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すべての京田辺市民は読むべき一冊。
自分の街の歴史を知っておきたいと思うことはないだろうか。簡単にまとめてある冊子を手に取っても良い。官公庁発行のパンフレットに目を通すだけでもおもしろい。でもやはり、本格的に知りたければしっかり編纂された分厚いハードカバーの「市史」や「町史」で学びたい。ーーでは、そのすべてが【偽文書】に基づいて編纂されていたら?
以前から本書の存在は知っていましたが読んだことはなく詳しい内容も知りませんでした。しかし京田辺市の歴史を学びたく思い、『京都府田辺町史』を読もうと心意気高くページをめくり、わずか19ページ目に悪名高い「椿井文書」からの引用が現れた際、読まねばと心に誓いました。わかったことは、田辺という町は椿井政隆の手のひらの上で砂の城を築いてしまったのだということ。
偽文書の実像を紐解き歴史研究の実情を暴いた本書、偽文書を受け入れてきた側の立場で読むとあまりに切なくておもしろい。
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山城・近江・大和・河内の古代・中世史研究にしばしば利用されてきた史料が、江戸時代の国学者椿井政隆の手になる偽書であることを示すと同時に、それが江戸時代から現代に至るまで広く市民権を得てきた実態やその思想的・心理的背景を読み解く。江戸時代の山の支配権をめぐる争論から、式内社の比定をめぐる村同士の争い、現代の町おこしに至るまで、椿井文書が、その真正性を疑う声があったにもかかわらず、いかに社会的需要に合致し受け入れられていったかが克明に描かれている。歴史学における史料批判の問題だけでなく、自分たちの願望にそぐうが出どころの怪しい情報に対していかに向き合うかという、より一般的な問題にも示唆を与えてくれる。
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本書の見開きを飾る大伽藍を誇った寺院の色鮮やかな絵図や書状、家系図…数百点にも及ぶ偽文書「椿井文書」製作の意図と近代以降に地域社会と歴史学に与えた影響を詳らかに語る。
本書で明かされる偽文書作成に駆使したテクニックの数々に唸り、文書が流布した背景にある近世地域社会の様々な事情が垣間見えてくるのも面白い。
そして多くの手間と知識が必須の偽文書作成をこれほどまでに大規模に成し遂げた動機には、椿井政隆自身の趣味も大いにあったのではないか?そんな著者の見立てには大いに同意するところだ。
その一方で「椿井文書」を史料として活用し記されてきた地域史の修正と史料としてどう位置付け扱うのかという二つの課題が浮かび上がる。著者の孤軍奮闘ぶりが記された後半を読んでいくと、史実とフィクションが無い混ぜに取り扱われる危うさとその訂正の難しさを改めて痛感させられる。
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現在の京都府や滋賀県に点在する古文書が、じつは椿井政隆という1人の男によって後世に人為的に創作されていたという話で、たいへん興味深かった。しかもこれらの文書は多くの自治体史に引用され、その内容に基づき文化財指定がなされたり、町おこしに活用されたりしている例もあるという。わたしは神社・仏閣めぐりが好きでふだんからよく訪れ、そのさいに説明板を眼にする機会も多いが、内容は当然真であるという前提で読んでいるので、そこにそういった偽りのものも紛れているという本書の内容は衝撃的であった。歴史に名を残した人物といえば、誰もが織田信長や坂本龍馬のような教科書に載っているような著名な人物を思い浮かべるが、ほとんど無名なこの椿井も、ある意味では歴史を動かしたといえるだろう。椿井は偽文書を創作するにあたり、ある程度下調べをしていたことが窺え、また相互に関係性を持たせて信憑性が高まるようにするなど、並並ならぬ努力を払っていたことがわかる。椿井氏は地元ではそこそこの名士であることから、著者はその動機を金銭というよりは趣味にあったのではないかと推測しているが、先行文献を参照し、フィールド・ワークを重ねてひたすら偽文書の創作に打ち込み、厖大な量を残したとなると、ほとんど映画の主人公のような人生である。椿井文書にはもちろん、椿井政隆という人物じたいに対しても非常に興味を持った。とてもおもしろい作品で、新書大賞を受賞してより多くの人に読まれるとなお良いと思う。
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歴史関係者必読であろう。史料の扱い方については本当に注意しなければいけないことがあらためてわかる。この件に関しては文書の膨大さから要注意であることがわかりそうだが、その地域の部分だけ見ているとわからないかもしれない。さらに史料というものはこれに限らずすべて書いた人のバイアスがかかっているものということを頭に置いてまず疑うということが必要。簡単に言えば史料批判から入るべきだろう。
現代でも令和ゆかりという某九州の神社、S城跡という某神社など考古学的には疑問視される場所が堂々と主張され、一般的には受け入れられているなどの例もある。歴史研究者もまあいいやというのではなく、この本にも書かれている通り主張すべきことは主張していくことが必要だろう。
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世紀の偽作、椿井文書。自治体史などで根拠となっている実は偽書。世紀の偽作を通じて浮かび上がる現在の日本史研究の問題点。
視点が斬新な一冊。椿井文書とは椿井政隆(1770~1837)が中世の文書を近世に写した体裁の体裁の偽書。近畿一円に数百点が分布しているという。実際に原本を見れば、分かる人には分かるものらしい。椿井自身も追求された時に備えて備えて有り得ない元号を入れる等文書に隙を作っている。
原本でなく活字化されたものしか見ない研究者の存在や戦前と戦後で断絶した研究者のつながり、また戦後多くの自治体史に椿井文書が採用されてしまったことなどが要因。
椿井の偽作づくりの過程から、それらを求める権利争いの最中の村々、セクショナリズム化する日本史研究の中でなぜ椿井文書が残っているか、実に興味深い。
いつも歴史本を読んで感ずることだが、過去の出来事なのに時を経るほど、新たな解釈が現れる不思議な学問。
ある意味、日本史研究の最前線とも言える、諸々の問題を提起した本。ますます歴史から目が離せません。
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江戸末期に作成された数百点に及ぶ偽文書について、その作成法・流布・後世に与えた影響などその全貌に迫る一冊。歴史学の問題点にも切り込む内容で、偽文書研究の有り様も考えさせられて興味深い。
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ヤバイツバイ
あなたの周囲の町では郷土史として、一人の歴史ヲタクが自作の古文書で作り上げた、虚構の由緒がまかり通る
城を作り、氷室を作り、寺を作り、神社を作り、先祖をつくる
全て創作であり、あまりにも膨大、あまりにも広範囲、由緒書、系図、絵図をいくつかの筆跡を使い分け、村の利益、祖先を飾るなどから、需要と供給があり一枚だけだが代金の受け取りまで残っている
郷土史として残り、教育委員会だけでなく、歴史学の大家まで、椿井政隆が創作した偽文書を基礎に、多くの学説まで作り上げていて、自治体でも「歴史に興味を持ってもらうため」だったら偽でも良いという態度
著者は歴史学としての、偽文書がもたらす弊害の警鐘を鳴らすだけでなく、それが伝播していく様から見える学問的な考察をまとめ上げ、素人でも「歴史ってすげえ」と思い知らされる一冊です
通勤本にしたのは大失敗(´・ω・`)
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とても興味深い本でした。
椿井文書(つばいもんじょ)と呼ばれる一連の疑文書の全貌とそれが真正な文書として一部利用されてきた過去を明らかにする中で、歴史学の在り方、偽史、偽書との向き合い方に及ぶ思索の書です。
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たった一人の人物の創作による偽文書が、いかにして作られ、
地域に、人々に浸透していったか。数百点にもなる椿井文書の全貌。
第一章 椿井文書とは何か 第二章 どのように作成されたか
第三章 どのように流布したか 第四章 受け入れられた思想的背景
第五章 椿井文書がもたらした影響
第六章 椿井文書に対する研究者の視線
終章 偽史との向き合いかた
カラー口絵、モノクロの画像と地図や表多数有り。
参考文献有り。巻末に「椿井文書」に関する表Aと表B有り。
絵画も書道も達者、史料を調べる知力もあり、
足を運んで実地調査する行動力にも長け、音便にも関心がある。
そんな人物が行った偽文書の創作。連名帳、家系図や地図までも。
歴史学者や文献史学者を信じさせた内容の巧みさは、圧巻!
趣味と実益、需要と供給・・・『五畿内誌』の補完、自分の家系のため、
村同士の争い、式内社の選定、かくあってほしい歴史。
石碑が建立され、行政史に取り入れられ、
そして村おこしや町おこしにも使用されるようになる。
史実でなくても地域の歴史に関心を・・・なんて言われるとねぇ~。
後戻りは難しいものだと、しみじみ。
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私が『息長川ノート』を書き始めたのが2008年7月からだった。馬部さんが椿井文書の存在を知られたのが2003年、雑誌「史敏」に椿井文書について寄稿されたのが2005年。私は大事な資料を見落として執筆していたことを今知った。
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フェルメールの贋作をイメージして読み始めたのだけれど、まったく違った。(無知丸出し)
恐るべし椿井正隆。でも、それより恐るべしは、盛り上げるためなら偽文書の内容をも活用してしまう(一部の)町おこしの無節操ぶり。それを批判する著者の正義感を支持したい。
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仕事柄、自治体の出してる市史などを目にする機会が多いが、無批判に信じて良いのか分からなくなる。近畿地方の中でも都市を避けてると言う指摘を鑑みるに、より資料の少ない東国などは、ここまでの広範な偽書群とまでは言わなくとも、曖昧な伝承などを事実のように定着してしまってる例がままあるような気がする
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偽文書についての一般的な本がさっと出版された。専門書はほとんどの人が見ないので、偽文書の椿井文書が数百あることはあまり話題とされていない。ただし、あまり読みやすい形式ではないので、図示してもっとわかりやすい形式で書いてほしかった。
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日本中世史の研究や自治体の文化財行政に多大な(悪)影響を与えている、日本最大級の偽文書といえる「椿井文書」について、作成手法や伝播の仕方など、その実態を解説し、また、椿井文書が引き起こした問題やそこからみえてきた歴史学の課題についても言及。
「椿井文書」という偽文書の存在は、本書を読むまでまったく知らず、その規模や、偽の情報に基づき文化財指定までされるなどの与えた影響の大きさに驚愕した。。一応、学部時代に歴史学をかじった身だが、自治体史に掲載されるなどしていたら、自分も簡単に騙されるだろうなと感じ、肝を冷やした。
歴史学や行政は偽史といかに向き合うべきかということについても考えさせられた。特に、自治体の向き合い方は極めて重要であると感じた。文化財の活用において、「事実かどうか」よりも、「町おこしに使えるかどうか」が優先されてしまうような傾向は、改めていかなければならないと強く思った。
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村や、地元の社の由緒を示す、中世の絵図、系図、手紙。様々な形態の多数の文書が、江戸後期の一人の人物によって創作されていた。
「東日流外三郡誌」のような有名な偽書ではなく、個々の文書のスケールは小さい。地方の豪農の先祖が室町時代の武士だとか、そんなのどこの家の系図だって、その程度には胡散臭いのが普通だろう。というか、脚色のない系図ってあるんかね。
しかし、この土地には平安時代には大きな寺があった、とか、この村の山頂には城があって、南北朝ぐらいには栄えていた、とかなってくると、ちょっとほほーとなってくる。
椿井文書は系図や、土地争い、権威争いに都合が良くなるように創作された偽書だという。
まあ当時から知ってる人は知ってる創作物だったが、創作者の統一体系に見合うように多数の文書が作成されたため、文書同士が相互に補完しあって、立派な宇宙を作り出してしまったという話。
それを昨今の、自治体が、捏造系図をありがたがる地方旧家のように、見栄えの良い郷土史を欲しがって都合良く解釈し、実際に郷土史資料として出版したり、文書をもとに石碑を建てちゃったりして、さらにホントらしくなると。
椿井文書というのは、そういうふうにして広まっているものらしい。
ここまで来ると、偽書も研究対象になる。面白い。
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エーコの「プラハの墓地」のシオンの議定書みたいな世界の歴史を変えるみたいなのやなくて、隣村との揉め事の裁判を有利に進めるため、みたいなわりと小さい動機で偽文書を作りまくった椿井政隆。趣味と実益を兼ねて、どちらかというとやや前者より、とか最高やん。めっちゃお茶目さんやん。
という評価とは別に、偽文書に乗っかって街おこし始めてしまって引くに引けないとか笑えるような笑えないような…それ質さなあかんとは思っても質して得になるわけでもなし憎まれるだけ損なら黙っとこ、とかそれはそれで人間っぽいなぁ。
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身近にいたら厄介だけど、オモロい人だったと思う。琵琶湖が近くになるので、竜の骨の件は笑った。嘘をつくときには真実を含ませるというのは常套手段。
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論文作成には先行論文が欠かせない。
論文は再現され、立証され、または反証されて証明されてから価値が出る。
この点、理系の論文は検証されやすいのではないか。
対して、歴史学の古文書がデタラメだったら。
9割の真実に1割の嘘を混ぜるのが嘘つきのセオリーと聞く。
それらしく真実を混ぜ、更に嘘を混ぜ込んだ文書を一つではなく、大量に齟齬なく嘘の体系を作り上げた江戸時代の人物がいる。
椿井政隆、各文書に対するサイン名は多岐にわたる。
この人物が手掛けた文書は膨大で、おもに近畿を中心にした古文書が彼によって作成された。
村同士の争いごとが起きると、どちらかに有利に働く文書を作成した。
偽文書は古文書として残り、現代で再発見される。
それが町おこしや、オラが町の歴史として行政のお墨付きを得ると修正が効かなくなる。
どうやって大量の偽文書が出回ったのか。
現代の論文と違って、古文書の反証の難しさが分かる。
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椿井正隆が作った絵図や文書は、村の利益をもたらすように利用された。それが、現代になっても村町おこしに使われるのは皮肉だ。江戸時代も現代も市井の人達は変わらない。
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一言でいうならば「根が深い」。
作成者である椿井本人の巧妙かつ膨大な偽史料作成、それをさまざまな理由で「是」とした同時代や後世の人々、専門外であるや己の主張や単に気づかないという状態でこれを引用する研究者、地域振興になるから…利益になるからと無批判に利用する自治体。
幾つもの線が絡み合って、今まで「真」として伝わった一連の文書は、これはこれで興味深すぎる事例ではあるけれど、解きほぐすには時間がかかる…。
筆者が何度か述べているように「批判からはなんの利益も生まれない」。「東日流外~」事件でも、限られた研究者人生を偽物の追及にあてるのは割に合わないといわれたが…。
根が深いなぁ。
椿井文書に比べれば「東日流外~」事件がお粗末なコントに見える。
椿井氏が和田某の制作風景を見たらなんと言うだろう?
「ツメが甘いな、もっと史料と付き合わせてリアルにしないと、整合性を持たせて、分量も増やさないと…」と苦笑してそうだ。
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現在も多くの自治体で信じられている歴史の根拠とされている「椿井文書」。その多くは近畿一円に流布されている。注意深く見れば、古文書の原則から外れた書き方だったり、書かれたとされる年号が未来であったりするという。しかし、正しい古文書の空白を埋めたりする手法で巧妙。
このような偽古文書はそれを使って権利を主張する者、箔をつけたい者がいたこと。本来学者は怪しい古文書は研究に値しなければそれでおしまいだったが、新しい視点で研究する人もでてきたという。
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古文書とみると、書かれているのは真実であるように感じてしまう。記憶違いなどはあったとしても、歴史を知る上での証拠だと。
偽文書。依頼者や作者の都合がいいように作られたものがあるというのは衝撃だった。
何事も鵜呑みにしてはいけないということか。
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偽文書の成立の背景には当該地域の利害があり、現代になると町おこしの資料として再流通するという。今ネットに拡散している多量のフェイクニュースは100年後にどのような使われ方をするのだろうか。
著者は学問の世界では価値がないとみなされている偽文書研究に社会的な価値を与えたのだと思う。このような調査に従事する人がいて社会の秩序が保たれるのだと感じた。
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中々読み応えがあった。
どのようにして偽書が、かくも世の中に受け入れられたかを見事に解き明かしてくれた。
偽書をあたかも正史のように受け入れさせた歴史家の責任は重いが、それを町おこしや、教育に利用するのを許した行政の怠慢と責任が一番おもい。特に偽書であることが分かってからも、教育上の効果のために利用したのは言語道断。教育者を続けて良いのだろうか。良心を問いたい。
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日本最大級の偽文書が、なぜ人々に受け入れられたのか。そして、その結果、どのような影響をもたらしているのか。
大半は、眠たい、歴史の授業のような退屈な内容なのだが…。
人々がこうあってほしいという思いに根拠を与える由緒や歴史的背景を示すことで、多くの人に受け入れられてきたという。分かりやすかったり、耳障りの良いものにはご用心、というのは歴史学上の偽文書に限った話ではあるまい。
今住んでいる枚方市の町おこしや国際交流が偽文書から端を発したもの(カモ?)というのが印象深い。人間の語り継ぐ歴史、物語であるからこそ、人間の感情や思惑が介在せざるを得ない。
「事実」が必ずしも「真実」として語り継がれるのではなく、人の感情を通して残ったものが「真実らしきもの」として語り継がれる。
歴史学に限った話ではなく、人間社会の「あるある」を見た。
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偽書として扱う学者が少なくなかったとはいえ、大衆に向けて告発した勇気に脱帽する。
今後の展望として挙げられている「偽書から正史を読み取る」という活用法は面白そう。
ただ、告発して歴史の扱い方が変わるか、というと…難しいだろうなぁ。
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<目次>
第1章 椿井文書とは何か
第2章 どのように作成されたか
第3章 どのように流布したか
第4章 受け入れられた思想的背景
第5章 椿井文書がもたらした影響
第6章 椿井文書に対する研究者の視点
終章 偽史との向き合いかた
<内容>
研究者でないと知らない「椿井文書」。ただ近世後期にせっせとこれを作った本人よりも、明治期から戦中期までの思想的影響と戦後の地方史の活性化(および各地方の観光目的の政治的使い方)が、この偽史の扱いをさらに深いものにしてしまったようだ。第1、2章はミステリーのようでなかなか面白い。後半は、うって変わって現代日本のダメなところがいくつも出ているようで、情けなくなった。その文書の全貌を解析した著者の努力には敬意を評する。