あらすじ
笑いについての考察は古来さまざまに試みられてきた。西洋哲学においては笑いの底に人間の「突然の得意=優越感」あるいは「小心さ」を見た。また「笑いの空間」と「差別の空間」が重なり合うところで起きていることも意識されてきた。
では、笑いという現象を解く一個の原理があるのだろうか。
笑いとは平穏な日常の破裂である。独特の状況や人間関係のなかから生まれる。また、笑いとは生ものである、刹那的である等々、笑いという現象はいろんな側面からその特徴を見出すことができる。
本書では西洋哲学の知見から現代日本における「お笑い」さらに広く芸術まで、笑いの現場を視野に入れつつ秩序、掟への揺さぶりとしての笑いの可能性を縦横に考察する。
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Posted by ブクログ
ハリウッドザコシショウがなんで面白いのか、正確にはザコシの何が面白くて私は笑っているのか?
それが解明できただけでも読んだ価値がありました。
「笑い」というものを、特に日本社会における「笑い」を解析していきます。
優越的な笑い
不一致の笑い
ユーモアとしての笑い
各章立てで著者なりの解析・分析がなされていて面白く読むことができました。
何年か前に脳科学者といわれる茂木健一郎が、
「日本のお笑いはオワコンだ」
といった発言をして物議となりましたが、その裏付けにもなるような内容と言えるかもしれません。
ただし、著者は(茂木健一郎みたいに狭い範囲での)日本のお笑いはオワコンっていう立場ではなく、もっと広い意味で、日本にユーモアの文化が根付かないのは我々の社会の価値観や風土に原因があるようでさみしい、以前世論に潰された、日清のO-BAKA'S大学の「もっと、バカやろう!時代にテメェを変えられないために!」みたいなノリが受け入れられる社会にならないかな…みたいな立場です。
また、2024年年頭から日本のお笑い界は松本人志の一連のスキャンダルで大揺れしています。
図らずも、この著書では松本人志が頂点となっている日本のお笑い界の限界を指摘しています。(本著は2020年の刊行です)
自分なりに意訳すると
松本人志を頂点とする日本のお笑いはペーソスを軸としており、そのペーソスの範囲内でお笑いを消化しているフシがある。本来笑いの力はそこから突き抜け、置かれている状況を疑い、揺さぶる機能があるはずなのにそこまで達していない。
なので、「もっとバカやろう!時代にテメェを変えられないために!」の精神が大切なんじゃない?
といった感じです。
現在の日本のお笑いのレベルが高いのか?という問いに対しては、
技能的レベルは高い
意識的レベルはもうひとつ、といったところでしょうか。
松本人志の出現は、お笑いがある種の競技になっていったキッカケになったのかもしれない。
そうしてみると、志村けん、ビートたけし、タモリ、さんま、萩本欽一って松本人志とは種目が違うのかな、と思ったりします。
なんて、いろいろ考えるキッカケをくれたこの著書は、私にとってはとても良い本となりました。
Posted by ブクログ
なぜ笑いが起こるのか、どんな時に笑いが起こるのかを「優越の笑い」「不一致の笑い」「ユーモアの笑い」というキーワードから分析。日本を覆う空気や、笑いの土壌などにも触れ、とても面白かった。
Posted by ブクログ
この本の良い点は様々な「笑い」のメカニズムを解説しつつも、ある程度考察の余地を残しているから、自分自身で「笑い」についてより深く考えてみようと思える事だと思う。
筆者は、「笑い」の社会性・知的さ・ユーモアは実に人間らしい部分の表れであり、それ故にどのような笑いを好むかはその人の人間性が表れと考えられるとし、ユーモアに欠ける日本の笑いに日本社会の精神的未熟さを指摘しているが、それは間違いではないかと思う。
筆者は素人間でのいじりを優位な立場な人がそうでない人に対して一方的に行われるものとし、否定的である。確かにそういった優越の笑いが場を支配する場面は多く見られる。しかし、社会的マイノリティや身体的コンプレックスを持つ人が、日本のコメディアンたちのいじりを見て、マイノリティさやコンプレックスを人を笑わせる武器に昇華する術を学び、それを武器にして人々を笑わせることで強力な個性として肯定的に捉えられるようになるということは一般的な集団ついても起こりうるし、実際私や私の友人は経験したことがある。これは一種のユーモアな「笑い」の発生ではないかと私は考える。このように日本にもユーモアな笑いの土壌があり、この土壌をどのように育むかが重要だと思う。
上記の様なことを考えようと思えたのはこの本を読んだからであり、内容が正しいかどうかはともかく、普段深く考えない「笑い」について考えられたのはとても良い体験であった。
Posted by ブクログ
コロッケの記号学的解釈は秀逸。
著者の言う、笑われるものと笑わせるものと笑うもの、三者の誰もが手を抜かない状態が良い姿じゃないだろうか。テレビは笑うものをあまりにも甘やかし過ぎてしまったせいで、いまの袋小路に陥ってしまったのではないか。
笑えないなら見なきゃいいではなく、笑えないのは不勉強という、批判の姿勢もたまにはあってもよいのかもしれない。
Posted by ブクログ
美学を専門とする大学教授による「笑い」の哲学論。
ただし、堅苦しい理論の羅列ではなく、「笑いは生モノ」と捉え、その多種多様の現象を、《①西洋哲学②日本のお笑い③日本社会における笑い》の3つの視点から考察していく一冊。
著者は現代社会に蔓延する閉塞感を「笑い」で打破できる可能性を示唆している。
閉塞感を生み出す大きな要因の1つに『社会の中で自分の「弱さ」を表明しづらい点』を上げている。社会全般には「弱さ」を否定する「空気感」が存在し、「弱さ」を表明すれば落伍者のレッテルを貼られしまうのではないかという恐れを生み出している。結果として、常に「隠さねばならない」という思考が生まれ、「できるヤツなんだ」というアピールに勤しみ、その嘘がかえって問題を拗らせるという悪循環が、今、あちこちこで生まれているという。
では、「弱さ」をどう表現していけば良いのか。どうしたら、表現しやすい環境になるのか。
この問いに著者は、この本のテーマである「笑い」の効用を挙げている。自分の弱さをも包摂した「現実と事実」に向き合い、それを他者へ表明する、その瞬間に、もし「笑い」がその空間を包めば、そこにいる人の心は精神的に安心でき、場の緊張が和らぐという。
その結果、戦闘モードだった自分が鎧を脱ぎ、内包する「弱さ」を認識できるようになるのだと。つまり、「笑い」には誰にでも潜在している(隠している)「弱さ」を外在化し、当人に見つめさせ、その存在を肯定させるという効用があるのだ。
誰かが「弱さ」を表明しようとしている時、受け取る側は笑いやユーモアをもって場の雰囲気を作り、相手との信頼関係を構築することで、相手は「弱さ」を表明しやすくなることを知っておくべきだと思う。
Posted by ブクログ
哲学ということで、哲学者がわずかばかり出ているが、日本のテレビ番組でのタレントによるお笑いを扱っている。学生が哲学の本質を理解してテレビ番組でのお笑いを卒論として論文にできるかどうかはわからない。
Posted by ブクログ
日常に当たり前のように存在する笑いを、一歩引いて俯瞰し、有名芸人の漫談や哲学者の名言を引用しながら、そもそも「なぜそれが面白いのか」を丁寧に言語化してくれていた。
生きづらさや閉塞感を抱えるときこそ、悲劇を笑いに変えて「ユーモア」へと昇華する精神性は大事にしたいなと思った。
Posted by ブクログ
ただただ面白いことが笑いであり、誰もが面白いことは笑うと思っていたが、社会的な問題や時代の変化によって、「笑う人」「笑わせる人」「笑えない人」など立場が様々である。
そして改めて、お笑い芸人さんの方「笑いをどう切り取るか」という部分も奥が深いなと感じた。
難しい考察が書かれた本ではあったが、笑いを通して人生を学ぶことにも繋がる。
自分の弱さも受け入れて、笑って生きたい。