あらすじ
本書は毎日新聞のキャンペーン報道「優生社会を問う」をベースに、
担当した2人の記者が書き下ろしたものです。
旧優生保護法が改正されて四半世紀近くが過ぎましたが、
障害者への社会の理解は深まったのでしょうか?
障害者を取り巻く環境は改善されたのでしょうか?
新型出生前診断(NIPT)が拡大するのを利用した数多のクリニックの「検査ビジネス」は急成長中で、
「不安ビジネス」として社会問題化しています。
障害者施設が建設される際、いまだに周辺住民の反対運動が、最初の大きな壁となります。
そして、実の親による障害児の社会的入院、治療拒否……。
障害者入所施設・津久井やまゆり園(相模原市)での大量殺人が世間を震撼させている今日、
いまだ弱者が切り捨てられるわが国の現状を検証します。
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ーー安寧を願っているのに、最終的に個人が「排除」へと選択を迫られかねない社会を放置しておくこと、弱者と共に生きる方法を考え続けることを放棄してしまう「怠惰な思考」こそが、優生思想なのではないだろうか。(p.318 あとがきより)
重度の知的障害を持つ弟がいる、大学の同期。自閉症の長男を持つ、知り合い。次男が肢体不自由の同僚。彼ら彼女らの生き方には、そのことが重く関わっている。けれど、それを一括りに「不幸」と呼んでしまうことには抵抗がある。ままならなさから生まれる言葉や思いの深みの様なものを、常々、感じさせられているから。そして、逆に、そういう事情を知らない人たちからの彼ら彼女らに対する人物評は、いたって平凡だから。
だから、どうだ、ということはできない。出生前診断を弾劾したり、何が何でもノーマライゼーションを進める様に正論を振り翳すのも、違う。私も出生前診断を一度は検討し、検診前カウンセリングを受けた人間だから。私の母もまた、障害を持って生まれる可能性が高いと診断された子ども(生まれていれば私の2番目の弟か妹になるはずだった)を、私と私の妹のために、と思って中絶したという。その母はその後、小学校教師として様々な障害を持つ子どもたちを教えた。
矛盾だらけだ。すっきり片付く話なんか、どこにも無い。自分の中にある差別意識を炙り出しながら、日々、それを恥じつつ生きるしかないんじゃないか。そんな気がする。
下の娘の通った小規模保育園に、ダウン症の女の子がいた。娘を迎えに行くと嬉しそうに寄ってきて、一生懸命、話しかけてくれる。目を見て手を握って、その日遊んだおもちゃを出してきてくれる。握る力の調整がまだ難しいようで、娘は手を握られるのを嫌がっていたけれど。
上の娘の幼稚園のクラスには、軽度の自閉症をもつ子がいる。最初は誰とも遊ぶことができず、ピアノの椅子の下に潜り込んで1日過ごしていたらしい。けれど、その子にも親友ができた。何をするにも一緒の無二の親友。
「普通」に固執する人たちは、たぶん、自分の、あるいは日常の凸凹をわざと見ないようにしているか、気づいていない。けれど、凸凹のないクリーンな世界を望むことは、社会を窮屈にし、自分自身の首を絞めてしまうことにもなる。少し、想像すれば分かることなのだけれど、想像には知的負荷が伴うから、面倒なんだろう。結局、ディストピアを招くのは、私たちの怠惰なんだ、と自らを戒める他ない。
「考えることをやめるとき、凡庸な『悪』に囚われる。」(ハンナ・アーレント)
これからも自分の怠惰と地味に戦う。
Posted by ブクログ
出生前診断、障害者入所施設建設、社会的入院や治療拒否、ゲノム編集と受精卵診断、相模原殺傷事件と優生思想、遺伝差別、コロナによるパンデミックが起きたことから考える総障害化という分岐点。など様々な「命の選別」が起きている、起きてきたであろう状況からむしろ現代は優生社会化しているのではないかと世に問う一冊。
第1章出生前診断に関する章の中で、病気や障害を理由にした選択的中絶についての統計が取られていないということが書かれていて驚いた。あえて取っていないのだろうなと思われた。p52「現状を直視せず、タブー視して議論しないことが一番問題です」その後のどの章の問題についても言えることだと思う。
第2章障害者入所施設建設を反対する住民問題というのも今でもどこででもあるのだろうと思う。
p122ピンチをチャンスに変えてきた
そういう熱意ある関係者の努力や思いで支えられていて、行政や周囲の地域が及び腰になっているところもまだたくさんあるのだろうなとも。
関心がなく知りたくもないという人たちに理解を求めるのは本当に骨が折れるし心も折れそうになることだろう。p125いつかは自分のこと、とはなかなか思えない人のほうが多いのは現実だ。
この章の中では、福祉経験のない不動産業者などが障害者入所施設運営に参入する事例が増えていることがあげられているが、自分も「障害者入所施設に投資しませんか」という不動産業者などの広告を最近よく見ることが増えていて、不穏だなというか不信感を感じることが増えた。今後もそういう業者が増えそうで懸念事項だなと思った。
福祉は金になる、という文言を見たこともあり、出生前診断のところでも診断後のフォローのない医療関係機関の金儲け主義が問題としてでていたが、国にはこういうところへの監視やチェック、対応もきちんとしてもらいたいと思う。
第6章p245重度知的障害がある息子さんがいらっしゃる大学教授の話には胸が詰まった。p262の親御さんの話にも。
施設へ入所させる親や家族はそれが必ずしも最良と思ってしているわけでもないし手が離れたと喜んだり安心したりできるわけでもない。
p263相次ぐ障害者虐待 にあるような事例や問題が起こったあとの検証の突然の終了や隠蔽など少なからず起きていることを知れば、懸念事項として言わなくても自分の子供や肉親も同じ目に遭っては居ないかと頭の隅にある入所者家族はかなり多いのではないだろうか。
p274にあるように、施設関係者にとっては入所者の安全のためと疑いなくしていた処遇が、虐待に当たると認定されるようなことは実は少なくないのかもしれない。(一生懸命対処している現場の職員の人たちがこれで心折れたりしなければ良いなと懸念する)現実的にはグレーなことが多く判断が難しい状況もたくさんあるように思う。
制御の難しい行動障害があったり、重度で処置に手間がかかったり、より人手が必要だったりする人ほど入所しづらくなっている現実にはその辺りの状況を避けたい関係者の考えもあるのかなという気もする。
最終章で乙武さんが言っていたことにとても考えさせられる。考えがまだまだ及んでいないところがたくさんあるんだなと思い知らされた。
2020年出版の本だが、むしろこれから読まれて欲しい一冊だと思う。
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優生思想をめぐる近年の主な出来事を取材した内容である。
障がい者施設の設立反対運動は明らかな差別であるから、間違いであり到底共感できないが、その他の事案については、自分の立場が違えばどう考えるだろうか。特に自分が遺伝病を持っていて子どもに受け継いでしまう可能性が高い場合などは。
やまゆり園の施設内の実態は目に浮かぶようであった。精神科病院や高齢者施設でも同じようなことを目にしている。管理者の責任は大きいと思う。
技術が発達すればするほど、使う人間の品格が問われるのだと思った。技術革新や拡がりを妨げることはできないだろうが、海外ではOKなのにという安易な考えはやめたい。現在進行形な規制などと並行して、(この問題に限ったことではないが)子どもたちへ考えさせる教育をしていくことが、誰もが暮らしやすい世界につながるのではないか。
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1996年まで「優生保護法」という法律が存在
したのはご存知でしょうか。
要は、特定の障害や疾患のある人を「不良な
子孫を産む可能性のある人」として、不妊治療
させていたのです。
つまり障害者達を差別していたのです。
残念ながら、この差別意識は今でも様々な形で
表れています。
その最悪の例が2016年の相模原殺傷事件です。
この本ではその最悪の例とは別に、密かに進み
つつある差別意識=優生思想の事例をいくつも
取り挙げます。
「出生前診断」「遺伝子のゲノム編集」さらに
障害者施設建設をめぐる地域住民との争いまで
様々です。
このような問題は当事者意識を持つことが難し
いと思います。
しかし誰もが目を背けず向き合うことが大切で
す。
そんな気づきと投げかけのきっかけとなる一冊
です。
Posted by ブクログ
「旧優生保護法」問題を追ってきた記者が書くものだけに真摯に読ませる部分が多い。優勢思想に基づくものは「旧優生保護法」問題だけに済まず、現代では出生前診断の問題が横たわっている。また障害者施設建設への相模原事件反対運動など根は深い。相模原事件の問題も、後で次々と出てくる施設自体の問題。障害者を「排除」し、しかも安上がりな福祉で済ましてきた我が国の社会保障の根深い問題もある。今もあり、この先も続く優成思想に基づく様々な事象について、またそれが技術の進歩で見えにくくなっている現代だからこそ、常に注意してアンテナを張って、その根を見続けないといけないだろう。
Posted by ブクログ
この本の前に読んだ出生前診断より個人的な思想や意見は示されていなかったので、より考えさせらた。優生思想=悪、そう思っていたけど、その裏側には多くのしがらみが存在していた。でもやはり、論理として成り立っていると決めてしまったら人間社会というものが崩壊すると思う。マジョリティがいつも正しいとは限らない、優先されるべきでもない。でも私はマジョリティの中にいて、マイノリティの世界に気付けない。いつもマイノリティの中に放り込まれた時にようやく社会の生きづらさに気付く。人は当事者にならないと何もわからない。経験がモノを言う。
Posted by ブクログ
すごく考えさせられる内容だった。
色んな立場で色んな意見があって、
どれがいいのかわからない。
でもこんなに考えさせられる内容の本は
久々に読んだ気がした。
Posted by ブクログ
まず圧倒的な取材力と熱量を感じた。これだけの内容を2人だけでカバーしているのは単純にすごい。筆者たちは冒頭で、『「論」ではなく「事実」を地道に積み重ねることで、社会の通奏低音を明らかにするとともに、誰も幸せにすることのない優生社会化を問い直す糸口を探りたい』と志高く宣言する。容易なことではないはずだが、まさにジャーリストが担うべき仕事であり、見事にそれを達成している。
生命倫理の分野で「リベラル優生学」や「新優生学」という言葉が登場して久しい。筆者たちはそうした知見は踏まえながらも難解な専門用語で誤魔化さず、ビジネス化の現場や学会の利権争いに踏み込み、時には「善良な」市民にも問いをぶつけ、それがどういうメカニズムで進んでいるのかを冷静に綴っていく。
一つの章だけで新書一冊ほどの情報量が詰め込まれている。序盤はテンポ良く進み、ゴッドハンドや黒幕のカーテン屋などの描写も印象的。途中の章で読みにくくなったり、気分が重くなるのは否めないが、それだけ「事実」にこだわる執拗な取材であることや、著者たちが「われわれの問題」であると訴えたいことも伝わってくる。それぞれの章は違うテーマを扱っていて、独立しても読めるが、少しずつ相互に絡み合っていて、全体を通すと現代社会の歪みが立体的に浮かび上がってくる。圧巻は、ゲノム編集の発展と日本医学会による優生学の検証を対比させながら、物語に仕立てた4章。なぜ日本だけ障害者らへの強制不妊が21世紀目前まで続いていたのか、その反省や教訓は先端技術による遺伝子操作にどう生かされるのか。これらの問いに現代の生命科学の問題が集約されている。2020年のベスト3に入る労作であり、地味だがもっと読まれるべき良書であろう。
Posted by ブクログ
技術の進歩と市場経済と差別が混ざり合う現代の優生思想の複雑さを勉強した。
出生前診断の話はあまりにも色々な思惑が絡まり合いすぎて愕然とさせられた。
障害者への社会の冷たさと障害を抱えながらも幸せに生きる人々のエピソードに心を大きく動かされた。
じっくりこれからも考えないといけない。
Posted by ブクログ
社会的な問題と認識しつつも何となく詳細を知ることを避けていた事例がいくつも。端から見てるときは言えることも当事者となったら逆のことを言ってるかもしれない。自身も無意識に命の選別をする思想を持ちうると考えると怖い。今まであまり読んでこなかった類いの本なので、今後はもう少し読み広げたい。
Posted by ブクログ
普段あまり光の当たらない出生前診断、障害者施設の実態等について丁寧に取材した本。
非常に難しい問題だと感じる。
障害者施設に反対するような人々の態度は論外だとしても、障害を持って生まれてきた人は苦労して生きていかなければならないことは多いだろう。
それを心配して、出生前に検査を行おうとする人達、その心配をビジネスにする人達、問題は複雑で、何が正しいのか考えさせられる。
ただ、障害を持つ人、持たない人という二元論で考えるのは良いことではなく、それぞれの状況によって考えていくべきということは間違いないと思う。
Posted by ブクログ
オランダには、ダウン症の子供がいない。
NIPT新型出生前診断が公費で受けられる。
日本では、自費だし、受ける要件は、日本産婦人学会により決められていたが、今は厚労省が、音頭を取りガイドラインを策定中。
NIPTを受け、陽性となった場合、障害者を産む可能性がある為、中絶する。
先天的な障害者を無くす、旧優生保護法の思想に近いものがある。
医療費、社会保障費の軽減にもなりうる。
障害者差別解消法では、その障害児を産みたくないから中絶する、と言う概念でもう差別しているのだが。
権利意識として、知る権利、障害者を持たない権利を口にされると弱いのだが、レイシストだね。
しかしね、障害は、先天的じゃなく後天的な物もあるのだよ。
また、産婦人科医が経験するのは、もし治療したら生きられるが、医療的ケアは要らないが障害児で生まれて来た赤児の治療を拒否、挿管して呼吸器をつけ、大学病院の医師はなんとかして治療を受けさせたいが、延命を拒否。
高齢者の場合、今まで自分の意思を表明することができるが、生まれたばかりの赤児は意思を表明することができない、親が判断することになる。
拒否するのは、ほとんどが父親のようだが、なんということだ。
産婦人科医や小児科医は、児童相談所や病院内の倫理委員会に申し立てをするが、時間が欲しい。
高齢者のACPと赤児のACP。
まったく違う。
障害がある我が子を受け入れられないから、延命しないでくれ、=見殺しにしてくれ。
彼らを理解する医療者がいるが、
私は何無責任な事言っているのだろう?と思う。
なら、もう二度と子供を産まない、
子供ができるような行為はすべきではない。
他人に殺人を強要し、職業人としての倫理を侵させる行為を平然と言ってのける、
それが、その親の障害では?
他人を慮れない。
レイシスト
障害がある子を育てられる社会保障制度がなっていないと、言うが、前提にあるのは、レイシストである親の無責任さ、無自覚さ、
存在の耐えられない軽さ、
障害があっても、我が子、自分が育てないと、
育てられないなら、最初から妊娠する行為をしなければ良いし、まさか、障害児を産むとは思わなかったのか?
しかし、もしかして後天的に障害児になったら、
社会のせい、そうは思わない、あくまで育てにくさは
本来は、自分たちの中にある。
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第1章 難しく、集中して読まないと内容が理解できなかったです。
第2章 無知であることが、差別偏見を生む。障害者施設反対の実例を踏まえて理解できました。
第3章 我が子に障害があるのを受け入れられない親。その反対に、障害があってもなくてもうちの子だと言う親も出てきます。
第4章 親になって初めて自分が障害の原因を持っていたと気付き、2人目は健常者で産まれてほしいと診断を望む親。
第5章 そこまで選んでいいのでしょうか。
第6章 津久井やまゆり園、植松死刑囚。最初は障害者をかわいいと言っていたと知りました。
第7章 国が求めているのは、生産性のある人間だけなのでしょうか。
私が親になるとしたなら、五体満足の子をごく自然に望んでいたと思います。五体満足を望むのは、障害者=幸せの構図が出来ていないからです。旧優生保護法の下、生産性のある人間が必要で、そうでない人間は産まれることすら許されない時代がありました。もう法律は過去のものになりましたが、障害者施設反対運動や杉田議員の『生産性がない』発言、植松死刑囚のことを鑑みても、歴史の鏡から私たちはなにひとつ学習していない気がします。これから先の未来、過去よりももっと酷いことになるかもしれないと危機感が迫ります。社会の一員として、私も差別偏見というフィルターを通して障害者を見ていないか自分を見つめ直したいと思いました。
第2の植松死刑囚を育てない土壌をこれから作る必要があると思います。
Posted by ブクログ
障害児と関わる仕事をしています。周りに健常児より、障害児の方が多い環境にいると、この世界での「多数派」としての価値観が、世間一般では「ごく少数派」としての価値観だということを忘れがちで、そこが乖離を生む要因の一つになっていると感じます。
「ごく少数派」の私たちも、「多数派」がどうかんがえているのか、目を背けず、向き合っていくことができれば少しはさまざま前進するのでしょうか。
Posted by ブクログ
「なかったことにしたい」「遠くで暮らして欲しい」「生まれないで欲しい」それが本音だとしたらなんと悲しいこと。傍観者として眺めているだけならなんとでも言える。「現実は過酷だ」当事者にそういわれたら、返す言葉はない。「ほっと一息つく暇もない」それでも幸せは思わぬ瞬間に感じるもの。自分も家族も健常で、一見平穏な暮らしにみえても、生きていくのは楽ではない。ハンデがある人もそうでない人も、身近にいて、助け合いながら暮らして行く。そんな古くて新しい世の中であったらいい。いろんな問題を読み進めながらそう思った。
Posted by ブクログ
印象的だったのは出生前診断NIPTに対して「不安ビジネス」との批判しているところ。
美容外科が次々とNIPT事業に参入する理由として、利益率の高さが挙げられているのも医療としての倫理が置き去りにされ、ビジネスとしての側面が強いから。
NIPTは本来、親が安心して将来を考えるための技術であるはずが、ビジネスとして過度に商業化され、親たちの不安を煽る仕組みが広がっている現状は非常に問題だと感じた。親たちが冷静に選択できる環境作りと、十分なサポート体制の整備が急務だと思った。
Posted by ブクログ
出生前診断には目先の利益、妊婦へ不安を煽る。思っていたより広まっているのだな。
特に興味深かったのは障害者を拒み施設反対運動をする地域住民の話。地価が下がるという根拠のない話から何をするか分からない危険因子を取り除く…など言い分は様々で説明会は聞く気がないから意味をなさないとかみんなで一致団結して工事を妨害するのが楽しいといった当事者の声など知ることができて良かった。
中には地道な努力で地域の反対者を味方につけられた例もあって希望もあった。お互い許し合うことができるなんてすごいじゃないか…
何かを排除したい気持ちにフォーカスを当てた本を読みたくなった。