あらすじ
残酷でエログロに満ちた仏教の原風景。
仏教といえば、「悟りをめざす清らかな教え」というイメージを持っている人が多いと思います。ところが、仏教のはじまりは、そんなイメージとは正反対。
あまりに人間臭く危険なドラマに満ちていました。
たとえば、ブッダからして、仮面夫婦状態の末に、妻を捨て去った元王子。そして、弟子たちといえば、美女の死体に欲情する者あり、獣と交わるものあり、お寺に放火して逃げ出す者あり。おぞましい姿ですが、これこそが人間であり、また、仏教の原風景でもあるのです。
本書では、修行者の戒律をまとめた仏典『律蔵』などを手がかりに、恐ろしくも人間味溢れる仏教の真の姿を紹介します。
<著者プロフィール>
平野/純(ヒラノ/ジュン)・・・1953年、東京生まれ。作家・仏教研究家。東北大学法学部卒業。1982年「日曜日には愛の胡瓜を」で第19回文藝賞受賞。作家活動と平行してパーリ語、サンスクリット語を習得し、仏教(特に仏教理論と現代思想の関わり)を研究。著書に『謎解き般若心経』『はじまりのブッダ』(ともに河出書房新社)、『裸の仏教』『ブッダの毒舌 逆境を乗り越える言葉』(ともに芸術新聞社)などがある。
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■ Before(本の選定理由)
気になるタイトル。仏教の原点を説くというがどんなものだろうか。
■ 気づき
ブッダの印象がガラリと変わった。彼は死後の世界を説かず、輪廻を教えず、むしろ墓場で死体の肉体変化を徹底的に観察するなど極めて現実的。そこで人間の存在を煎じ詰め、「無常」の悟りに辿り着いたという。
■ Todo
小室直樹という社会学者が以前、「仏教はインドから中国に渡り90度変わり、日本に渡り更に90度変わった」と述べたそうだか、その意味が分かった気がする。
Posted by ブクログ
仏教の聖典を紐解くと、仏教の本質が見えてくる。
日本人のイメージする「悟りを目指す教え」とは正反対の、危険なまでの人間ドラマ。
仏教の聖典から読み解く仏教の本質の本……。と言うと高尚に聞こえますが、スキャンダルやエログロ系事件の歴史に偏った、ブッダの教えと仏教の原点を書いた本です。率直に言ってしまえば宗教系の書籍の中では悪趣味寄りかな。
通常の性交はもとより言葉によるセクハラ、獣姦、屍姦まで偏執的なほど細かく戒めているという『律蔵』(修行者の生活規則を載せたもの)。そんな戒律が出来るに至った逸話などが語られています。肉欲に振り回され、苦しむ修行者のなんと多い事か。さすが三大欲求の一つなだけありますね。まあ、あまり厳しくしすぎると余計性犯罪が増えるとも聞きます(諸説あり)し。
それにしても、ブッダが伝える仏教と日本で認識している仏教が全く違う。作中で「仏教はインドから中国に来て90度曲がり、日本でさらに90度曲がった」という小室直樹先生という社会学者さんの名言(?)が紹介されていますが、正にその通り。さすがの魔改造日本って感じです。
Posted by ブクログ
出家をして道を極めようとしても、やはり生身の人間が欲望の執着を離れることは並大抵のことではないことが良く理解できました。このことは何千年も前からずっと変わっていない。やはりこの世に生まれるということは、罪深い人間なのだとつくづく感じました。
Posted by ブクログ
エロ・グロ・悪趣味方面に特化した仏教解説書。読んでいて辛いものがあった。
厳しい戒律の網の目をくぐり、どうにか快楽を得ようとする修行僧たち。「随犯随制」で新たな戒律が増えてゆく。この事情は愛川純子『セクシィ仏教』で先に知っていた。
なお、43頁に「左手で天を、右手で地をさす小さな誕生仏」とあるが、左右逆ではないだろうか。