【感想・ネタバレ】全一冊 豊臣秀長 ある補佐役の生涯のレビュー

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2023年06月06日

紙の本で読んだものを、アンリミテッドにて再読。かつては星五つだったが、再読では下記の理由で星三つにした。面白くはあった。

初読の時は豊臣秀吉の弟、秀長について知らなかったので、本書の記述はすべて知的興奮を起こさせるような内容だった。上下2巻が短く感じられたほど。

再読では小説というより説明文が長...続きを読むいので、新書の歴史解説を読んでいるようで長く感じた。新書版の本のところどころに台詞がある、といった感じ。ドラマで言えばやたらとナレーションが入る感じ。

堺屋氏の小説はほかに読んだ覚えがないので、他の小説については不明。然し小説を楽しむ感じではなかった。

面白かったが小説を読みたかったので星三つとした。

ハイライトは小説としては多い。

下記にハイライトした個所をコピペ:

16
ピンク色のハイライト | 位置: 24
もし、「この人」の事績を歴史の表面からわざと隠した者があるとすれば、「この人」自身だろ

メモ以下の記述は慧眼といえる。コピペ:もし、「この人」の事績を歴史の表面からわざと隠した者があるとすれば、「この人」自身だろう。

ピンク色のハイライト | 位置: 35
「この人」が生きた時代、戦闘騒乱が絶えなかった十六世紀後半の日本には、英雄人傑が輩出し、それぞれに一家を成し一国を築いた。しかし、急速な成功者の多かったこの時代でも、「この人」以上の大封を得た人物は「天下人」と呼ばれる三人── 織田信長、 豊臣秀吉、 徳川家康 ──のほかにはほとんどいない。 敢えて捜せば、中国の雄・毛利元就 が、不安定な状況ながら、かろうじてそれに 匹敵 する封領を持てたといえる程度である。つまり、「この人」は三人の「天下人」に次ぐ地位に昇ったのだ。  この一事だけでも、「この人」のなし得た成功がいかに大きかったかが分るだろ

メモこれも確かにいえる。以下コピペ:「この人」が生きた時代、戦闘騒乱が絶えなかった十六世紀後半の日本には、英雄人傑が輩出し、それぞれに一家を成し一国を築いた。しかし、急速な成功者の多かったこの時代でも、「この人」以上の大封を得た人物は「天下人」と呼ばれる三人──織田信長、豊臣秀吉、徳川家康──のほかにはほとんどいない。敢えて捜せば、中国の雄・毛利元就が、不安定な状況ながら、かろうじてそれに匹敵する封領を持てたといえる程度である。つまり、「この人」は三人の「天下人」に次ぐ地位に昇ったのだ。 この一事だけでも、「この人」のなし得た成功がいかに大きかったかが分るだろう。

ピンク色のハイライト | 位置: 81
つまり、「この人」は常に脇役として登場する。そしてそれが、「この人」の果した役割に最もふさわしい出方なのだ。そんな役回りを、今日の言葉では「補佐役」と呼ぶ。「この人」は、日本史上最も典型的な、最も有能な補佐役であった。そして、そうあること以外を望まなかった。私がこれから描こうとしている人物・豊臣秀長とはそんな生涯を送った人で


黄色のハイライト | 位置: 1,754
この当時、敵方の使者を 斬ることは滅多にない。どういうわけか、それだけはこの国の武士社会のよく守られた慣習になっている。 高 天神 城に監禁されていた徳川の臣・大河内 政局 や 伊丹 城で捕えられた黒田官兵衛など、使者に行った者が長年月獄に 繫 がれた例はあるが、斬られたことは


黄色のハイライト | 位置: 3,007
美濃を陥し、北伊勢を攻めた織田信長は、いよいよこの「天下布武」の大構想をはっきりと打ち出す。その第一は、新たな本拠とした稲葉山城を岐阜城と改名したことだ。  この名は、昔、 周 の 文王 が、 岐山 より 興って天下を収めたのに 因んだものといわれ、信長の天下征服の意図を打ち上げたものとされて


黄色のハイライト | 位置: 3,133
織田信長が、足利義昭を迎えるに先立って、三河の徳川、近江の浅井、甲斐の武田、越後の上杉らと婚姻を結んだり贈物をばら 撒いたりしたのはこのため

メモ堺屋氏の解釈だが、興味深い。信長が西の大名らと婚姻を結んだのは、嫉妬を押さえるためとのこと。

黄色のハイライト | 位置: 3,136
織田信長は、これだけの準備をした上で、ようやく足利義昭を美濃・立政寺に迎え


黄色のハイライト | 位置: 6,263
出雲 の名族・尼子は全く亡び去ったのである。ただ、山中鹿之介の幼い遺児だけは生き残り、その子孫が清酒を発明、巨富を成して 鴻池 両替店を開くことになる。かつての 三和銀行の元祖で


黄色のハイライト | 位置: 6,734
低い地位の者が成功し、大組織の高位に 就く間には、この種の変質が不可欠だ。今日の企業社会でも、中小、零細企業が大企業に成長する過程では、人間臭い家族主義を捨て法規と組織を確立することが必要となる。それを現代人は経営の近代化と呼んでいる。だが、この間には、法規と組織になじめぬ古い功労者は脱落する。そこに、古参の家族主義者の反発が生じ、内部対立が生じるのが常で

メモ19人がハイライトする箇所とのこと。堺屋氏の小説の特徴的記述。

黄色のハイライト | 位置: 8,273
だが、この日、兄・秀吉が、大村 由 己 に書かせた『惟任退治記』を公表したのには、小一郎も舌を巻いた。事件からたった四カ月での出版は、この当時としては異例の速さである。しかも秀吉は、その写しを何百と作り、京洛から 遠国 にまで配らせ


オレンジ色のハイライト | 位置: 8,699
世に、長久手での徳川の勝利ばかりが名高く、伊勢での羽柴方の働きはあまり伝わっていない。自らの武名を 轟かせたかった一方の主役・徳川家康と、あくまでも補佐役に徹した小一郎秀長の違いであろ


オレンジ色のハイライト | 位置: 8,708
長久手の戦いで局地的勝利を収めた徳川家康が、結局は秀吉の軍門に 降らざるを得なかったのも、小一郎秀長が四隣を平定してしまったから


青色のハイライト | 位置: 8,710
小牧の対陣から一年経つと、徳川は依然として五カ国を持つだけなのに、羽柴は七カ国の領地を加え、北畠・長宗我部を味方にしていたのだから、家康も抵抗のしようがなかったの


青色のハイライト | 位置: 8,716
小一郎は生涯のうちに大小百回以上も戦場に立ったが、一度として失敗したことがなかっ


青色のハイライト | 位置: 8,725
しかし、小一郎秀長が賤ケ岳の合戦以降に尽した功績は、軍事よりも内治にこそ


青色のハイライト | 位置: 8,735
天正十三年、紀州、四国を平定し、徳川家康を配下に加えた頃の羽柴家とは、そんなものだっ

例えば、今、どこかの大企業の子会社だった中堅企業が、三年の間に事業規模が十倍になり、従業員数が一万人から十万人になり、かつての親会社をはじめ数々の一流大企業を買収して足下に収める好運に恵まれたとしたら、この会社の経営陣はどれほど忙しいだろうか。かつては親会社の人事本部や財務本部に統括されていた人事・資金も、今はこちらが指導しなければならない。グループ全体の調整も必要だし、政治家、役所、諸外国との付き合いも一挙に増える。しかもこの会社は、もとはといえば二流の子会社、人材は乏しいとあっては、トップのオーバーワークは避けられまい。

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