あらすじ
この国のよさは、「強さ」や「一貫性」ではなく 「一途で多様」なことにある。万葉集から司馬遼太郎まで、メディアや表現を横断する〈日本的編集〉の方法を辿り、日本社会と文化の様相を浮かび上がらせる。
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Posted by ブクログ
日本とはどういうふうに立ち上がってきたのか。
歴史、文化、建築、文字、文学、政治、宗教、ありとあらゆる知識を総動員して松岡正剛さんがナビゲートする圧倒的な知の渦の本。
日本が、倭国から日本になったのはいつなのか、江戸とは明治とは、大正とは、
日本のおもかげを探り、日本のうつろい方を探り、そこから現れる日本という方法。
それは、一人の人間が親の影響から脱し、自己のアイデンティティーを再形成していく過程のようにも感じた。
アワセ・キソイ・ソロエ・カサネ
ウツリ ウツシ ウツロイ
ウツとウツツのウツロイ
一見何も見えないところに何かが見えてくること。
つじつまの合わなさを感じること
てりむくり
「はか」が、ないことを「はかなし」と、無常さ、美しさまで感じられる感性。
「日本という方法」
その人の言葉を大事にすることで、
その人の、おもかげがゆらっと動き、その人の心のうつろいが伝わってくる。そういうのを感じられる人でありたい。
そんなこともぐだぐだ考えさせられる、とても面白い本でした。
Posted by ブクログ
松岡セイゴオさんの日本論。方法としての日本、てるむくり、など著者の本で読んだ用語がチラチラ見えたので、まあ想定内の本と思って手にしたんだけど、随分大きく予想を超えていた。
「おもかげの国」「うつろいの国」とか、ウツとウツウという言葉は、セイゴオさん独特の言語感覚なんだと思う。
「茶」については、村田珠光や武野紹鷗にいて詳しく解説。
江戸の武家体制を作る基礎になったのが儒学だが、他に手が無かったという話。朱子学と陽明学は生まれた時期が300年隔たれているが、同時期に日本に流入してきている。本書は陽明学の話が大きい。正直、大塩平八郎が頭に浮かぶ程度だったが、後世にも大きな影響を与えている。中国では廃れているが、日本では昭和維新までその残滓が残っていた。セイゴオさんは、『陽明学は「日本という方法」を埋められなかったと考える方が当たっているのではないでしょうか。』と著す。
古楽や国学が隙間を埋めたとあり、その古学、国学の説明に移る。
日本儒学、国学について、中国離れがその意味にあるという。セイゴオさんの々博覧強記振りに只々驚く。伊藤仁斎、荻生徂徠、契沖、荷田春満、賀茂真淵、そして本居宣長の古事記との格闘。「もののあわれ」「やまとだましひ」は起源が特定できるものではなく、本来から将来に向かう徒次にしかあらわれないとのこと。
明治以降についても、西田幾多郎、北一輝、九鬼周造について知らなかったので、圧倒されながら読む。西田といえば「善の研究」と思っていたが、この本ではあくまで経過途中とのこと。「述語(主観)が主語(客観)を包摂する」の主張が、晩年には客観が主観を包むと逆の主張をする。ふいに到来した「絶対矛盾的自己同一」(切らずに一息で読む)。矛盾するものを併せ持ち両立させる日本という方法の一端とセイゴウさんは考えているらしい。
論理的に実証する内容ではないし、日本という方法を理解したのか、納得したのか云われれば、言葉に詰まるしかないんだが、もうちょっと考えてみようと思う。