【感想・ネタバレ】ロシア革命史 社会思想史的研究のレビュー

あらすじ

革命研究に衝撃を与えた、独裁研究の第一人者猪木正道のデビュー作、復刊!
「一九四六年八月に、ほぼ三週間を費やして、私は本書を書き上げた。
当初は食糧不足の時代で、私は成蹊学園の農場内に住居を与えられ、みずから陸稲やとうもろこしを作りながら、原稿を書いた」

革命史を簡潔にたどりながらも、レーニン主義、ボリシェヴィキ政権など、革命過程を理論的に分析した。
意外と類書がない切り口であり、後に、革命を破壊と創造の両過程に分類し、その二つの流れの総合として説明したことは、
コロンブスの卵とされ、革命研究に衝撃を与えた。
再評価の進むローザ・ルクセンブルクとレーニンを「西欧共産主義」vs「東欧共産主義」として対比させたり、
「(ヒトラー)ファシズムは、世界革命の鬼子である」と喝破するなど、本書の普遍性はいまも失われていない。

先般、逝去されたロシア研究の泰斗・木村汎氏は解説でこう激賞している。
「総合的なアプローチ、卓抜のバランス感覚、思索の深さ、精密な分析、時として大胆な仮説――これらのコンビネーションをもって真正面から共産主義へ立ち向かった概説書として、本書の右に出るものはない。また今後、少なくとも邦語において出ることはないだろう」

【目次】

旧版はしがき
はしがき

第一章 序 言
第二章 ロシアの後進性
第三章 ボリシェヴィズム
第四章 ツァーリズムの苦悶
第五章 十月革命
第六章 世界革命
第七章 一国社会主義
第八章 結 言


解 説 木村 汎

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Posted by ブクログ

猪木正道「ロシア革命史」(角川ソフィア文庫)
ロシア革命とソ連の第二次世界大戦までの歴史を描く名著。終戦直後、ソ連が輝いていた1947年に書かれた本ということを意識して読む必要がある。
1. 序言:日本ではロシア革命やソ連は徹底的に否認されるか、徹底的に賞賛されるかのいずれかだった。著者はなぜ列強中最後進国のロシアで革命が成功したのか。その成功にもかかわらず彼らが取り組んだ世界革命は失敗に終わったのはなぜかを分析する。
2. ロシアの後進性: ロシアは1861年の農奴解放の後も人工の85%が農民であった。1890年の仏露同盟で鉄道の敷設と軍需工業の建設が起こったが、主要原料の消費量(一人当たり)は西欧の1/10以下だった。精神的にもロシアはローマ文明を受け継がず、ルネサンスや宗教改革とも無縁で人文思想も受容されなかった。アジア的暴君ツァーリの専制のもとにあった。農奴はしばしば一揆を起こしたが持続的な改革につながることはなかった。19世紀の西洋文明の受容により支配層は上からの啓蒙により近代化を目指す親西洋派と、ロシアの国粋的伝統を守り資本主義の流入を嫌う層に分裂。後者の中から「農民への盲目的ない愛情とツァーリズムへの憎悪」を基調とする革命運動ナロードニキが生まれた。一身を捨てて全てを聖なるロシア農民のために捧げるという強心的な行動力は強く、アレクサンドル2世など多くの支配層をテロで倒した。一方、急激に導入された工業では、国家や外資が経営し、農奴出身者を強制的に働かせるなど労働条件は劣悪であった。
3. ボリシェヴィズム: 西欧の労働運動を指導していたのはドイツ社会民主党だった。(書きかけ)
4. ツァーリズムの苦悶
5. 十月革命
6. 世界革命
7. 一国社会主義
8. 結言

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2025年05月20日

Posted by ブクログ

ロシアの後進性。それを鑑みずには革命の歴史もソヴィエトの歩みも評価不能だということがヒシヒシと伝わる。
ソヴィエトの後進性、独裁制を批判するのは容易だが、その背景への理解無くして正当な批判など不可能で、現在のネトウヨ的共産主義忌避が如何に愚かしいかが、このロシア革命史の批判的研究書によって明らかになるのが皮肉でなくて何か。

0
2021年07月30日

Posted by ブクログ

著者が本書の執筆に勤しんだのは1946年で、初めて出版されたのは1948年であるという。読み継がれた本書が文庫化されたのは1994年で、手にした本は2020年に二次的に文庫化されたという代物である。
原版が古いので、巻末に「今日の見地に照らして不適切」という表現が使われているというが、巻末にこのように断りが在るのを視るまで、そういう辺りは気にならなかった。最近の文章では視る機会が少ないかもしれない表現が、少し古いモノ故に交っているかもしれないような気がするという程度のことは在ったかもしれないが、気にはならない。寧ろ「集中して短期間で一気に書き上げた“ロシア革命?”という問いへの回答例」という感じで、勢いも感じられる力強い語りに引き込まれ、酷く興味深く読んだというだけである。
本書を通読すれば、19世紀後半から末というような頃の“革命”への遠い歩みが始まったかもしれないというような時期から、日露戦争期、第1次大戦期、10月革命への歩み、内戦期、第1次大戦後の時期、第2次大戦期というような流れが、史的事実と当時の思潮と或る程度知られている人物達の動向というような様々な側面で、通史的に知ることが叶う。研究者・教員として非常に長く活躍された著名な著者の作なのだが、本当に「力の籠った講義を拝聴」という感でドンドン読み進めた。
本書の冒頭部に添えられた著者の言によれば、執筆時点に在って、<ロシア革命>と呼ばれる一連の出来事の推移、知られている関係者の動向や思潮の変遷というような通史が満足の行くように纏まったモノに思い当たらなかった中で執筆したのだということであった。そういう状態に在ったのは、“赤”と共産党政権のソ連を敵視して、関係事項を学ぼうというようなことを過ぎる程に抑制されていた、逆に“赤”と危険視されながら社会主義系統の運動を進めようとする人達が部外者を寄せ付けないような感であったという、両面の事情であるかもしれないとされている。
実はこの冒頭部を読んで、一寸思った。もしかすると「ロシア」に限ったことでもないのかもしれないが…現在に在っても、例えば「<ロシア革命>と呼ばれる一連の出来事の推移、知られている関係者の動向や思潮の変遷というような通史」というような、国外の事象、歴史が「存外に学ばれていない?」というような気がするのだ。殊に「ロシア」に関しては、例えば“北方領土”とか“樺太”という程度の「特定テーマだけを中途半端に取り上げる“編集”」のようなことが罷り通り、共産党政権が“赤”と危険視された流れなのか、ソ連が旗を下ろした頃の混迷というようなイメージが必要以上に増幅されていて、「古い経過が積み上げられて現在に至っている“とある社会”」として客観視されていないかもしれないような気もしている。
「ロシア」は、好むと好まざるとに無関係に、自身が住む国とは異なる経過を有する“近隣国”である。少し位、色々な事の一部を知りたいものだ。そういう中、「20世紀のあの国の流れ“そのもの”?」という側面も否定し悪い<ロシア革命>を本書のような一冊で復習してみるのも好いように思う。
実に長く読み継がれている“古典”という価値も高い本書であるが、極最近に改めて文庫化され、手軽に入手して気楽に読めるようになったというのは、非常に善いと思う。

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2021年02月11日

Posted by ブクログ

19世紀後半に入ってもなお
ロシアは絶対君主制…ツァーリズムを堅持しており
ブルジョワの近代的自我を悩ませていた

帝国主義がグローバルスタンダードになりつつあった時代
農奴制を経済基盤におくツァーリズムは
世界の流れからはっきりと遅れていた
農奴への依存がもたらす文化的後進性は
ロシアの近代化を足踏みさせ
資本主義の発達を大きく阻害した
ロシアがツァーリズムの家父長性を必要としたことには
おそらく地政学的な解釈があてはめられるべきなんだろう
しかしラスプーチンの台頭など見るに
当のツァーリ、ニコライ2世自身
ロマノフ体制において現実と向き合うことに疲れていた節はある
慈父ではなく、怖い父を演じたい願いが
血の日曜日事件を引き起こしたのではないだろうか
フランスに経済援助を求める一方
南進によってどうにかまとめられていた国内は
日露戦争でガタガタ状態に陥り
革命家たちの機は熟しつつあった

日露戦争の終結からロシア各地では農民一揆が頻発した
連動するかのようにモスクワでは大規模ストライキが行われ
軍内には戦艦ポチョムキンの反乱もあった
自然発生的なものもあれば
裏で革命家が扇動したものもあったらしい
とにかくこういった流れに押されて
ツァーリズムは後退を余儀なくされた
議会の設置により、ロシアは絶対君主制から
立憲君主制に移行したのである
これがロシア第一革命と呼ばれるものだ
ところがそれで資本家との関係を強めたニコライ2世は
すぐさま議会を骨抜きにしてしまった
こういった状況に雌伏していたのがレーニンである
レーニンは社会主義者のなかでも急進派で
プロレタリアート独裁に満足せず
革命の専門集団による独裁を志向していた
それゆえ議会はボイコットし
一線を画するスタンスを維持した

第一次世界大戦の開幕には
バルカン半島周辺における民族運動の高まりが
大きく影響している
これにはロシアの主戦派による裏工作が働いていた
ラスプーチンはおそらく逆張り的にドイツとの協調を唱えていたが
疎んじる者たちによって暗殺されてしまった
戦争を望む資本家たちと、未だ残るラスプーチンの影のあいだで
ニコライ2世は専制主義にすがりつくしかなかった
民衆は戦争成金への憎悪を募らせ
ここに再びストライキの渦がまきおこった
その中心にいたのは婦人労働者たちで
彼女らが亭主の兵士たちを抱き込んだことにより
反乱はいよいよ収集がつかなくなっていった
こうなると資本家たちも手のひらを返し
ツァーリに退位を迫った
要は責任を全部ツァーリにおっかぶせたうえで
革命の手柄を横取りしようと目論んだのだ

二月革命はそのようにいちおうの成功をみたのであったが
ロシアの政局は混迷を極めた
通常臨時政権と、労働者代表組織ソビエトの
二重権力が生じたためである
戦略的に戦争反対を唱えていたレーニンのボリシェヴィキは
そこに入っていなかった
1905年以来、レーニン本人は海外で亡命生活を続けていたが
ここで帰国して権力奪取に着手した
戦争反対といってもそれは
帝国主義を望む人々に迎合することを意味しない
メンシェヴィキや社会革命党といった融和派のやり方では
民衆の望む平和を実現することはできない
というのが、レーニンの主張であった
レーニンは原始マルクス主義への回帰と民衆への啓蒙を教条とし
また帝国主義を共通の敵として
世界同時革命を夢見るトロツキーと手を組んだ
ここにボリシェヴィキの共産党が誕生したのである

一方、民衆の不満はくすぶっていた
ツァーリズムが崩壊しても戦争は終わらなかったから
臨時政権と一部の軍人は
夏の大攻勢をツァーリ復活の足掛かりにしようと目論んだが
物資不足で士気も上がらず失敗に終わった
勢力を強めるボリシェヴィキに危機感を覚えた権力側は
宣伝工作でレーニンやトロツキーの悪魔化を図ったものの
上手くいかなかった
ナロードニキ以来の伝統的な社会主義者たちは
ツァーリズム崩壊後のビジョンを何も持っておらず
農民たちの失望をかっていたのである
治安維持への協力で活動を合法化されたボリシェヴィキだったが
弾圧によってすぐまた非合法となり
地下活動を余儀なくされた
資本家が財政を握っている以上
民主的独裁を実現することは不可能と見たのであろう
レーニンは古参メンバーの反対を押し切り
暴力革命への方針転換を実行した
すでにそれが可能なほど
ボリシェヴィキは軍にも根を張っていた

ツァーリズム崩壊に至った原因のひとつは
おそらくニコライ2世じしんが近代的自我に目覚め
君主の立場に迷ってしまったことだと思う
これに対しレーニンは
原始マルクス主義と暴力革命によって
反近代路線を走りはじめた
行き着く先が党の絶対化であることは
最初から決まっていたけども…

十月革命で政権を奪取したソビエトは
さっそくドイツとの停戦交渉を開始した
さらに、大地主から土地を没収して農民たちに開放した
平和と土地を手にした民衆は深く考えることもなく
ソビエトの新たな専制を歓迎した
しかし停戦交渉にあたったトロツキーが
ドイツ革命への期待から時間稼ぎに出たおかげで
結局、ソビエトは不利な条件を飲むことになってしまった
これによりウクライナが独立となる
ロシアはウクライナを連邦国として承認した
しかしその結果
ドイツの意を汲む民族主義者とウクライナ・ボリシェヴィキは
内乱状態に陥ってしまった
一方、遅れはしたがなんだかんだでドイツ革命がおこり
ヴィルヘルム2世は倒れ、ドイツが降伏したもので
英米仏日等の協商国列強は
ロシア・ソビエトへの干渉をはじめた
ソビエトによるニコライ2世の処刑は諸国の君主主義者を怒らせ
外債の破棄による大ダメージをロシアの資本家に与えたが
反革命軍と帝国主義者の結びつきはかえって強まり
ロシア国内も内戦に陥った
トロツキーは武装労働者からなる赤軍を組織して反革命を粉砕
しかしここで赤軍内部に
反トロツキーのスターリンが台頭をはじめる

レーニンとトロツキーは、それぞれに温度差はあっても
世界革命への熱望を持っていたが
そのために第2インターナショナルの現実派からは
冷ややかな目を向けられることしばしばだった
民衆がいくら現状に不満を持っていようとも
革命は水物というか
ロシアの文化的後進性が世界的に見て特殊だったのである
(そういう意味では100年以上前のフランス革命と似たところがある)
だから西側にボリシェヴィキを輸出しても根付かず
しかも新たに立ち上げた第3インターナショナル…コミンテルンには
ソビエトの利益を優先させたため
ドイツ革命は最終的に敗れた
机上の空論を完全に実現できるのは神様だけであろう
成功体験を得ているレーニンたちにはそこがわからなかった
理論で裏付けてもロマンはロマンにすぎない
このあたりから共産党は
国際的カルトの色彩を帯びはじめる
欧米でそれらをまともに取り上げることはあまりなかったが
やはり文化的後進性の強い中国や日本では
熱心な信奉者を集めた

ソビエト体制というものが実は新たな専制にすぎず
そこにプロレタリアートの参加する余地などないということが
知れ渡るにつれモチベーションは低下し
ロシアの工業生産力は激減した
その上、内戦にかかる費用や物資は徴用で賄われたため
農民たちも体制を憎悪するようになってしまった
これを受けてレーニンは
部分的ながらも自由経済の導入(ネップ)を余儀なくされた
しかしこれで富農(クラーク)による貧農からの搾取が横行した
食い詰めた農民たちは仕事を求めて都市に向かうが
結果的に失業者が急増した
都市ではブローカーや投機師が暗躍して
相場をめちゃめちゃに荒らしていた
このような混乱のなかでレーニンは病に倒れ
トロツキーも求心力を失う一方
共産党の人事権を握ったスターリンは一気にトップへとのし上がった
レーニンの死後、トロツキーを追放したスターリンは
一国社会主義と世界革命を個別の問題として
とりあえずは国内の混乱を平定した
スターリンは集団農業の強制によって富農を廃し
またその集団農業を補助するものとして工業を整備した
マルクス・エンゲルスは資本主義の完成形として
社会主義を構想したのだが
ロシア・ソビエトはその後進性ゆえに
いきなり社会主義を完成させてしまったのだ
本来は余剰生産によって成立すべき社会主義が
欠乏を隠すための手段になったことで
ソビエト時代はおそらくツァーリズム時代よりもはるかに
苛烈なものとなり果てた

ボリシェヴィキが急速に勢力を伸ばした際の基本戦術は
彼らが戦争反対を唱えていたことからも
なんとなく想像はつくだろう
すなわち
わかりやすい「敵」を設定し
これに狂気じみた罵倒語を浴びせかけ
自分たちの正当性をアピールするということ
これである
ロシアがボリシェヴィキを海外に輸出したことで
この基本戦術も広まったのだけど
各国の反ボリシェヴィキはこれを学習し
逆用をはじめた
ボリシェヴィキの戦術でもって
その「敵」をボリシェヴィキに設定したとき
ファシズムが誕生したとされる

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2025年03月27日

Posted by ブクログ

 ウクライナの戦争が勃発しているので、ロシア革命について勉強しようと思って手のとってみたけれど、これは面白い!ロシアの軍隊はそのうちプーチンに銃を向けるかもしれない…

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2022年04月15日

Posted by ブクログ

マルクス主義思想が、資本主義経済、プロレタリアートが未発達なロシアで、レーニンらボルシェビーキの意思と精神によって変形され 前衛組織のもとでロシア革命を実現したものの、国際的普遍性を持たないのみならず、文化的にも貧困なソビエト型社会主義を作り出していった経過の分析と叙述


文体が簡潔で読みやすい

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2021年02月02日

Posted by ブクログ

世界史については理解が浅く、なぜマルクス・エンゲルスによる共産主義がロシアで華開いたのか、という点が腑に落ちていなかった。
本書は革命前史におけるロシアという国家の性質からその理由について紐解いてくれる。(そして欧州において共産主義革命が不発だった理由も)
それにしても1917年前後のロシアの動静は凄まじいものがある。あまりの激動ぶりに目がくらむ。
その濃厚な革命史が丁寧に整理されており、私のような浅学の徒にもわかりやすい。

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2021年01月05日

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