あらすじ
住宅確保は自己責任とされ政策として意識されたことのない日本。住まいの貧困に取り組む著者は、住宅確保ができずに路上生活から死に至る例を数限りなく見てきた。支援・相談の現場歴二十余年の経験から、「2020以後」の日本社会に警鐘を鳴らす。
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Posted by ブクログ
居住と貧困の強い関係、オリンピックで公園を閉め出されるホームレス。そして、生活保護引き下げに抵抗するソーシャルアクション。どれもインパクト受けました。
Posted by ブクログ
生活保護というとどうしてもネガティブなイメージをもってしまう。
それは、政治や行政がそのように扱っているからだろう。
訳あって働けない人は私の想像より多いのだろう。
そして、一見就労可能のように思える人でも、知的障害など何らかの事情で働けないこともあるんだと再認識した。
生活保護受給者=努力していない人という認識は、改めなければならない。
そして、行政の対応不足や認識不足も否めない。
小田原市の「保護なめんな」ジャンパーは大きくニュースになったけれど、これに似たようなことが各地で起きているのだろう。
身近で生活保護行政に携わっているからこそ見える負の部分があるのは分かるが、すべての受給者を目の敵にするのは間違っている。
また、「貧困ビジネス」というあくどい存在もある。
貧困者からお金を巻き上げるなんて、最低の行為だ。
しかし、ホームレスの人たちが生活保護を申請した際、福祉事務所は(貧困ビジネスといわれるような)民間の宿泊所を紹介するのが常になっている(p27)ようだ。
そのため、申請をしないという選択をするホームレスもいるようでとても歯がゆい。
自己責任が叫ばれる昨今。それが世の中の分断を生んだり、生きにくくする要因の一つでもある。
当事者だけの問題ではなく、同じ社会に生きる皆がもう少し寛容になるべきだと思う。
そして、可能なら困窮者の現状を改善するために何かしらの活動をするべきだ。
自分は大丈夫と思いがちだが、自分事として考えたい。
Posted by ブクログ
当時の東京オリンピックによる追い出し、祝賀資本主義による弊害の書き出しで始まる。
台東区の事例を出したり、カジノによる弊害なども記載されている。
特に住まいの問題についてフォーカスをあてていた。基本的に問題のある方々は家を借りることができない。
そしていのちの選別をするべきでないことが書かれていた。
子供を救って大人は自己責任、という人は私の周りにも多くいる。その大人もおおよそ子供の時に救われてなかっただろうに、なぜ大人だからと自己責任としてしまうのだろうか。
そしていのちの重さに優劣をつけるのは、それは経済という視点でしかないのだろう、投資価値があるとかないとか。ここは難しいところで、経済成長することで全体的に救われる命がでてくるというのも、その通りなのかもしれない。全体最適で多くの人を救う、となると難しい。どうしても優先度をつけざるを得ないというか、、、本当は全員救いたいが、その答えが私にはわからない。もっと勉強しないと。