あらすじ
超難解「ペスト」が、これ1冊で簡単にわかる!
感染症が街を襲った時、
彼らは何を思い、どう行動したのか――。
押さえておくべき代表的なシーンを、マンガ&あらすじで紹介。
新型コロナ時代、何を考え、行動すべきか――。
フランスのノーベル文学賞作家アルベール・カミュの代表作「ペスト」の解説本。
マンガ、あらすじ、著者の考察の組み合わせで、
ストーリー全体、代表的なシーンを知ることができる。
人間としての自由、行動、選択とは何か。
オランという市でネズミが次々に死に始め、
続いて、原因不明の熱病患者が発生、人々を恐怖に陥れた。
市は閉鎖、解決策はなかなか見つからない中、立ち上がった人々の物語。
感染症との闘いが他人事でない今、70年前の長編小説が読まれている理由がわかる。
■目次
・マンガでつかむ『ペスト』
・『ペスト』登場人物相関図
・『ペスト』原題(La Peste)とは
・ああらすじでつかむ『ペスト』
●各章 あらすじ
1 大量のネズミの死(1章)
2 当事者になれない権力者たち(2章)
3 閉門(2章)
4 「どんな手を使っても脱出する!」ランベールの挑戦(2章)
5 「ペストは神の罰なのです!」パヌルー神父の説教(2章)
他
・解説 易しさの自覚と、自由な選択
■著者 大竹稽
教育者、哲学者。思考塾(横浜市)塾長
1970年愛知県生まれ。愛知県立旭丘高校卒。1989年名古屋大学医学部入学・退学。
1990年慶應義塾大学医学部入学・退学。1991年東京大学理科三類入学・退学。
2007年学習院大学フランス語圏文化学科入学・首席卒業
(フランス語圏文化学学士。論文テーマは、サルトルと自己について)。
2011年東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻修士課程入学・修士課程修了(学術修士)、
フランス思想を研究。その後、博士後期課程入学、カミュ、サルトル、バタイユら実存の思想家、
バルトやデリダらの構造主義者、そしてモンテーニュやパスカルらのモラリストを研究(その後、中退)。
博士課程退学後は建長寺・妙心寺などの禅僧と共に「お寺での哲学教室」や「お寺での作文教室」を開いている。
専門分野は哲学、教育、禅(哲学と仏教(東西の思想)の融合 共悦・共楽・共生の思想家)。
■イラストレーター 羽鳥まめ
漫画家・イラストレーター。
主に大手学習教材企業の漫画やイラストを手掛ける。専門学校で非常勤講師経験あり
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
「囚われないこと」=「自由であること」?
日々を諦めることなく、デマに流されることなく、楽観的になり遊びに出かけることでもない。
この不条理な緊急事態の中でも、それを受け入れ、自分の人生を全うし、他人に優しくすることで自由になれる。
幸いにコロナウィルスはペストと違い、致死率は低い。それでも、全世界的に感染したことで、僕たちは命よりもむしろ生活に、大きな不自由を強いられている。
それでも、コロナ禍によってより自分と向き合え、自分の為により多くの時間を使えるようになり、自分の身の回りの環境に目を向けるようになり(在宅多くなって家の環境を見直したり)、そして自分の最も大切な存在との絆を深める機会を得た。それを通して自分の人生を彩り、全うすることで僕らは「自由な人間」になれるのではないだろうか。
・当時、ペストに感染すればほぼ死が確定。
14世紀から始まる第二次流行で、120年以上にわたりヨーロッパ各地を襲い続けたペストは、ヨーロッパの人口の3分の1を死に至らしめた。p33-34
→つまり、この物語の中ではすでにみんなペストの恐ろしさは知ってたってことだ。
・「きみはこれがなんだか知っているだろう?リウー君。世間には名指しする勇気がない。なによりもまず、世間では『冷静を失うな』だ。だが、どうだね、リウー君。きみは私と同じように、これが何か知っているはずだ」p49-50
・(中略)大半の人間、特に緊急対策を考え、実行させなければならない立場の人間は、リウーとは真逆の心構えであった。それは、視野に己の保身と責任逃れしかない無能な人間たちだった。p51
→県知事は「大袈裟にならないようにしよう」「これがペストでなくてもペストの際にしなければならない措置を取らねばならない、とかんがえているのか?」と間抜け丸出し。
リシャール医師会長は「植民地総督府からの指示が必要」「自分には資格がない」「慎重であらねば」と責任のみに過敏に。p51-52
←リウーは「これをペストと呼ぶかなんて、問題ではない。これは時間の問題」と抗議。p52
・「厄災は人間の間尺に合わせられるものではない。だから、人々は厄災を非現実のものであり、いずれ過ぎ去る悪夢のように言い聞かせる。しかし、厄災は過ぎ去らないのだ。悪夢から悪夢へと、人間の方が過ぎ去っていくのだ。(中略)未来も移動も議論も禁じてしまうペストのようなものを、考えることなどできるはずはなかった。人々は、自分が自由であると信じていたし、厄災がある限り、誰も自由ではありえないのだ」p50
→この現実逃避的な考えと嘆きは、コロナ時代の僕らにもあったな。
・オラン市のロックアウトは、暴力にも等しい圧力によってなされた。
外出している違反者には発砲が許され、即牢獄行き。p56
・オランの市民が共有している「追放感」。空間的な刑罰だけをイメージしてしまいそうだが、もう一つ、より残酷でより厳しい牢獄がある。時間的な追放だ。p58-59
→いつ終わるかもわからない恐怖。それに「忍」のいち文字でただ付き合っていくほかない。p59-60
「パパがもうすぐ帰ってくる」とか、「予定より早く恋人に会えそうだ」とか、「これから美味しい料理が待っている」などと言う「楽しみ」を封印しなければならなかった。「頼りにしようとするものが、一層心の痛みになることがわかってしまい、早々に諦めてしまうのだった」p60
・しかし、このような追放状態は、「長い目で見れば、人々の精神を鍛えるものになった」。なぜか?p61
→自分自身の悲しみと、自分を待っているものの苦しみ。どれだけ気を配っていても、感染する人は感染してしまう。そして、感染すれば自分の苦しみは一瞬だ。それでも、残されるものの苦しみは…。
ペストによって人々は、隣人をより愛するようになり、また自ら苦しみを受け入れ、その日を生きることを受け入れていった。p61-63
・街の完全封鎖後、人々は「措置を再検討し、緩和することを求める」と当局を批判した。
県知事は、各通信社にペストに関する公式の統計を渡し、毎週それを公開するように申請することで、この批判に対応した。p64
もう一つ、異様な光景も見られた。カフェや映画館が人で溢れていたのだ。カフェ以外の大半の店は休業しているのに。要するに、彼らは暇を持て余していたのだ。p65
・市民の精神が不安定な状況にあり、何かしらの答えを求めた彼らは教会に集まった。
限られた情報しか得られないなか、参加者たちは、自分たちを引っ張ってくれる頼みの綱を求めていたのだ。p81
→snsのデマを盲信してしまう現在と通じつものがあるよね。
・『ペスト』を読み解くために不可欠なキーワード、「自由な人間」。
ペストによってもたらされるものは「どうしようもなく」不自由。その中で登場人物は二手に分かれる。
その中で、「何をやっても変わらない」という虚無感、「力ある人に任せとけばいい」という依存心、「自分には関係ない」という無関心がいる。彼らは「囚人たち」。
かたや、タルー、リウーに導かれて保健隊に参加した「自由な人間」たち。彼らはペストとの戦いに主体的に参加し、ペストに対して「跪かなかった」。なすべきことをただなした。p89-90
・閉鎖から4ヶ月も経つと、街頭の人影は絶えていた。p99
・老いも若きも、男も女も、地位も出身も関係ない。だれにも等しく訪れる死。「なにが正しいかわからない」と言いつつも、「すべきことははっきりしている」という誠実さ。死をコントロールしようとせず、ただ死に屈せず戦い続けようとする力強さ。p112
→これが「自由な人間」。
・最初の説教の時より、聴衆はまばらになっていた。
物珍しさにつられてきた市民たちは、ミサに出るより、厄災除けのお守りを身につけるようになっていた。迷信が宗教の代わりになっていたのだ。p128
→出口のない恐怖の前では、市民の心の拠り所は移り変わっていく。