あらすじ
江戸時代の大坂と言えば「天下の台所」、つまりは町人の都というイメージが強いだろう。司馬遼太郎は、幕府直轄の武士はわずか二百人と述べている。しかし、江戸時代のはじめからおわりまで、一貫して大坂は「武士の町」だったのだ!
大坂に武士はほんとうは何人いたのか?
武士たちはどうやって大坂の生活を楽しんでいたのか?
大坂城はどんな構造だったのか?
奉行所では何が行われていたのか?
大塩平八郎はなぜ決起したのか?
なぜ「大坂は町人の町」という言説が生まれたのか?
「武鑑」や、大坂町奉行所の絵図面、代官たちの日記、幕府にのこされた数々の文書など、数多くの史料を駆使して、大坂という町で、いかに武士が生き、歴史を動かしていたのかに光をあてる快心作。
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Posted by ブクログ
大阪商業大学であったシンポジウムで、藪田貫氏の講演で知った本が「武士の町 大坂」でした。
彼が、この本を書こうと構想を抱いた後、平成8年大阪文化情報センターでの講演の後、与力の家系のご婦人から、『大阪ではいつも「町人の町」といわれ、肩身の狭い思いをしてきました。今日、はじめて、自分の家に自信がついた気がします』と言われ、当該書物を著すきかっけとなったと書いておられる。
実は、私の家の菩提寺も北区同心にあり、近くの川崎東照宮があり、造幣局は、与力屋敷を壊した後に検察されたものだと知りました。
明治政府が徳川時代の武士社会を消すため、採った政策の結果が「町人の町」大阪だったという藪田の仮説ではあるが、そうかなと思ったこの本を読んだ感想です。
ということで、藪田さんの本をもう少し読んでいくことにします(笑)。