あらすじ
幕末維新から令和の代替わりまで
歴史と天皇をめぐる「思想の戦い」が始まる!
なぜ徳川御三家から尊皇思想が生れたのか?
「衆」と「番」の論理で幕末維新を読み解く
タテの儒学、ヨコの国学
大日本帝国憲法 伊藤博文と井上毅の“暗闘”
南北朝正閏問題・天皇機関説事件は「大衆の反逆」だった?
昭和天皇への御進講・平泉澄の挫折
柳田国男VS.折口信夫 相克する天皇像
「網野史観」が天皇像をリニューアルした?
近代天皇制の枠組みが壊れた日 ほか
迫り来る外からの危機
「国のかたち」はどうなる?
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
皇国とはその名のとおり、天皇の治める国という意味である。では天皇とは何か。それは古代以来の日本の君主ならびにその称号とあり、遥か古代から日本を統治する王という事になる。その在り方や存在は時代により様々な変遷を辿ってきたが、現在の天皇の定義は1946に公布され1947年5月3日より施行された日本国憲法によれば、日本国および日本国民統合の象徴となる。その役割としては、日本国の象徴として、憲法第1条に規定される通り、日本国と日本国民が一つにまとまっていることの象徴であること。そしてその役割として、国事を行うこと。国事とは国会の召集、内閣総理大臣の任命、法律や条約の公布など、憲法で定められた国事行為にあたるが、ここでは国事行為「のみ」を行うとされており、天皇という役割や立場を利用して(自らの意思だけでなく、他者の影響下に於いても)強大な権力が振るわれることを防いでいる。そして、東日本震災や熊本震災などの際に見られる被災地訪問や各種式典への参加など、私たちに馴染み深く親近感を醸成する象徴としての活動が天皇の役割となる。
この定義や役割が時代と共に変わってきた事は前述の通りであるが、明治憲法下では天皇を国家元首かつ日本古代から続く神格的な位置付けとし、現代の「人間」としての天皇よりは、神の国である日本を統治する存在、一般国民とは異なる神として扱われる。そして天皇の位置付けが時代を反映するという事は、その時代の日本を取り巻く状況や国難とされる課題を色濃く反映した存在である事は容易に想像がつく。本書はそうした天皇を国の象徴とする現代日本に至るまでの天皇に対する国の考え方、存在自体が形成されてきた時代背景や文献を紐解く内容となっている。それを皇国史観として捉える事によって、歴史の流れを掴むことを可能にしている。
先ずは何故天皇を中心とする国家が必要であったかについては、「尊王攘夷」という言葉が表す様に、外国からの圧力である事が大きい。戦国時代を含め、日本の歴史は島国という外から隔離された状況に於いては、内戦の歴史が長く続いた。武士と呼ばれる戦闘を生業とする階級が生まれた様に、勢力拡大と言っても日本国内での争いとなるから、日本という国家を誰が統治するかの争いであり、国時代が危機に晒される事は少ない。数少ない元寇の影響や秀吉時代の朝鮮出兵など幾つかの例外はありながらも概ね内戦の歴史がが続く。江戸時代という長い平和な歴史を打ち破るきっかけとなったペリー来航は、その様な内向きの社会を一挙に外に向けさせる重大な事件であった。日本という国家そのものが、強力かつ最新の技術力を持つ外国勢力によって脅威に晒される。この事態を国を挙げて乗り越えるためには、日本国民の「国を守る」という意識で集約する必要があり、そうした背景から天皇を戴く皇国史観が生まれていく。もっとも、それ以前から天皇は存在していたが、武士勢力の権力保持に利用されるなど単なるお飾り的な扱いであった事は言うまでもない。この様な外国からの圧力は、天皇を中心とした強力な国家を作り上げる必要性を一気に高め、それを思想的に支える根拠が必要になる。その時代に生きた社会学者や権力者などが様々な根拠で天皇を神格化していく事で神の国としての一致団結した国造りが行われていく。その後、明治維新を経て昭和初期に軍国化していくのだが、日本は太平洋戦争に敗北し、GHQ主導によって憲法整備が進み、前述した様な象徴天皇が生まれていくのである。こうして大まかな流れを学校教育の日本史レベル見ていくだけだと、中々その理由や背景を統合的に理解する事は難しいが、本書からはもう少し詳しく思想などからも理解しやすい。近年の平成から令和に移った生前退位などもニュースから得る単語の意味合い以上に重大な出来事だった事がわかる。先ずはもう少しだけ歴史を深掘りし、理解を深める事で今後の女性天皇含めた議論も把握しやすくなるだろう。
Posted by ブクログ
江戸幕府成立後も伊達政宗など東北には曲者が揃っていた。この防波堤が水戸徳川家である。藩主は江戸在住が義務とされるが、格式は尾張、紀伊より低く、土地も痩せており財政は苦しかった。そこで徳川光圀は将軍に対する天皇の優位性を強調した。水戸学の創始である。後期水戸学会沢正志斎は攘夷を説き、吉田松陰に影響を与えた。この頃ロシアとの接触があったことが背景にある。
明治憲法において国務大臣は天皇を輔弼するとされている。輔弼とは責任と判断を行う意味であるから、天皇は政治的責任を取らなくて良いという構造である。これに抵抗した井上毅は天皇主権説を主張。のちの天皇機関説事件等に続く対立構図は、憲法制定当初からあった。
日清日露戦争により国民が創出し国家意識が醸造された。
天皇中心の史観ゆえ南北朝正閏問題が起きる。それまで北朝正統とされていたが、水戸史観の影響から南朝が正統とされる。
通説であった機関説が議会で謀反などと批判され、主権説が通説化する。ナショナリズムが背景にある。
歴史家平泉澄は天皇新政を主張し皇国史観に大きな影響を与えた。天皇への講義も担当、その思想は、特攻、人間魚雷などの作戦につながった。平泉にとっての歴史とは英雄のものであった。
Posted by ブクログ
持続可能な(皇族に優しい)天皇制と、それを支える新たな「皇国史観」、ね。
まぁ、人権を剥奪された上で「立派な日本人」の象徴たることを強要されている方々をどう救済していくか、は大問題ではありますわな。
壊れちゃったら、換えが効かないんだから。
恥知らずな長州人に都合良く利用されないようにもしないとね。