あらすじ
「むだで横道にそれた知識には一種のけだるい喜びがある」。ホルヘ・ルイス・ボルヘス(1899-1986年)は、『幻獣辞典』の序でそう語る。
マルコ・ポーロがスマトラで目にした一角獣、フランスの教会の壁面に刻まれた大耳人間、日光東照宮を彩る幾多の霊獣に、目まぐるしく姿を変える千変万化のバルトアンデルス.......。古今東西の書物に記された、不思議で興味深い生きものたちをめぐるエッセイは、まさにボルヘスが語る「喜び」に満ちている。
龍のように、洋の東西を超えて同じような想像上の生きものが生み出されるのはなぜか。人間はなぜ、くり返し、異様なもの、奇妙なもの、ときにはグロテスクなものを生み出したがるのか――。軽妙洒脱な語り口で繰り広げられる世界に引き込まれていくにつれて、私たちの意識に、あるいは無意識のうちにこそひそむ「幻の獣」の姿が浮かび上がる。
古代中国の『山海経』から、二十世紀にカレル・チャペックが生み出したロボットに至るまで、書物を広く深く愛した著者ならではの幻獣奇譚集。
1 一角獣――マルコ・ポーロが見たもの
2 アジアとヨーロッパ――幻獣という知の遺産
3 不思議な生きもの、不思議な人――狂気と文学のあいだ
4 幻獣紳士録1
5 幻獣紳士録2
6 百鬼の奇――日本の幻獣
7 霊獣たちの饗宴――日光東照宮の場合
8 中国の宝の書――『山海経』入門
9 私という幻の獣――寺山修司の夢
10 ゴーレムからロボットへ――二十世紀の幻獣
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Posted by ブクログ
しっかりとした辞典を選ぶとしたら、「幻獣辞典」(ボルヘス)が河出文庫で出ている。原典に挑むとすれば、「東方見聞録」「山海経」などが手に入りやすい。この薄い文庫本は、それらに向かうための先導役としては打ってつけかもしれない。
黄金の国チパングを広めたマルコ・ポーロは、「私はホントに見たんだ」と主張して、ホラ吹きの異名を取った。しかし、今になってみると「樽のような蛇がのし歩いた」「スマトラに棲む一角獣」「犬の顔を持った人間」の正体は、その描写が詳細なだけに容易に推察がつく、ということを実はこの本で初めて知った(答え合わせは本書の一章目を見て)。
※コレ、ゼッタイクイズ番組のネタになる。
大航海時代が終わって、架空の生き物が「博物誌」から消えるのは18世紀後半らしい。反対に言えば、それまでには、立派な学者が大真面目に架空の生物を論じていたということだ。
日本の日光東照宮には霊獣が、種類にして150余、総数約800体、一つの建物を埋め尽くすように刻まれているという。そうか、そういう処だったんだ!突然行きたくなった。鳳凰、龍、麒麟の他に龍馬、猩猩(しょうじょう)、獏、やがて鳴蛇(めいだ)、蜃、息とかかなりマイナーな幻獣のオンパレードである。
それらの主な原典は「山海経」。もとは中国古代の地理書ではあるが、やがて百科全書になったという。紀元前3世紀の戦国時代に成立、その後何度も手を加えられた。小野不由美「十二国記シリーズ」のもとになっているのは御承知通り。
だから、学者が語らなくなっても語り手はなくならない。幻獣の話は古代の専売特許ではない。現代こそ、うごのたけのこ、の如くウヨウヨと蔓延っている。池内紀さんはロボットもその一つだという。
人間はなぜ幻獣を産み出すのだろうか?
明確な答えの出ない、この問いを、池内紀さんは絶えず発している。
私は、さまざまな答えを用意しながら
イメージを宇宙にまで広げている。