【感想・ネタバレ】死の講義―――死んだらどうなるか、自分で決めなさいのレビュー

あらすじ

「死」とは何か。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教はもちろん、ヒンドゥー教、仏教、儒教、神道など、それぞれの宗教は、人間は死んだらどうなるか、についてしっかりした考え方をもっている。本書は、知の達人であり、宗教社会学の第一人者である著者が、各宗教の「死」についての考え方を、鮮やかに説明する本。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

『死』について考えることで、よりよく生きられるということが、1番学ぶことですね。色々な考え方はあれど、死んだら死者の世界に行くので、決して死ぬことを恐れてはいけないと分かりました。

最後は各宗教での考え方をもとに、考え方を選ぶきっかけをいただけたので、少しは自分ごとになったような気がします。

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2021年11月27日

Posted by ブクログ

ネタバレ

死を様々な宗教はどう捉えているのかをまとめた本。
中学生にもわかりやすいように砕いてかかれておりわかりやすいのはわかりやすいのだけど、少し砕けすぎていて読みづらさもあり。

内容は、これまで思っていたイメージとは異なる宗教もありとても面白く読めた。インドの仏教と日本の仏教の各宗派との違いなどは特に面白かった。

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2023年04月15日

Posted by ブクログ

ネタバレ

中学生でもわかるように書いたとだけあって、難しいことはなく、読みやすかった。

以下読書メモ
ーーーーーー
・大条教は、社会を丸ごと呑みこんで、文明につくり変えました。そうした文明は現在も大きな勢力を保っています。

・死ぬということは、ものを考える「このわたし」が、存在しなくなることだ

・存在するものは、経験できる

・「このわたし」は、経験によって世界を確かめつつ、生きている。そのことは、経験的な事実である。でもその始まり(誕)と、終わり(死)は、超経験的な事実である。ふたつの超経験的な事実に挟まれて、「このわたし」は存在している。

・世界は、まったく無秩序なわけではなく、一定の法則に従っている。さまざまな出来事の起こり方には、決まったパターンがある。科学は、そうしたさまざまな出来事がどう起こるかを、合理的に秩序立てて説明する。科学は、人間の経験を整理する学問である。

・宗教も、役に立つかもしれない。宗教は、この世界がここにこうあるとはどういうことか、を考えるようにできている。その際、議論を、経験できることに限定しない。経験でないこと(超越的なこと)も、必要ならば遠慮なく取り込んで行く。死についてもっともつっ込んで、考えてきたのは宗教である。

・真理を覚るとは、この世界のあるがまま、すなわち因果関係の連鎖のネットワークを認識することである。すると、それは、自然科学と似ている。自然科学も、この世界の因果関係の連鎖を、認識し尽くすことを目標にするからである。

・科学者は、一度に全体を認識しようとしたりしない。一部で我慢する。将来科学が進歩すれば、やがて自然の全体がわかるだろう、と期待する。

・人間はほんとうは、生き物ではないのだから、死ぬことはない。生まれてもいなかったのだから。人間の生死は、この世界の法則に従って起こる。その法則を体現すれば、生死を超越する。

・中国は広大な農業地帯。世界でもっとも豊かな場所だ。ただしまっ平らで、防御がしにくい。北方には騎馬民族がいて、侵入してくる。そこで、強力な政権が必要だった。
中国の農民のコンセンサスは、つぎの通りである。
1、統一政権ができて、騎馬民族を撃退してほしい
2、それには強力な正規軍を組織し、必要なら万里の長城も築いてほしい
3、そのためのコスト(税金、労役、軍務)を、負担してもよい

・カースト制は分業のシステムである。分業は相互依存なので、紛争が起きにくい。動物を殺害することを禁じている(殺生戒)のも、紛争や暴力を避ける意味がある。カースト制は、人びとに職業集団(ジャーティ=共同体)を提供し、社会の安定に寄与する。しかし、保守的で、不公平である。とりわけ、社会的威信の配分が不公平だ。カースト制の上位にあるバラモンやクシャトリヤはまだよい。もっと下のカーストや、どんじりのグループの人びとは、生きていく気力も失せてしまうだろう。社会的威信の配分が不公平だと、人びとは苦しみ、社会は病んでしまう。

・ 中国の人びとは、自分はやがて死に、祖先として子や孫に祀られると思っている。子孫がしっかりしなければ、自分がきちんと祀られるかどうかわからない。いずれにせよ、中国の人びとにとって、死者は、この世界で生きていた血縁関係をそのまま保存した存在だ。抽象的な霊魂になって、死者の国で自由に暮らすわけではない。

・その代わり、政治家に名誉を与えるのは、歴史である。歴史に名を残すことは、政治に関わる人びとにとって最高の栄誉である。人生の目的、と言ってもよい。

・歴史書は、倒れた前の王朝のことを、つぎの王朝の知識人が、調べて書くのが慣例だ。王朝を越えて、バトンが受け継がれる。それには、あとの王朝の知識人に対する、信頼がなければならない。いまの王朝を生きる知識人と、あとの王朝を生きる知識人が、同じ価値観をそなえているからそれができる。王朝が交替しているからむしろ、権力や利害のしがらみなしに、公正で客観的な判断が期待できる。義を貫き非業の死を遂げた者も、歴史に記され、歴史書のなかに永遠の命をえることになる。

・歴史は、過去についての物語、死者たちの物語である。が、それをいま生きている後世の者たちが、記憶し理解し、評価することである。生きている者たちがいなければ、歴史はない。歴史を気にするとは、自分が、後世の人びとにどう見えるかを気にする、ということだ。後世の人びとは、価値観(艦)を共有する、言わば仲間。その彼らが、死んだあとの自分をどう見るか(だけ)を気にして、自分の死それ自体から目を背けるという態度なのだ。

・ 「忠」は、政治的リーダー(とりわけ、皇帝)に対する服従、だった。「孝」は、(とりわけ、親)に対する服従、だった。中国では、忠を求められるのは、皇帝に仕える行政職員(官僚)。孝を求められるのは、血縁集団(崇族)のなかにいるすべての中国人。官僚組織と宗族とはきれいに分離しているので、忠と孝とは別々の行動原理である。

・生きるとは、何かを大事にすることである(価値)。そして、それを言葉で考え、言葉でわかることである(意味)。価値と意味は、一人ひとりの生き方である。学校では教わらない。理性からは導かれない。人びとに、価値や意味を伝えるのは、家族の役割。共同体の役割。そして、宗教の役割だ。近代になると、家族が孤立し、共同体がばらばらになる。宗教がいくつも並立する。そこで、相対主義になる。

・ 死はかならず、生きている途中にやって来る。でもそれが、終わりである。途中なのに、終わり。よってますます、死は考えにくい。これに立ち向かうには、いつ終かってもいいように生きる。これしかない。これを覚悟という。昔はひとがよく死んだ。武士は刀を差していた。女のひとは命懸けで子どもを産んだ。みんな死んだのだから、自分もいつ死んでもおかしくない、と覚悟していた。

・学問はどうか。昔は教会も政府も横暴だった。「ここに書いてあることを取り消せ。さもないと命はないぞ。」と言われた。「それならやむをえません。」と、命を奪われるひとがいた。真理がある、学問をする、とはこういう意味である。いまでも、学問にたずさわるひとは、その覚悟でものを書くのが正しい。政治も、ビジネスも、家族も、そして社会も、同じことのはずだ。死を前に動じない。自分の生き方がぶれない。これが、ほんとうの教養というものである。

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2021年06月01日

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