかと考えます。
なお、文庫化にさいして増補された「現実創造論」では、畑仕事に出会って躁鬱病を乗り越えた著者の現状が語られるとともに、「現実」に押しつぶされることのない健康な生きかたを実現するための、著者ならではの提言がなされています。
Posted by ブクログ
新書版(2014年出版)が書かれた時点(2008年に遡るらしい)では著者は確実に「気が狂っていた」と思わざるを得ない。良くこの状態で他者の理解に開かれた文章を書けたものだと心底驚愕する。才能と環境と何より人の縁に恵まれていたのだろう。その希少性は想像を絶するものがある。増補部分(2020年執筆)を読むと少し安定しているようだが、それでも直近の症状から1年に満たないので危うい感じは消えない。
創造と狂気は昔から気になるテーマのひとつではあるのだが、これはその当事者研究者のようだ。
「人に合わせずに、膨大な量を作る、これだけが創造を仕事とする人には重要なことです。(中略)とにかく毎日、作る。(中略)無尽蔵に生まれるくらいの好きなことに毎日3時間くらい集中できるようにする、ということくらいです。大事なことは。」
「食っていけてない人は単純に作っていないだけです。」
「自動的に死ぬまで作り続けることを見つけるんです。(中略)飢え死にしてもいいと決めて、ひたすら夢中でやってみるんです。飢え死にするよりも先に、作品が売れると確信しています。」
全くもって狂気とは縁遠く合理的に作家業を営んでいるように見える森博嗣と同じことを、坂口恭平が言っているのがとても印象的。
躁鬱は浮き沈みがあるので、毎日同じ時間割で生きるのはしんどいのではと思うのだが、逆に生活サイクルの固定化が病状に良い影響を生んでいるのかもしれない。