あらすじ
これは恐らく、現存する最後といっていい土葬の村の記録である。
村人は、なぜ今も「土葬」を選ぶのか?
日本の伝統的な葬式である「土葬・野辺送り」が姿を消したのは、昭和の終わり頃とされている。
入れ替わるように火葬が増え、現在、日本の火葬普及率は九九・九%を超える。
土葬は、日本の風土から完全に消滅してしまったのだろうか。
筆者は「土葬・野辺送り」の聞き取り調査を三十年にわたって続け、平成、令和になっても、ある地域に集中して残っていることを突き止めた。
それは大和朝廷のあった奈良盆地の東側、茶畑が美しい山間にある。
剣豪、柳生十兵衛ゆかりの柳生の里を含む、複数の集落にまたがるエリアだ。
日本人の精神生活を豊かにしてきた千年の弔い文化を、まだ奇跡的に残る土葬の村の「古老の証言」を手がかりに、詳らかにする。
【本書の内容】
はじめに
第一章 今も残る土葬の村
第二章 野焼き火葬の村の証言
第三章 風葬 聖なる放置屍体
第四章 土葬、野辺送りの怪談・奇譚
おわりに
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
京都府の南山城村で行われた土葬の事例をきっかけに、全国各地の(現代の習俗から言えば)風変わりな葬儀に関する風習を集めた本。わが故郷も平成初期まで土葬が残る土地であったので、父母の言い伝えと重なる部分も数多くあり大変興味深く読むことができた。
Posted by ブクログ
消えゆく土葬・風葬習俗の当事者の声を集めることにとどまらず、民俗学の体系の中でその位置付けと意味を考察する。死者を葬送するための儀式に遺族や村落共同体の生者が実務的、あるいは情緒的にどのような関わり方をしたのかがよくわかる。さまざまな意味でバランスがとれた良書。
頭北面西のエピソードからは、宗教的行為からその意味が剥落して民間習俗に浸透していくダイナミズムが伝わってくる。非常に興味深い話だった。
人や共同体の思考様式が合理化すれば消滅するであろう伝統的な土葬の風習が、その最期を迎える前にこのような記録として残ることは望ましいのことのように思う。細かな記法や、節の順序で事実と考察の部分を書き分けている知的誠実さも本書の美点の一つ。
Posted by ブクログ
よくぞ書いてくださった。
とても貴重な歴史的、民族的資料です。
奈良県出身者としてお礼が言いたいです。
祖父母は明治生まれ、昭和30年代の初め頃まで土葬は一般的だったように聞いていました。埋葬地不足で、なくなったのだと思ってました。確かに儀式に要する手間というのは、大変なものでしょう。
それでなくても故郷のお弔いの儀式は、やる事が多い。これからは段々と簡略化していくことでしょうが。
埋葬とは別の話ですが、私の親や祖父母など一族は誰も鶏肉を食べないのです。何故だか誰もわからなかったのですが、この本で氷解しました。
Posted by ブクログ
人は死んだら焼かれて骨になります。
当たり前と思われていますが、それは最近
のことです。日本でも20世紀までは、土
葬が一般的でした。
現在では火葬率は99.9%だそうです。つま
り100%ではないのです。
土葬が行われているところがあるのです。
この本はそのようなわずかに残る伝承と言
ってもいい風習を追います。
さらに土葬以外でも風葬や、現代の火葬と
は異なる野焼き火葬などの、失われてしま
った葬儀風習を伝えます。
面白いのは日本全国の葬儀形態は千差万別
ですが、現代まで伝わっている「縁起が悪
いこと」は共通しているところです。
お通夜から帰ったら玄関で塩で清める、な
どはその典型です。
どの地方でも似たり寄ったりの風習があり、
それが現代へと引き継がれていると思えま
す。
廃れつつある各地の風習を伝える民俗学的
な一冊です。
Posted by ブクログ
「死んだら故郷の土に還りたい、それだけや」
火葬以外に弔いの選択肢があるということ、またそれを選ぶこともできるということ。風葬や土葬は海外の文化だと思っていた。日本でもそういう弔いを選べるんだなあと。
そういう選択肢を残そう・広げようとしている「土葬の会」もいい活動だなあと思う。
死者の死後の幸福を願う儀式、生者の生活を脅かされないよう願う儀式、弔いは祈りだなあと。
日本は小さい国だから土葬文化を続けるのは厳しいのかなと思っていたけど、土葬を望む人が応えてもらえるとしたら素敵だなあ。
死ぬこと・送り送られることを考えさせられました。
Posted by ブクログ
本書が発売される以前、WEBで公開されていた著者の記事がとても印象的で、書籍化されたと知ったときは嬉しかったです。この記事をきっかけに、知人の実家で土葬が行われていたことや、土葬の村ならではのお墓参りのエピソードを聞くことができました。日本の、しかもとても身近なところで土葬の風習が残っていたとは想像もしなかったです。
本書は土葬だけではなく、各地に伝わる様々な弔いの風習について書かれています。なかにはかなり壮絶なものもありましたが、最後まで読みやすく引き込まれました。地域の貴重な歴史を忘れられてしまう前に書き残してくださったことに感謝します。
Posted by ブクログ
一章では奈良などに残る土葬の風習について、2章はほぼ消滅した野焼きの風習について、3章では風葬など沖縄諸島における葬送の風習について、最後の4章は土葬や野焼きにまつわる怪談や奇談をまとめたもの。
まず、現代、しかも近畿地方に土葬の風習が残っていたことに驚く(とはいえ風前の灯火という感じみたいだが)。実際に行ってきた人への直接的な聞き取り調査の記録なので内容は具体的かつ詳細。土葬した墓地の周囲を先端を尖らせた竹でハリネズミのようにして野犬などの動物に荒らされるのを防ぐ「犬はじき」や、四十九日に墓を暴き埋め戻す「お棺割り」といった珍しい風習の記述も興味深い。関係者の年齢を考えると、今後、土葬や野焼きについてこれ以上の内容は出てくることはないのではないか。
Posted by ブクログ
現代の葬送の99%は火葬。しかし、火葬が主流になったのは明治以降。もっといえば、終戦以降と、ごく最近。
本書がテーマにしている土葬は、最近まで(といっても、半世紀ほど前まで)普通に行われていて、現在でも、ごくわずかではあるが、土葬の風習があるという。
もちろん、憲法や法律でも、土葬は禁じられていない。
土葬にまつわる風習・習慣、そして、習俗。内容は多岐にわたる。
また、土葬だけでなく、野焼き火葬、風葬、葬送にまつわる伝承にも触れられていた。
日本人と葬送、そこには、生と死、”ケガレ”を忌み嫌う習慣が常にあると実感。
Posted by ブクログ
ベースは民俗学だけど、終活に興味がある人が読んでも面白い。現代の視点から語られているので、単なる昔ばなしではなくどのように今にいたるのか、今、葬式や埋葬方法についてどう考えるかというヒントを投げかけているように感じた。民俗学は今をいかに生きるかという学問なんだというわかりやすい例かも。
印象に残ったこと
○「死んだらどこへいくのか」。もともと日本人は極楽浄土へいくという仏教的な考えよりも身近なふるさとの山に帰ると思っている人が多い。山中他界観というらしい。葬式=仏教のイメージが強く、神式のお葬式は想像もつかなかったので、本書で初めて知った。また「山にかえる」的な考え方は神道由来の考え方ということも初めて知った。
○神葬祭は、魂は霊壐に乗り移らせ、埋葬は遺体を葬るための祭儀という考え。
○三重県の天台宗の寺院がある村では、埋葬して四十九日のタイミングで墓を掘りかえす。死体となっても髪が伸びていることがあるという。そして棺に土を入れて埋め戻す。土葬の中でも最も凄絶と著者が評していた。取材もなかなか取り合ってくれなかったという。
○現在は土葬の会というグループがあり、宗教も不問のグループという。会長曰はく、「順風満帆に生きている人、元気な人は会員にいない」という。そういう人はまだ死なないと思っていると。これが実際なんだろうなあと思った。また、亡くなってから家族が慌てふためくことのないように、予め自分の意志を家族をよく話あっておくことが大切、というACP的なお話もあった。
○浄土真宗のお坊さんが亡くなった際、小さい骨壺は親鸞聖人の眠るお墓へ、大きな骨壺は村のお参り墓へ納骨される。
○野焼きの話。炎に包まれると、座間に胡坐をかいている体が背骨から崩れ落ちるので、死体が踊っているように見えたという証言がいくつもあると。これは「のぞきめ」を彷彿とさせた。ホラーの原点の一つを見た気がする。
○死枕を蹴るという風習。死霊の宿る死体に触れることを恐れ自らを守るための衝動であったとされている。
→こういう本をいくつか読むまでは、上記のような風習とか、死霊とかケガレとか、死んだ人に対して失礼だなあと思っていたが、共通事項として「その人を死にいたらしめたもの」あるいは「魂の抜けた死体にやどる悪いもの」を恐れていたこと、死因もよくわからない時代の死への恐怖がベースになっているのだということがわかってきた。
○遺骨の引き渡しは遺族でなければできない火葬場が多い。今後親族のいない人の死が増えることを考えると課題であると思った。
○筆者が行なった友人葬について。まだ友人葬というのは少ない。弔いの歴史を見ると、伝染病や市のケガレを恐れたことから家族だけが弔ってよいとする規範が生まれていったということがわかり、死のケガレを恐れなければかけがえのない友人同士で弔っても良いのだと自分のこれまでの規範からすこしずつ解放されていったということが書かれている。じーんとくるエピソードでこれも過去から現在まで続く風習を知り、現在に生かすという民俗学のあってほしい姿だと感じた。
Posted by ブクログ
死んだら火葬ではなく土葬にしてほしい
長らく食物連鎖に加わってこなかった罪悪感みたいなものを払拭したいと思い
そもそも日本で土葬はまだできるのかとぼんやり悩んでいたところこの本を知ることができた
土葬はできるが、どんどん減っているらしい
ただ、土葬の会という民間の保存会のような会が存在するという情報は私にとって朗報だった
土葬文化の他にも風葬や遺棄葬、他にもそれぞれの地域で行われている葬送について書かれており勉強になった
伝統が廃れてしまうのは外野から見ればとても寂しく、残しておいてくれればいいのになぁと思うが
それを行なっている地域の人にとっては負担が多くを占めている
座棺や野焼き火葬の過酷さ、体験した人にしかわからないことも書かれており
種類の多さに驚いた
最後の章に出てきた妊婦が子を宿したまま亡くなった時に子を取り出すことが死体遺棄罪として裁かれそうになったお話の判例が寛容でホッとした
古来から受け継がれてきた習俗はきっとその当時にはそうでなければいけない理由があったと思っている
物が多く科学が発展した現代では信じがたいことも、大切にできればいいなと思った
Posted by ブクログ
「土葬」と銘打たれているが、一般的な火葬以外の葬送も併せて紹介されている。
例えば風葬、火葬でも「野焼き火葬」といって屋外で遺体を火葬する場合など。
丁寧に聞き取りがされているため、紹介されている証言は非常に生々しい。
携わった人だからこそ言える証言というか。
座棺の場合、遺体の足を曲げなくてはいけないから苦労するとか。
土葬の場合は、何年かすると地面がくぼんでくるとか。
自分たちで火葬した場合、炉内に脂がこびりつくため、それを掃除しなければならないとか。
野焼き火葬で焼き上がった骨は美しく、口にできるほど清潔に思えたなど。
普通の火葬しか知らない人から見れば、衝撃的な内容が多いのではないだろうか。
特に驚いたのは、宗教上どうしても土葬しなければならない在日外国人の方たちが日本での埋葬地探しに苦労されている点。
そして、上記で紹介したような葬送が残っている地域では子供のご遺体の扱いが非常に粗雑なことが多い点。
しかも少々の粗雑さではないという。
詳細は割愛するが、丁寧に弔われないことが多いことには本当に驚いた。
「野辺送り」なんて言葉も聞かなくなってきた現在、この本に書かれている内容は本当に驚かされると思う。
でも、ここに書かれている姿もまた日本の文化であり、ないがしろにされたり、忘れ去られたりしてはいけないものだとも思う。
こうして一冊の本としてまとめられたことは、今なお進行形で姿を消しつつある土葬やそのほかの葬送について語る大切な史料になるのではないだろうか。
Posted by ブクログ
瀬戸内の離島の祖父が亡くなったのは40年ほど前。既に土葬ではなかったが、当時は自宅で通夜葬儀を営み、座敷縁側から出棺して、野辺送りが行われたことを覚えている。
昨今は小さなお葬式、家族葬、直葬なんて言葉が飛び交っているが、暮らし方、住まい方、人との付き合い方も変わる中、弔いの儀式はどう変化するのだろうか。土葬にまつわるあれこれを読みながら追想(葬)している。
Posted by ブクログ
土葬と一括りに言っても
棺への入れ方や見送り方に
バリエーションあり
他にも風葬や鳥葬...カニバリズムのこと
さまざまな見送り方が
その土地の特質や宗教と
結びついて残っていたのだなぁと
儀式を通して死を受け入れたり
次世代の交代など
コミュニティ内の役割分担を
確認したりする意味合いが
あったんだろうけど
今はそういった地域も
ほとんどが葬儀屋に
アウトソーシングになり
葬祭会館→火葬場
今年のはじめに父を亡くし
葬儀をしたけど
ほぼ家族葬で弔問客も無い分
とても楽だったけど
故人の性格を思うと
コロナ前の盛大な葬式?の方が
良かったのかもしれない
ちょっと寂しかったかなとも思う
弔い方は残された人達の気持ちを
どう持って行くか
その辺の兼ね合いで
今後は新しい文化や習慣が
発生するかも?多様性!
Posted by ブクログ
座棺いいな
死後硬直が始まる前に膝を折るのが子供の最後の親孝行ってすげー!かっちぇー!
でもきっつきつの棺に納めるために腕が体にめり込んだり頸骨が砕けるぐらい縛るとかこわすぎそれは無理
しかも野焼き火葬だと燃えやすいように腸に炭を詰め込むとかそれもう死体損壊じゃんえっっっぐ
くっそ不謹慎だけど野辺送りの風景ってくっそ絵になる〜
骨壷に入りきらなかった残骨は、火葬場の裏手にあるドラム缶に捨てられるーーってまじかよ
そんで満杯になったドラム缶はどーするんこわ
日本で土葬が激減したのは法律の規制ではなく生活改善運動の一環で、新型コロナ対策に罰則を設けず自粛を求めたことに似た、同調圧力の強い日本人らしさってめっちゃ納得
Posted by ブクログ
帯の通り。
湯灌、葬式、土葬、野辺送り、仏式、神式、風葬…さらに奇譚まで。
無くなりゆく土葬を通して、今、変わりゆく弔いのかたちがみえてきます。
memento mori
送った者もいずれ送らる
Posted by ブクログ
民俗学の本というよりも、どちらかといえばルポや民族誌に近い。著者は直接その村を訪ね、現地の人たちから生の証言を得た上で、この本を書いている。
中には一度埋めた遺体を掘り返したり、埋葬する前に傷つけたり、燃やしたあとに焦げた脳みそを食べる風習をもった村もあったそうで、日本の習俗の裏に隠れた奇妙な世界を垣間見たようだった。
日本の火葬率が99%になったのはここ最近であり、以前は土葬も多く見られたそうだが、なぜこのような推移があったのか、著者は言明していない。そもそも、法律で禁止されたわけではないから、分析が難しいし、それ以上立ち入って考えるのは本書の主旨から外れると判断されたのだろう。
読者としても、民俗学者ではないのだから改めて深くこの点について考える必要もないだろう。ただ火葬の場合葬儀が効率的だし、一体あたりが占める埋葬場所の面積がかさばることも少ない。おまけに葬儀屋の営業がうまい、という地元民の証言も紹介されていた。
葬儀の形態としては風葬→土葬→火葬の順で古いそうだから、火葬が歴史的に見て伝統的、というわけではない。もちろん火葬もうん百年近い歴史があるから近代の産物!ということはできない。
ただ現行の葬儀の形態では仏教色が強いし、ほかの宗教の葬儀もままならないうえ、故人の意図を汲んだ葬儀を完璧に行うことは難しい。人を弔う、というのは死と向き合う、ということだ。だからこそ、様々な価値観が隣り合わせに存在する現代で、可能な葬儀を考えるとき、失われた日本の風習や考え方に目を向け、その可能性について考えることも悪いことではないと思う。
Posted by ブクログ
■ Before(本の選定理由)
いまだに土葬を続けている場所なんてあるのか?
ちょっと気持ち悪いし、怖い。
■ 気づき
文化人類学というか民俗学というか、日本各所の「弔い」研究の集大成。土葬したり屍人の枕を蹴ったり赤子を取り出したり、ある種の「祈り」なんだな、と感じた。
■ Todo
何よりも30年も研究に身を捧げ、こうして出版にこぎつけた、筆者の研究者としての成果を賞賛したい。
Posted by ブクログ
土葬と聞くと、昔の葬儀方法という印象があった。そして、怪談という印象も。
しかし、棺桶の寸法や死者をどの方向に向かせて弔うのかなど、人を送るための最期の儀式なのだとひしひしと感じた。
Posted by ブクログ
99.8%と、世界的に見ても火葬率が高い現代日本。しかし、昔ながらの土葬で死者を送りだす風習を残した村が奈良と京都にあった。1990〜2020年の30年に渡る聞き取り調査の記録と、土葬と同じく実施が難しくなった野焼き火葬や風葬などの伝統の実態を知る人びとへの取材など、施設での火葬に一本化されていく前の〈弔い〉を後世に伝える一冊。
内容的に「面白かった」と言ってしまうのは憚られるけど、とても勉強になった。まず、この10年以内にまだ野辺送りをして土葬する形の葬送をおこなっている村があることを知らなかったし、土葬がスタンダードな国(たとえば20世紀までの韓国)から日本に移住した人びとの受け皿がない現状にもこの本を読むまで思い至らなかった。
とはいえ、感染病予防の観点から今後も火葬率は上がる一方だろう。土葬にかかる肉体的・精神的負担を知るにつけても、続けていくのは困難だと思わざるをえない。座棺に亡骸を納めるため、遺体の膝の骨を折るのは長男の役目だとか、縄で雁字搦めに亡骸を縛るとか、あるいは地面の陥没を防ぐため、四十九日にもう一度墓を掘り起こす(白骨化しきってないこともしばしば)など、想像だけでも辛いものがある。もちろん、風習が廃れてしまった一番の要因は、村という共同体が崩れてしまったことにある。
しかし、老いも若きも一つになって葬礼をおこなうことは、死者とその遺族にとっては心落ち着くものでもあっただろう。また血縁ではなくとも、自らの死を意識する年齢の老人たちにとって葬礼は予行演習のようなものであり、自分も同じように手厚く弔われるのだという安心感を得られもしただろう。葬送儀礼は共同体の未来が続くことの象徴でもあったのだと思う。
Posted by ブクログ
私設の葬祭研究所を主催するルポライターでもある著者が、滅びつつある日本の土葬文化や、野焼き火葬(近代的な設備を持つ火葬場ではなく、住民自らが操作する超小型のボイラー設備等で行うもの)、風葬など、様々な弔いの風習をまとめあげたルポルタージュ。
正直なところ、本書を読むまでは土葬というのは何かしらの法規制で禁止されているものだとすっかり思い込んでいたが、そんな法規制というものは存在しない。単に利便性等の観点から、近代的な火葬場での火葬がメインになった、というだけの話であり、実は奈良県など関西の山奥の地区では土葬文化が存続しているという。著者は自らそうした土地にインタビューに赴き、土葬に紐づく様々な風習・しきたりなどを丹念にまとめあげている。
特に驚愕したのは、1970年代まで三重県の一部地区で行われていた”お棺割り”という風習である。それは、四十九日のタイミングで土葬した墓を掘り起こして棺桶の蓋を破壊し、そこに土を入れて再度埋め直すというものであり、時期によっては白骨化せずにミイラ状になっているケースすらあったという。なぜこのような一見、凄惨に見える風習があるかというと、それには明確な理由がある。この地域の土は水分保有量が多く崩れやすいために、時間が経つと棺桶の中の空洞に土が入り、墓が倒壊してしまうのを防ぐためであるという。
”死んで炎に焼かれるよりは、自分が生まれ育ったこの土地にそのまま埋めてほしい”、と土葬を願う地元住民の声を聞くにつけ、自らの死に方を選ぶ自由というのは確かに残ってほしいと切に思う。
Posted by ブクログ
日本人の精神性は、戦前あたりと現代では大きく違うものだと、本を読んでいるとそう思う。
例えば今回本書を読んで、かつての日本の葬儀とは今とは全然異なっていることが分かる。
死者と向き合うということを、現代日本ではその機会が無いことに気が付かされる。
かつて日本人が持っていた風習、文化というものが、効率やグローバリゼーションの名のもとに簡単に忘れ去られている気がしてならない。
そこに、日本人特有の、という精神性はあるのか甚だ疑問である。
という本書を読んでの感想だった。
本書では土葬、野焼き火葬、風葬について、かつて日本で行われていた葬儀の実態が著されている。
Posted by ブクログ
近代まで存続していたが、現在消滅しつつある埋葬方法たちをまとめたルポルタージュ。【はじめに】にて「おそらく、現存する最後といっていい土葬の村に関する記録」と書かれているため土葬に限定した話かと思っていたが、他にも野焼き火葬、さらには風葬なども取り扱っている。
近代まで日本は土葬や野焼き、風葬など様々な方法で死者を埋葬していた。しかしこれは20世紀に入って導入された、葬儀社主導の火葬によって取り替えられ、野焼き火葬や風葬は消滅、土葬に関してもいくつかの村でかろうじて残すのみであるという。
まあ、野焼き火葬や風葬は衛生面であったり事件性の排除であったりを考えると近代社会にそぐわず消滅していくのはわかるが、なぜ伝統的な土葬もなくなりつつあるのか。その原因のひとつとして、「葬儀社が主導するの火葬のほうがはるかに楽」であると挙げられていたことが印象に残った。身もふたもない話だが、確かに本書に記載される手順で葬儀を進めるのはあまりに大変だ。
また、「新しいタイプの一つ」として、重機などを用いた近代的な方法での土葬が生まれてきている、というのは興味深い話だった。こんなところにも多様性が。
Posted by ブクログ
十津川村では土葬が行なわれていると聞いていた。この本は紙幅を割いて奈良市東部周辺と奈良県南部の土葬の現在について書かれている。土葬は手間がかかり地域の連帯がなければ難しいようだ。
Posted by ブクログ
タイトルに土葬と入っているものの、土葬以外にも日本国内外における火葬、風葬についても記載あり。洗骨の風習についても記載があるのだけれど、バリ島にも残っている風習との関係性には記載がなかった。