あらすじ
時に激しく弾圧され、また、時にロシア愛国主義を鼓吹し、人々の精神的支柱となってきたロシア正教の1000年の歴史を、政治と社会の流れの中でとらえた労作の文庫化。
西暦988年、キエフを中心にロシアの国家的統一を果たしたウラジーミル1世は、ビザンチン帝国に範を求めて東方キリスト教(ギリシア正教)を国教に採用した。以来、ロシアはビザンチン文明圏に属し、モスクワは「第三のローマ」としての存在感を高める一方、西欧文明の恩恵から隔絶されることになった。同じキリスト教を共有しながら、ローマ法、ルネッサンス、宗教改革を経験せずに近代への向かうのである。
ロシア革命による「無神論体制」の誕生と、ソヴィエト政権の熾烈な迫害は、宗教者たちを厳しく追い詰めたが、それゆえにこそ、ナチス・ドイツとの大祖国戦争では、スターリンに協力しソヴィエト愛国主義の先頭に立つが、戦後はふたたびフルシチョフの弾圧を受ける。ゴルバチョフ政権下でようやく「宗教ルネッサンス」を迎えるが、ソヴィエト体制の崩壊は、正教会にも深刻な分裂の危機をもたらしたのだった。
文庫化にあたり、「プーチン政権下の正教会」を大幅に加筆。
〔原本:『ロシア正教の千年――聖と俗のはざまで』日本放送出版協会刊、1993年〕
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Posted by ブクログ
非常に興味深かった。
ある程度ロシア史(特に近現代)を把握してないと「なんのこっちゃ」ってなりそうな本だけど、現代において政治の影響を受けた宗教として、最たる例となる話だと思う。
宗教はなんのためにあるのか、という部分も考えさせられるし、同時に、どれだけ血が流れることになっても・あるいはそういう状況だからこそ、清廉潔白な民衆を思う宗教者は現れるという話なのかもしれない、その反対に、腐敗の原因になる要素も現れる、そういう話でもあると思った。
歴史は繰り返されるというが、昔だろうと今だろうと、"人"が関わっている以上、本質的には変わらない(=醜い争いは起こる)ということなのかもしれない。
そんなことをロシア正教の移り変わりによってまざまざと見せつけられたような、そんな錯覚を抱いた。
日本では一部のカルト宗教によって(個人的にはカルト集団に対して"宗教"という言葉を用いるのは少々「?」と疑問が残るが…)宗教こそが"悪"あるいは"不審"という象徴になっているが、結局、宗教を"用いる"か、純粋に"信仰"としてみるか、それ次第だと思う。
ロシア正教の千年はそれを正に如実に表しているのだと思う。
現在の悲惨な状況に対して、民衆の助けに対して、手を差し伸べ、精神的支柱として存在できる宗教こそが、本物の宗教であるならば、果たして、今のロシア正教は真なる宗教であるのか・ソ連時代に命を落とすことを覚悟で民衆と共にあった偉大なる聖人に顔を向けられるのか。ただただ疑問である。
Posted by ブクログ
ロシア(ルーシ)の求心力として千年に渡って存続してきたロシア正教だが、タタールのくびき、無神論者のくびきから解放された今でも万々歳というわけではないようである。特に、ソビエト時代には国内的には弾圧されていたモノの、国際的には優遇されていた側面もアリ、また、民族教会でありながら、帝国主義的な側面をも伴っていただけに、ソビエト崩壊による新たな「国境線」「民族」を越えて存続できるのか……ウクライナ正教会の分離がコンスタンティノーブルから認められたことを追認して、1民族教会の立場になるのか、今後は注目に値する。
また、有意を取り戻したコンスタンティノーブルも、トルコ政府が世俗政権から急速にイスラム化している現在、有意を維持できるのかも不透明である。
Posted by ブクログ
本書は1990年代初めに登場した一冊を基礎に、一部に手を入れ、1990年代以降の近年の話題を述べる追記的内容を加えているという内容だ。
多くの方が「共産党政権は宗教を否定」というようなことを思い浮かべるかもしれない。かのソ連では、<ロシア正教>は「余り大きく前面に出るのでもなく、静かに受継がれていた」というようなことかもしれない状態であった。が、ソ連末期の1989年が「ロシアでキリスト教が容れられた」とされる年から「千年」で、折からの<ペレストロイカ>の変化の中でロシア正教が「甦る?」というような状況が生じた。
本書の著者は、その「甦る?」という動きも現地で視たという経過を有している方であり、熱い筆致で1989年頃の様子を紹介する内容から本書は起こる。
そして<ロシア正教>の歩みの概要が語られる。
ビザンツ帝国のキリスト教である<ギリシア正教>がロシアを含む国々へ伝えられ、以降は各々の場所で発展して行く。ロシアに在っては、幾つかの事由も重なって、ロシアこそが正教を守護するビザンツ帝国を受継ぐ者であるとした「モスクワは第3のローマ」というような思想まで登場するようになって行く。
そこから、リューリク朝が途絶えた後の混乱を乗り越えて登場したロマノフ朝の帝政下での経過が在る。更にロシア革命の中でのロシア正教、そしてソ連政権下での経過ということになって行く。
本書ではロマノフ朝の帝政下でのロシア正教の展開について、その概要を知ることが叶う。そしてロシア革命の時期やソ連政権の下での経過については、かなり紙幅も割かれていて、詳しく知ることが叶う。
「ロシア」とでも言えば…「北方領土問題!」とか「経済活動…」という話しばかりが聞こえるというような感もしないでもないのだが、学ぶ価値が高い精神文化の変遷、関連する社会の動きが色々と積み重ねられている。本書を紐解きながら、或いは読後にそういう「当然と言えば当然…」のことに、何となく思い至ってしまった。
ソ連政権下でのロシア正教の辿る経過は「不幸…」と呼ばざるを得ないが、結局は「当時の巨大な不幸」の一部であったように感じた。「そんなにやらなければならないか?!」という程度に“諍い”が重ねられ、“弾圧”が在って、「失われる必然性が低かった人材が夥しい程に損なわれてしまった?」というのが「巨大な不幸」に他ならないと思う。
飽くまで個人的な感想ではあるのだが、何処の国や地域でも、程度の強弱、規模の大小に少しばかりの差は在るのかもしれないが、この種の「不幸」という経過は抱えてしまっているのかもしれない。
それにしても、本書については1990年代初めに登場した一冊を、上手く2020年に甦らせてくれたということになる訳で、「好い仕事!!」と歓迎したい。多少なりとも「ロシアに興味?」という方には、ロシアの「思想の変遷」、「名状し悪い感覚を形成する要素」とでもいうような<ロシア正教>を概観し得る本書はお薦めだ。