あらすじ
【ジェフ・ベゾスは、このヤバい日本人の「部下」だった】
かつて日本には、「起業の天才」がいた。
リクルート創業者、江副浩正。
インターネット時代を予見、日本型経営を叩き潰し、
自分では気が付いていない才能を目覚めさせた社員のモチベーションを武器に
彼がつくろうとしたのは、「グーグルのような会社」だった。
だが彼の名は「起業の天才」ではなく、
戦後最大の企業犯罪「リクルート事件の主犯」として人々に記憶される。
「ベンチャー不毛の地」となった日本に必要な「起業家の資質」とは何か。
リクルート事件の大打撃を乗り越え1兆8000億円の負債を自力で完済、
株式時価総額で国内10位にまで成長した「奇跡の会社」はどのようにつくられたのか。
苦境に立ち逆風に向かうすべての日本人に贈る、
歴史から葬られた「起業の天才」の真の姿。
【日本にも、こんな経営者がいた!】
・グーグルの「検索」を先取り
・独自の「クラウド・コンピューティング」
・読売新聞と「全面戦争」
・電通から広告を奪う
・日・米・欧を結ぶコンピューター・ネットワーク
・世界の「コンピューターの天才」をかき集める
【「はじめに」より抜粋】
江副さんが生きていたら、保身に汲々とする日本の経営者にこう尋ねることでしょう。
「経営者とはどういうものか、経営者ならなにをすべきか。わたしはつねに学び、考え、
そのとおりにやってきました。あなたがた、自分が経営者であると考えたことがおありですか」
――瀧本哲史(京都大学客員准教授、エンジェル投資家、2019年没)
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Posted by ブクログ
最高に面白くて一気に読んだ。日本にはこんな稀代の起業家がいたのかと初めて知った。「ネット興亡記」とあわせて読みたい必読書。
安比高原、いつか行って、近くのローソンの駐車場にある江副死の碑を拝んでみたい。
Posted by ブクログ
起業家や経営者は必読のビジネスバイブルになり得ると思います。江副浩正さんとその関係者およびリクルートを取り巻くダイナミックなビジネス展開をドラマチックかつ理解しやすい文章で彩り、読み始めたと思ったら時間を忘れて一気に読み込んでしまいました。
加えて、随所に江副さんおよびリクルートの強さの秘訣やそのDNAとも言えるポイントが本書に散りばめられており、単なるドキュメンタリーではなく、ビジネスの教科書的な役割も果たしていると感じました。
経団連を象徴する日本的経営が席巻する国内市場において、ドラッカーを師とする江副さんの超合理的経営による真っ向からの快進撃は、読み手の胸を熱くするものがありました。また、本書は江副さんの光の部分だけではなく、影の部分にも着目しており、富と栄誉を掴んだ男の滅びゆく姿も垣間見れます。
Posted by ブクログ
ダイナミックな展開に、読み進めるたびに引き込まれた。リクルートという巨大企業の成り立ちから背景を理解することは、一つの経済史を学ぶことにつながる。そうした意味で大きな知を得ることができた。私も経営者であるが、江副さんのような大胆さ、商売根性、人心掌握は大変な学びになった。
Posted by ブクログ
1980年代生まれの私には、その時代の景色は知らない。だけど本を読み進めるうちに、「こんなに熱い時代だったんだ」と驚かされた。江副浩正とリクルートが駆け抜けた激動の時代。もしも…とタラレバを考えずにはいられない。そして、こんな会社や天才が生まれやすい世の中がいいなと思った。
Posted by ブクログ
リクルートという会社が、どんなことをしているのか。あまり知らなかった。また、江副浩正がどんな仕事をしていたかも知らなかったが、この本は実によくまとまっている。マスコミの報道では、江副浩正のマイナスの部分ばかりの印象操作されているような気もした。常に、新しいビジネスを考案してきたことに、素晴らしいと思った。江副浩正は、紙ビジネスによるGoogleを目指した、つまり紙ビジネスのプラットフォーマーを目指した。
リクルートは、株式時価総額が7兆円を超え、国内企業の中で第10位の規模を有する総合情報産業の企業である。1960年(昭和35年)、大学生向けの広告代理店として創業された。当初は、同窓の森稔の経営する森ビルの屋上にある小屋から始まり、1962年(昭和37年)には「企業への招待」という冊子を発行した。成長するたびに事務所を移転しながら規模を拡大し続けた。また、その本で、一流の経営者に江副浩正がインタビュアーとしてあったことが、大きな財産となった。
しかし、1988年(昭和63年)にリクルート事件が発生し、その後のバブル崩壊や「失われた時代」と呼ばれる困難な時期を迎えることとなった。
江副浩正は、星新一の描いた『服を着たゾウ』のような存在であった。江副浩正は、まるでゾウが「人間とは何か」を理解しないかのように、「経営者とは何か」をあまり理解していなかった。経営とは何か、経営者が何を為すべきかについては、江副浩正は書籍で学び、常に学習と考察を重ね、その都度実践してきた。会社に危機が訪れるたびに、「経営者とは何か」を問い続け、その都度成長していった。必要に迫られて、学び、そこから新しいビジネスを作る。ゼロから1にする仕事を作った。
江副浩正は、次なる時代を動かすものは「もの」ではなく「情報」であると見抜いていた。また、日本を代表する盛田、本田、松下などのカリスマ的リーダーシップに代わるものは、「社員のモチベーション」であると確信した。江副浩正は心理学を経営に取り入れ、社員に対して「こうしろ」と命じるのではなく、「君はどうしたいのか」と問いかける手法を採った。社員は初め戸惑うこともあったが、自らのやりたいことを語るようになり、「だったら君がやりなさい」と決断させるのだった。リクルートには「あなたはどうしたい文化」が根付いていた。
江副浩正は、「誰でもいいから結果を出せる人」を登用した。江副浩正は、合理主義を体現するような人物であった。リクルートの理想は、「来るべき情報化社会の先頭に立つ」ことであり、「情報が人間を熱くする」というスローガンを掲げていた。江副浩正は、会社の成長を支える仕組みを築き上げた。そして、江副浩正の強烈な個性とキャラクターにより創業したリクルートは、江副浩正がいなくなってもその後も一貫して成長を続けた。
リクルートの社訓は「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」である。江副浩正は、「君のアイデアが素晴らしいのはわかった。しかし、それを実現するにはチームが必要だ」と説いた。自分のアイデアを実現させるためには、優秀な仲間を3人集めて仕事をスタートさせることを奨励した。これは、「自分の仕事は自分で作り出す」ことにほかならない。こうした方針のもと、社員は発想の柔軟性を持ち主体的に動き、仕事を楽しむことを重視した。そうして、ビジネスは成功へと導かれていった。
江副浩正は、自身の能力に自信がなかったため、リーダーシップを持った親分肌の池田友之、産業心理学の専門家で学究肌の大沢武志、コピーライターで芸術肌の森村稔といった創業メンバーで会社を作っていった。また、デザインの巨匠・亀倉雄策の支援も加わった。江副浩正は、「なんでも自分が一番」という姿勢だけでは企業は大きくならないと考えていた。
江副浩正は、ドラッガーを師匠と慕っていた。ダイヤモンド社の社長に直接会いにいくシーンは、度胸がある。ドラッガーの「まさに一本の草しか育たなかったところに二本の草を育てるものこそ、人類の福祉に真に貢献するものである」という言葉を重視する。つまり一石2鳥を狙うのだ。
鹿児島の志布志の開発、安比高原の開発などは、一石2鳥以上の効果を狙った。
就職ガイドブックは、ただのフリーという雑誌の販売を作った。それを不動産の分野にも広げ、住宅情報雑誌という新しい情報ネットワークビジネスを作り出した。そして、社員に対して、その自由に働ける環境を作り上げた。いやはや、江副浩正、すごいぜよ。いい勉強をさせていただいた。それにしても、大西康之はいい仕事している。歴史の中でのその人を正しく評価することが大切だ。「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」はいい言葉だ。
Posted by ブクログ
江副さんの合理的な判断力や、型にはまらない柔軟な発想が、リクルートをここまで成長させ、さらに新たな可能性を秘めた事業の礎となっていたことがよくわかりました。一方で、その非連続的な成長の中で自身のスタンスが徐々に変化していくことに気づけず、周囲とのズレが広がっていった結果、あのような形で足元をすくわれてしまったのは、まさに「驕る平家は久しからず」という言葉を思い起こさせました。合理性やビジネススキルだけでなく、人としてのスタンスや謙虚さも同じくらい大切なのだと、改めて気づかされました。
Posted by ブクログ
和を尊ぶ日本人の、負の側面である出る杭を打つという性質が、日本がGAFAMに負けた要因であることがよくわかり、読んでいて悔しかった。国内の足の引っ張り合いが自らの首を絞め、今や情報分野で大きな差をあけられている。マスコミがマスゴミたる由縁も存分に味わえた。江副の先見的かつ緻密でな計略と判断力はとてつもなく刺激的だった。
Posted by ブクログ
リクルート創業者の江副浩正の一生を描いた一冊。
0から価値を生み出す姿や尊さに胸が熱くなりつつ、リクルートという会社にも強く惹かれた。
以下、メモ。
自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ
欠乏感を埋めるために、懸命に学び、素直に実行したのです
自分よりも優れた者に働いてもらう方法を知る男ここに眠る
じぶんの「こうしたい」を部下に伝えると、命令と服従の関係になってしまう。
だから部下にしつこく「君はどうしたいの?」「それで?」「こういう見方もあるよね」と根気強く聞き、「さすが先生!おっしゃる通り」「君がやってよ、君の言う通りなんだから」と会話して、「評論家」だった社員を「当事者」にかえてしまう
地方出身者で家が貧しく、野望に燃える人材を獲得せよ
Posted by ブクログ
仕事にのめり込んでいく様子が狂人的。
突破力が尋常ではなく、いま現役経営者として存在していたらとても頼りになる存在だと思う。一方、奥様や周りの人はめちゃくちゃ苦労したやろうなと思う。笑
検察へのヘイトを強く感じたが、彼らも彼らの正義があるのだろうなと思う。
Posted by ブクログ
帯にあったように小説のように一気に読んでしまえる面白さだった。
江副氏の伝記に留まらず、なぜ日本にGAFAMのようなベンチャー企業が誕生しないのか、日本を代表する起業や政治家のエピソードを交えながら語っている。
江副氏の生粋のベンチャー精神や生き方は、会社員人生では絶対に学べないもので、非常に勉強になった。
Posted by ブクログ
ずっと積読、オーディブルで見つけて読めてよかった。ほんとにタイトルの通り起業の天才なんだなと思う。リクルート事件がなければ日本からGoogleが誕生したかも知れなくてそれがとても悔やまれるだろうなと思う。ここまでの先見の名は勉強とかではなく、元から持ち合わせた能力レベルが違いすぎると思ってしまう。それほど常人のレベルではないなと。もっと早くに読みたかった。他の人にも進めたい。
Posted by ブクログ
帯:
日本が誇る破壊的創造者の表裏の顔
要約:
どうやってリクルートができ、どうやって成り上がっていったのかわかる。リクルートの本質は情報の民主化と情報の最適化マッチング。
そして、江副さんが危ない橋を渡っていたのは祖父の教え「法に触れさえしなければどんどんなんでもやってみろ」と江副さんのメンターとなるようなエンジェル投資家がいなかった日本、寂しがり屋に要因がありそうだ。
感想:
まさにフィクションのような実話だった。
日本は資本主義でありながら、世の中は同調圧力に溢れ、社会主義のような精神が残っているというところに悲しさと衝撃的なショックを感じた。
江副さんが生きていたらどこまでの未来が見えていたのか、どの瞬間にどこまで想像したのか聞いてみたい。
「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」
「会社の主役は一人ひとりの社員」
「法に触れさえしなければどんどんなんでもやってみろ」など
多くの心に響く言葉が詰まっている本だった。
既存の秩序をぶち壊すならず者になれ
自分の理想は自分の力で叶えよ
Posted by ブクログ
こんなすごい人だとは思いませんでした。
特に大学生の段階で自分の足りない点を理解してそれを他の人で補うとは普通では出来ません。
ただ、会社が大きくなってからは人間の弱さが表れ、残念に感じた
Posted by ブクログ
「Zero to One」を読んでから、本書を読むと天才の思考法の一端が分かる。情報の非対称性と初期投資と利益率のバランス。
リクルートの情報産業の利益率と不動産業の利益率の対比。日本の新聞、広告業界と新興ベンチャー、リクルートの戦い。成功して変わっていく江副さんと、江副さんの言葉に触発され会社に参画したメンバー。
最後のダイエーの中内さんの貢献に感動する。
Posted by ブクログ
リクルートはCMで見ない日はなく、誰もが知る大企業。どのようにしてリクルートが巨大企業となっていったのか、ストーリーでよく分かる一冊。
社員一人ひとりが「圧倒的当事者意識」を持ち、優秀かつ情熱をもった戦闘集団である社員が集まるリクルートが、リクルート事件で社会を揺るがしても今なお社会で求められていることも理解できる。
創業者である江副氏は、バブルを作り出した一員であるとは思うが、就職や住宅の情報など顧客の潜在的ニーズを的確につかみ事業を成功させた手腕は素晴らしく、リクルート事件がなかったら失われた30年と言われた平成の時代も違ったものになっていたかもしれないと思わずにはいられない。
Posted by ブクログ
今や時価総額10.5兆円、ランキングでも上位に名を連ねる巨大企業リクルートを創り上げた男の生き様について。
その優れた手腕と事業への高い熱量を数多のエピソードとともに紹介している。
特筆すべきはインターネットの隆盛を見定めた「時代の先見性」と良い人材を雇うためなら何でもためらわない「採用狂」の資質。
「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」との彼の言葉はあまりにも有名で、今のリクルートのDNAにも受け継がれている。
創業間もないベンチャー企業が、いかにして東大の優秀な人材を事業に引き込みビジネスマンとして才能を開花させたのか。
東大が生んだ最大のベンチャー企業家として日本を率いる人材の1人であった彼が、表舞台から消すことになったきっかけの「リクルート事件」についても、本書を通すと見方が変わってくる。
江副浩正の壮絶な人生を追体験できる一冊。
Posted by ブクログ
出る杭の最先鋒。このような傑物をどこまで許容できるかで、日本の行く末が左右される、と言っても過言ではない。若い頃から知ってはいた事件の当事者企業の、はじまりからの詳細を、ここまで時間が経ってから読むと感慨深かった。
自分が自分が、というより、一人ひとりが持っている才能を如何に結集し発奮させるか、を追求するスタイルだったのが、意外だった。
Posted by ブクログ
とても読み応えがあった
リクルート事件当時は、ニュースを見て単純に悪い人だと思ったが、本書を読み
実際は、巨大な影の力で失脚した人物と解って愕然とした
Posted by ブクログ
今すぐ多くの人が読むべき本
個人的には一年ぶりくらいに最高の本に出会った
リクルートという会社の成り立ち、江副という創業者の凄まじさ、日本の国際的なプレゼンスの低下など、様々な要素が詰まっている本で、今すぐにでも多くの人に読んで欲しい本。
改めて、人を大切にしなければいけないのだと感じさせられた
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〈日本は、建前は資本主義だが、実質はマルクスが理想とした、人々の均質な生活を良しとする統制経済の国となった。いまも日本は、建前は社会主義、実態は市場経済という中国やロシアとは、逆のパターンになっている〉(『かもめ』)
→日本をこのように捉えているのは、個人的には非常に納得がいく。
下田がその会社に注目したのは、初任給が高かったからだ。当時、一流の企業の初任給は2万円。もっとも高いと言われた武田薬品工業でも2万2000円だったが、聞いたこともないその会社の初任給は2万7500円だった。
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結局、採用されたのは12人。社員28人の会社だったから、ずいぶんと大胆な採用である。
→良い人材に大きなお金を払う。優秀な人を新卒で現社員の半分近く採用するのは、一見恐怖だが、それがリクルートという会社を作っていったのだと感じさせられる。
議論を重ねた末に「経営の三原則」が決まった。1.社会への貢献2.個人の尊重3.商業的合理性の追求2の「個人の尊重」は松下幸之助の影響を受けている。取材で幸之助に会った時、江副は最後に「経営の神様」に経営の要諦を尋ねた。すると幸之助はこう答えた。
「人は誰でも得手なことと不得手なことがありまんがな。誰に、どの仕事を、どこまで要望するかが大事やなぁ」これを江副流に翻訳すると「お互い得手、不得手があることを積極的に認め、各人が得意なことを組織に提供して大きな成果を上げていく」となる。3の「商業的合理性の追求」も幸之助の教えである。幸之助の語録には「利益を上げ、税を納めるのが国家への貢献」というくだりがある。これを江副は「仕事の生産性を上げ、仕事のスピードを高め、高収益会社にして税金を納めることがリクルートの誇り」とした。後にリクルートの精神的支柱となる社訓を決めたのもこのときである。「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」
→経営の神様と呼ばれる松下幸之助に話を聞きに行き、そこで有名な「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という言葉が生まれたのだと思うと、経営の本質的な部分は時代によって大きく変わるものではないと気付かされた
高卒、女子社員といったマイノリティーの活用は、今風に言えばダイバーシティー(多様性)。そしてリクルートの成長を支えたもうひとつのマイノリティーが在日コリアンだ。
→当時は女性はお茶汲みしかできなかった時代にも関わらず、女性や在日コリアンを積極的に採用していたというのは衝撃的
「心理学」を経営に生かそうと試みていた江副や大沢武志は、カリスマの「リーダーシップ」に置き代われるものを見出す。それは、社員の「モチベーション」だった。
→あれだけの企業を作っているのにカリスマではなかったというのが驚き。経営者がカリスマではなかったからこそ、リクルートは現在も成長し続けているのではないかと思った。
江副は自分を含めた社員に対して「こうしろ」とは言わない。社員が常々、不満を持っている事業や、自分が「やってみたい」とか「変えなければいけない」と思っている事柄について「君はどうしたいの?」と問いかけるのだ。
→リクルートの話で「お前はどうしたいの?」という言葉をよく聞くが、このようなカルチャーが背景にあったのだと思うと驚き
待つことが大嫌いな江副は、いつも頭をフル回転させて、ひとつのアクションで二つ、三つの目的を達成することに喜びを覚えた。思惑どおりに段取りが進み、いくつかの目的がパタパタとドミノ倒しのように達成されていくとき、江副はえも言われぬ快感を覚えるのだ。
→ホリエモンの記事でも読んだが、一つを行うことでいくつも実行することは改めて重要だと気付かされた
志布志プロジェクトのいちばんの目的は「資金調達のための含み資産づくり」だったが、それが江副の手に掛かるとこんなもっともらしい話になる。
→上記に関連して、土地を買うことで担保ができ、そこが自衛隊の保有地になる可能性があることで値上がりする可能性にかけ、社員がのびのびと過ごせる場所を作るという複数の目的があることは衝撃的
江副の「君はどうしたいの?」の思想は、1974年、会社制度に落とし込まれる。日本リクルートセンターの組織活性化で大きな役割を果たした「PC(プロフィットセンター)制度」である。
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リクルートというひとつの会社の中に独立採算の小集団が1600社ある、ということは全社員が採算責任者だ。つまり1600人の社長がいて、期末に発表される?自社?の業績に責任を持つことを意味する。これを江副は「社員皆経営者主義」と呼んだ。
→組織に文化を根付かせるために制度設計をしたことが感じられる。これが「あれ俺」という人がたくさんできるようなモチベーションが高い会社になった要因なのだと思う。
麻布、青山、表参道。江副は週末を使って都内の物件を探すのだが、なかなかこれといった家が見つからない。「閑静な住宅街」と聞いて足を運んだ物件が、日当たりの悪い土地だったり、道路の付いていない奥まった土地だったりした。無駄足を踏まされるたびにうんざりした。駅から何分とか、角地とか、日当たり良好とか、きちんと情報を整理して事前に客に伝えるべきだろう。そこまで考えて、ハッと気づいた。求人情報と同じではないか。問題は売り手と買い手の間にある「情報の非対称性」だ。どこにどんな物件があるのか、その地域の相場はどのくらいなのか、知っているのは不動産屋であり、買い手は情報をほとんど持っていない。気に入った物件が見つかったとしても、提示された値段が高いのか安いのか、判断がつかない。
→江副さんの事業の作り方について知れた。いつもお世話になっているSUUMOの原型を感じる
日本リクルートセンターの創業期のメンバーは江副を筆頭に、大学を出てすぐ事業を始めているので「大人の営業」を知らない。その点、間宮はプロだった。大事な接待がある日には夕方に担当のチームリーダーを呼びつける。「今日のお客様にお出しするビールの銘柄は?」「住友グループなので『アサヒ』です」「ウイスキーは?」「シーバスリーガルがお好きだと聞いております」「二次会は?」「はい、銀座の店を押さえてあります」「バンドは?」「はい?」「バカ!今日のお客様は歌がお好きなんだよ。今からバンドを探してこい!」チームリーダーは銀座、新橋界隈を駆けずり回り、その晩、なんとか流しのギター弾きをつかまえた。二次会が終わり、お客をタクシーに乗せると「反省会」で飲み直しだ。「お前な、二次会の店に行くとき、ワンブロック先でタクシーを止めただろ」「はあ、店の前に別のタクシーが止まっていたものですから」「バカ!お前はお客様を15メートルも歩かせたんだぞ。もっとタイミングよく止めなきゃダメじゃないか!」
→大人の営業という言葉は始めて聞いた。僕はきちんとした営業をしたことはないので、新鮮であった
日本リクルートセンターの営業マンは小型のワンボックス・カーに『住宅情報』を満載し、首都圏の書店を?絨毯爆撃?した。丸儲けと分かると書店は棚を開けてくれたが、それでも新参者の『住宅情報』は隅っこにしか置いてもらえない。そこで登場したのが「JJのCL(住宅情報のコミュニティレディ)」。書店の近所に住む主婦をアルバイトで雇った。JJレディは客の少ない昼間に書店に顔を出し、店主と世間話をする。近所づき合いがあるから、店主も邪険にはできない。JJレディは頃合いを見計らって、書店のドアに『住宅情報』のポスターを貼る。「おいおい、そこはダメだよ」と言われても、JJレディは「あらいいじゃない」と知らぬ顔。中には店主の目を盗んで『住宅情報』をこっそり棚の「いい場所」に移すツワモノもいた。「おいおい、そんなことしちゃダメだってば」と咎められても「売れればオタクが儲かるのよ」と涼しい顔だ。棚が狭い書店には、日本リクルートセンターの営業が「邪魔にならない場所に置いてください」と手作りのマガジンラックを持参した。
→営業が強い会社であることを思い知らされるエピソード。普通の主婦がこれだけモチベーション高く仕事する組織を作れてるのが本当にすごい
このとき、リクルートの人事部は、採用にあたって江副からこんなキーワードを与えられていた。
「地方、貧乏、野望」
→自分はまさに地方、貧乏、野望という人間なので、このキーワードでの採用は重要なのではないかと感じた
1984年のAT&T分割がなければ、今も米国のIT産業はAT&TとIBMという東海岸の巨大企業が支配していたかもしれない。だが米政府は「独占は悪」という信念を貫き、AT&Tを解体し、その跡地にGAFAが誕生した。
→アメリカでGAFAが生まれている理由は他にもあるかもしれないが、これは大きな理由の一つだと思う。もっと日本も改革しなくてはいけないのだと思わされた。携帯電話料金の値下げはそのきっかけになる可能性があると感じた
サービス開始から4年、1987年にリクルートはJONのサービスを停止した。江副の構想にインフラがついてこられなかった。
→現在では当たり前のことだが、1987年には厳しかったというのが驚きだった
稲盛は常々、『資治通鑑』(11世紀、中国・北宋の司馬光が編纂した歴史書)の言葉を引用し、聖人(徳も才もある者)、君子(徳が才に勝る者)、小人(才が徳に勝る者)、愚人(徳も才もない者)の中で「組織を危うくするのは小人だ」と説いていた。正直で愚鈍なタイプを好み、目から鼻に抜けるタイプを遠ざける傾向があった。
→「才が徳に勝るもの」がクーデターを起こすのだと感じる
「江副さん、今回は助かった。ありがとう。それにしても安くない買い物だと思うが、大丈夫かね」
急成長中とはいえ、巨大企業のNTTから見れば、リクルートなどまだまだベンチャー。真藤はリクルートの懐具合を心配していた。江副はいたずらっぽく笑った。
「ご心配には及びません。今年はコンピューターに0億ほど使いましたが、ウチがその費用を何の経費として処理したと思われますか?」
「設備投資じゃないのかい」
「いいえ、採用経費です」
「採用?」
「はい。最高の情報サービス会社を目指している我が社は、理系の優秀な人材が喉から手が出るほど欲しい。クレイのスーパーコンピューターを2台も持っている会社はそうそうありませんから、これでコンピューター好きの学生が採用できます。それを考えれば安いものです」
→採用のために、最高の設備をいれる思想は人材を何よりも大切にしてるからこそできること。この人が現役で仕事をし続けていたら、日本はもっと強い地位にいたのかもしれない
江副は知り合った政治家や官僚によく贈り物をした。社長室の担当者がお中元に高級洋 酒を贈ろうとすると、江副は「君たちはまるで分かっていない」と諭した。
「そんなものは僕の家にも届くんだよ。このレベルの人たちのところには、もっと高い 洋酒が届くが、誰からもらったかなんて覚えちゃいない」
江副の贈り物は安比高原で採れたトウモロコシだった。そしてトウモロコシが届 く2週間前に丁寧な手紙を送った。
〈安比の菜園で育てておりますトウモロコシが、今年もよく実りました。ご賞味いただ きたく、勝手ながら何本かお贈りさせていただきます。お手数をおかけしますが冷蔵庫を空けておいていただけますでしょうか。もとより私の趣味でお贈りさせていただくものですから、礼状などはご不要に願います〉?
秋には同じく安比のサツマイモを贈った。バブルの絶頂期、飽食の日々を送るエスタブリッシュメントに、この贈り物はウケた。戦前、戦中にひもじい思いをした世代には懐かしく、しかも丹精を込めて育てたトウモロコシとサツマイモはべらぼうに美味かった。
→人間らしさはあまりないと思っていたが、戦略としての人たらしがあり本当にすごい
セルゲイ・ブリンとラリー・ペイジは「Don't be evil」をグーグルの「社訓」に掲げ、自らを戒めた。
われわれが検索をするときに開くグーグルのポータル(玄関)サイトには、毎日、世界中から約的億人の人々が訪れる。1億人の目に触れるサイトの広告価値は天文学的だが、グーグルはそこに絶対に広告を載せない。自分たちの検索エンジンが弾き出す検索結果が、特定のスポンサーに影響されていないことを示すための「やせ我慢」だ。
→グーグルのトップページに広告がないというのは言われてみればそうであり、その美学が本当に素晴らしいと感じた
インサイダー取引が日本で社会的な問題になったのは1987年9月の「タテホショック」が最初である。
特殊なマグネシウムなどを生産する化学メーカーのタテホ化学工業が債券先物取引の失敗で巨額の損失を計上する直前、同社の幹部や取引銀行がタテホ株を売却し、損失を免れていた。この事件をきっかけに証券取引法の条文が改正されたのは1988年のことで ある(施行は9年4月。証取法は、 年に金融商品取引法に改名して改正される)。
→ルールというのは、一般的に見て悪いことが行われた時に起きるものだと感じさせられた
リクルートがただの弱小企業だったなら、「空売り」も「底地買い」も「学生名簿の売却」も「未公開株の譲渡」も、世間は若気の至りと見逃してくれたかもしれない。しかし リクルートは日本の求人情報の大半を一手に握るプラットフォーマーであり、高次元のモラルが求められる立場だった。そこに考えが及ばなかった江副は知らず知らずのうちにダークサイドへと堕ちていく。
→社会の公器であるとはなんなのかを考えさせられる
1976年、岡山大学の経済学部を卒業した竹原が入社したときのリクルートは、 700人ほどの会社だった。体育会卓球部のキャプテンで都銀や大手電機メーカーから内定をもらっていた竹原は、「交通費実費支給」と赤い文字で書かれた就職案内のハガキに釣られ、大阪見物のつもりでリクルートの面接を受けた。
「リクルートはこれからどんどん成長するよ。だって俺たちが新ビジネスを作っていくから」
面接官があまりに堂々と「経営方針」を語るので、竹原が「先輩は入社何年目ですかと聞くと、男はしれっと言った。
「ん、俺まだ入って半年だけど」
(何だ、いっこ上か。どうして新入社員がこんなに偉そうなんだ?)?
次に会った「JJ準備室」の部長も「これからは、俺たちがリクルートを支える」と言い切った。会う人、会う人が皆「俺が、俺が」とまるで社長のようだ。入社するつもり などなかった竹原は、出てくる社員たちの勢いに押されて役員面接まで進んでしまった。
初めて会った江副は竹原に得意の口説き文句を使ってこう言った。 「竹原くん、2歳までは歴史を学ぶ立場だけど、2歳からは歴史を作る立場になるんだよ。うちに来たら、自分の仕事は自分で作りなさい」
入社半年の新入社員と部長と社長が、同じことを言っている。「会社に言われたことを一生懸命やる」のが仕事だと思っていた竹原は、ガツンと頭を殴られたような衝撃を受け た。竹原は両親の反対を押し切り、都銀や電機大手の内定を蹴飛ばしてリクルートに入社した。
江副が言った「自分の仕事は自分で作れ」の精神は、リクルート用語にすると「圧倒的な当事者意識」または「社員皆経営者主義」となる。
→社員全員が、経営方針を語れる会社は相当洗練されてないとできない。そんなことを入社半年で実現しているリクルートが勝つのは納得だと感じた
(自分たちで仮説を立てて、そこに都合のいいエビデンスをはめ込んで裁判官にプレゼンする。俺たちの企画書とよく似ている)
企画を通すときにも「ストーリー」は重要だ。仮説を立て、エビデンスを探し、ストーリーを組み立てる。仮説が面白くエビデンスがしっかりした企画書はクライアントを納得させる。リクルートとの違いは、特捜部ではエビデンスの重要性が低いところだ。
→Tipsとして、ストーリーを大切にしたい
ドコモの失敗で、iモード対応の携帯電話を海外で売ろうと意気込んでいた電電ファミリーも総崩れになる。2007年にアップルの「iPhone」が出た後も、電電ファミリーはドコモに義理立てして「ガラケー(旧式の携帯電話)」に固執したため、ス マホへの対応が遅れた。これが致命傷となり、日本メーカーの携帯電話は世界市場で完敗やることになる。
?→スマホを開くと、使っているアプリがほとんどアメリカのアプリであることの理由がここにあるのではないかと感じさせられた
「土地を持っていれば得だ、という『土地神話』が地価高騰の要因になっている」 この番組を家で観ていた江副は賀来のコメントに小さく「チッ」と舌打ちした。「土地は必ず値上がりする」ことは、江副の会社経営の大前提だった。景気や金利は上がったり下がったりするが、絶対量が限られた日本の土地は必ず値上がりする。だから江副は稼いだカネを自社ビルに注いだ。
→江副さんでもミスを犯すのだと知り、驚いた
ダイエーが経営不振に陥り、リクルートが株を買い戻した2000年までの8年間、 中内は「お預かりする」の約束を守り、リクルートの経営には一切口を挟まなかった。江副が作り上げたリクルートという「いかがわしい」会社は、革命家・中内によって「いかがわしさ」を残したまま生き延びた。
→こういう信頼できる第三者がいるのが、今のリクルートを作っているのだと感じた
バブルの時代に狂ったように貸し出し競争を繰り広げ、天文学的な規模の不良債権を抱えた金融機関を救済するため政府は2度にわたって銀行に公的資金を注入した。1度目は大手銀行と地方銀行、計1行に総額約1兆8000億円。奇しくもリクルートが背負った借金と同額だ。 2度目は99年3月、大手銀行と地銀の計15行に総額約7兆5000億円を注入した。経済学者の野口悠紀雄は著書『戦後日本経済史』の中で〈破綻金融機関の処理で確定した国民負担の総額は、2003年3月末まで10兆4300億円に上った〉と推定している。
→このようなお金の使い方が日本の未来を潰しているのではないかと思った
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ノンフィクションとは思えないほどダイナミックな展開で一気読みしてしまった。江副さんの経営者としての考え方・視点に学ぶことは多い。ただ、本書が私に投げかけてきた最も重要な問いは、「違法でなければよいのか?」であり、その答えは「違法でなくとも、倫理にもとる行為は行ってはならない」であると思う。
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リクルート(江副)の歴史
新しいビジネスモデルで拡大したが、未公開株がグレーゾーンだったと報じられ失敗。
性格が起因した失敗だったと思う。
なぜ自分がモチベーションに興味を持ったかがこの本を通して理解できた。
カリスマ性の欠落から。
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あなたは何がやりたいの?
こう社員に問い・任せたリクルート創業者 江副浩正。
日本株式会社の人事部として、日本の新卒中途採用の情報の流れを作った。
モノづくり大国で、情報産業を立ち上げるというゼロからイチを成し遂げる。
AWSのようなデータセンター構想を個人パソコン、スマホ普及前に構想する先見の明を持ち時流の先を行った。
しかし、リクルート事件で社会的に抹殺。
大きくなった新興企業の創業者として、自ら近寄っていった政治の濁流に乗り込まれる。
今となっては、違法か合法かよりも「高次元のモラル」が欠けていたとも言える。それを指南する指導者が回りにいなかったとも言える。
ダイナミズムという言葉がぴったりの江副浩正の半生であり、それを自叙伝ではなし得ない形で表したのが本書。
おもろかった。こんな人がこの先の、日本に出てくるだろうか?出てくるべきか?考えさせらる。
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日本を代表する巨大企業の創業者でありながら、リクルート事件の主犯として、社史からも名前を消されている男・江副浩正。ネットも携帯電話も普及していない時代にモノではなく「情報」を商品としたその革新性と創造性、そして日本が漲る活力と可能性に満ちていた時代を描き出す。検察と世間が作り上げた罪とバブル崩壊により堕ちていく姿は切ない。
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リクルート創業者江副浩正の生涯を追った1冊。
東大在学中に就職情報誌を作ったことからできた会社がいかに急成長を遂げ、いかにリクルート事件に辿り着いてしまったのか。
心理学を学んだ江副が、高度成長期の企業の中では珍しく、社員に「君は何がやりたいの?」「面白い!じゃあ君がやってよ」とやる気を起こさせる姿はまさにベンチャー企業!
グーグルの38年前に検索機能を構想していたり、インターネットの将来を予想していた先見性にも驚かされる。
まさにジェットコースターのような人生。
生まれる時代が早すぎたんだろうな。
日本にもこんな経営者がいたのに、私も含めて知らない日本人が多いと思う。
でも家庭人としては尊敬できないから⭐︎マイナス1。
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リクルート創業者、江副さんの本。在学中には東京大学新聞で広告営業を始め、その仕事を発展させ卒業後に起業した。
ネットが普及した現代から考えてみると、最先端の事業だったんだとしみじみ感じる…。
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事実は面白い!起業家やビジネスのダイナミズムをリアルに感じられることができる名著。
リクルートや江副さんに関する初めての本。
印象に残ったのは以下の部分:
・壮絶な子供時代(母が3回変わり、父は昔の男性って感じ)
・大学時代からお金を稼ぐことに秀でた才能
・どこにも就職せずリクルート立ち上げここまで大きくした
・経営を学ぶ機会も先輩も上司もいなかったのでドラッカーの本に付箋をたくさん貼って経営を実践を通して学んで行った
・最初は大学内の新聞広告からスタート
・学生向けの情報誌「企業への招待」、初号こそ苦労したがその後は企業への問い合わせが増え、有名企業がこぞって出稿
・こんな昔から「データイズマネー、データを持つものが強い」の考え方
・トヨタの出稿を取るためにトヨタ課的なものまで作って現地に人を貼り付けた
・ダイヤモンドの参入で社長に出さないでくれと直談判→結局最終的にリクルートはシェア一位を獲得
・ジェフベゾスとの交わり
・超合理主義で仕事を進める
・個人の尊重、を一つに掲げて、大学に行けない優秀な高卒生、腰かけ入社としてあまり採用されない女子大学生を優秀なら採用してた
・女帝と呼ばれのちに3代目社長となる河野栄子
・カリスマ性がないと認識していた江副さんは福利厚生に金をかけた
・カリスマ性がないと思っていたからこそ、社員のモチベーションをひきだすために「どうしたいの?」を聞いていた。コーチングアプローチに近い。不平不満の「評論家」社員を「当事者」に変えてしまう
・大沢さんの「心理学的経営」
・待ち時間が嫌い、同時に2-3のことをやらないと嫌
・志布志の土地を購入。石油備蓄構想があり、地価の値上がりを見込んでのこと。建前は社員のための保養所。チームビルディングの先駆け。当時500人、何やってるかわからないが発生し始めていた。顔が知れると知恵を交換し合うようになった。
・小集団に分けてそれぞれに事業責任を持たせるプロフィットセンターを導入。平成になるとその数は1600にも。社員皆経営者主義
・早稲田の入山さん取材で「リクルートには内発的動機がある。外発的動機は報酬や昇進、内発的動機はやりたい、楽しみたいとうちから出てくるもの」
・安比のリゾート開発、スキー場としてのブランド化
・都内に不動産を買おうとしてて情報がないことに気づく。徒歩十分と書いてあり実際歩いたら30分、これはじゅうぶんと読むんだよ言われるくらい不動産業は売り手優位、悪徳、情報の精度も悪かった。ここから生まれたのが住宅情報雑誌、スーモの前身
・余談:鉄道殉職者の妻の働き口のために作られたのがキヨスク
・当時の経団連会長の稲山氏から「ものづくりをしないリクルートは虚業」と言われる(その後経団連加入自体は認められる)
・1984というジョージオーウェルの小説
・情報自由化を見越しNTTの対抗馬となる企業立ち上げが始まる。稲盛さんなど錚々たる経済界の有名人が集まり江副さんも初期メンバーで会合には参画。しかしソニーの盛田さんにまだ早いと第二レイヤーの投資企業に回される
・敵の敵は味方的にNTTとの協業を開始。回線のまた貸し業。
・採用コピー、企業人より起業人
・当時から情報に価値を置いていた江副さんはすごい
・IT新規ビジネス開発のため東大工学部が必要と考えた。当時NTTや新日鐵に行く人が多い中人事部長は東大近くの寿司屋2階を3ヶ月貸し切って座敷でくどくを繰り返し、落ちそうな学生は江副さんが出てきて最後の1推し
・スティーブ・ジョブズがペプシの事業部長だったジョンスカリーを口説いた「いつまで砂糖水を売るつもりなのか、自分と一緒に世界を変えよう」
・即戦力採用のためMBA社費留学中の学生を現地で一本釣り
・AWSのようなクラウドコンピューティングのビジネスを誰よりも早く構想し、スーパーコンピュータにも多額の投資をする。paypalの何年も前に、ファイテルというベゾスが新卒入社したオンライン決済のベンチャーに出資し、と明らかに産業の第三の波を捉えていた江副さんは、第二の波(産業革命後の工業化社会)に留まる日本では明らかに異端児。情報化社会という第三の波に乗り切れなかった日本の敗北はここから始まっていた。
・情報産業と不動産にしか興味がなくなり取締役会でも政治家や高級官僚の話ばかり。1億2億のコストカットについて喧喧諤々と議論をする他の幹部を小馬鹿にする態度。
・政治家に高い酒ではなく安比で取れたサツマイモやトウモロコシを一筆添えて贈っていた。その感覚で新たに「リクルートコスモスの株」を配ってしまっていた。上場目前で自分の株は譲渡できないので、安定株主として過去に売った近しい経営者から一部買い戻しそれを政治家や秘書83人に配りこれが還流株と言って問題になった。
・経営者仲間で女性を連れて行った沖縄旅行が週刊誌にスキャンダルとして出る
・当時あまりまだインサイダーの線引きがあやふやだった。企業の人事情報が無限に入ってくるプラットフォームになったリクルートは本来神の見えざる手のところが神の視座を手に入れた状態。自社の努力で集めた情報を使って儲けて何が悪いという発想でどんどんダークサイドに堕ちていく
・朝日が記事にした。直接的に言葉は使わなくとも「未公開株」「川崎市助役」「売却益一億円」と一面に報じ他紙も追随。株を譲渡された日経新聞の会長も辞任に追い込まれた。江副さんの周りでは脅迫も起こり不穏な空気に包まれていた。
・当時の日本ではエンジェル投資家というものが存在しなかった。江副さんに助言をくれる人はいなかった
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リクルートを創業した江副さんのストーリー。企業はどう経営するとどのような人が集まり、どのように考えればどのように傾いていくのかがわかった一冊だった。自分以外の人間を信用し、任せて、大きくしていくことで、社員ひとりひとりそれぞれが経営者のような会社を作った江副さんだったが、バブルの中不動産売買にのみこまれ、政治家と深く関係を築いていき、いつしかその隙間に人間の黒い欲望や思惑が入り込んでいって最後には自分を壊してしまった人。先見の明があり未来を見据えていたロマンある人で、さらにそれに周りの人を巻き込んで仲間を増やす、人の天才だった人。世代が違うので、生きていたらどんな人だったか、動いているところを見てみたい人だと思う。ダイエーの中内氏が崩れゆくリクルートを、江副さんの思いごと引き継ぐ場面は、とても胸に込み上げるものがあった。わたしも本気で仕事しなければと、思った。
この本の中の場面描写はどれほど正確かわからないけれど、本物のように感じる、その取材力はすさまじいものだと思う。
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江副氏の生い立ちから、リクルートを起業し成長させそしてリクルート事件、その後残った人達が会社を再建し氏が死ぬまでを描く。
リクルート疑惑が起きる前あたりからの江副氏の暴走しはじめるところからの話は面白いし少年時代にテレビで見てたあれはなんだったのかあらためて学べた。
商才と時代、倫理観
今なお快進撃を続けるリクルートの基礎を作り上げた江副さんの軌跡を描いた本。当時の時代背景を考えると先見性に優れた経営者だった事がわかる。江副さん本人の凄さは勿論だが、作り上げられた組織風土が今でも残り、売り上げを上げ続けていることがすごい。