あらすじ
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【カラー/固定型】カラー・大画面での閲覧に最適化されたコンテンツです/ある女性が失踪した。その後、彼女に関する衝撃的な映像を収めたテープが新聞社に送られてくる。その映像はインターネットを席捲し、噂や憶測、陰謀論が湧き上がる。ゼイディー・スミス、エイドリアン・トミネ絶賛。現代社会を映し出す傑作グラフィックノベル
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Posted by ブクログ
陰謀論とパラノイアと誹謗中傷。
グラフィックノベルにあまり親しみがないので新鮮。文字数は多く、ショッキングな場面は見せず、サブリナの遺体も見せず、真相というか匂わせやほのめかしが散見されており、ドア越しに包丁を持った緊迫する場面ですらコマ割りは小さい。遠景を撮るため、カメラの位置が少し遠くなったときに舞台の全面が垣間見える程度で、基本的には同じようなトーンの絵が続く。
暗闇と夢の際の効果というか、描き方が秀逸。最後の部分のその効果の使い方も恐ろしく、また小気味良い。
まだ読みきれていない部分もありますが、悲劇に投げ出された登場人物の喪失と再生を描いた、優れたグラフィックノベルでした。
Posted by ブクログ
マンガ、ではなくグラフィックノベルというらしい。確かに「小説をマンガ化」だったら、小説を読むよりわかりやすくなるのが普通だが、これは、そういうマンガ的なわかりやすさを徹底的に拒否している。
まずキャラクターの描き分けも積極的にはしないし(だから慣れるまでは描かれているのがが誰だか分からない。特にカルヴィンが勤める空軍基地のメンバーを見分けるのに苦労する)、表情というマンガでは極めて大事なところも省略。顔立ちは皆同じ。ラジオの放送内容やメールの文章などが延々と文字だけ続くコマもあるし、努力しないと読めないマンガというのはめずらしい。これは、小説で書いた方が余程わかりやすかったのではないかと思われる。
しかし、というかだからこそこういう風に描いたのだろうと思う。
サブリナという若い女性が失踪する。恋人のテディは生きる気力をなくし、見かねた友人のカルヴィンは、自宅の空いている子ども部屋に彼を住まわせ、世話をする。カルヴィンは妻子と離れて暮らしているが、仕事を辞めて妻子とまた一緒に暮らしたいと思っている。
しばらくするとサブリナが惨殺されたシーンを撮影した映像があちこちに届く。犯人はヤンシーという男で、殺したあと自殺している。
サブリナの家族、テディ、カルヴィンはソーシャルメディアの格好の餌食となり、私生活を侵されていく。
刺激的な展開にもかかわらず、殺されるシーンが描かれたりはしない。恐ろしいのは殺されることだけでばなく、メディアに晒されることで、家族や精神、仕事といった、普通の生活を送るために必要なものが、徐々に崩壊していくこと。
サブリナ殺しに関することが連日検索ワードのトップに来る。カルヴィンに執拗なメールが届く。陰謀説、ヤラセ、様々な憶測が事実のように書かれてネットを賑わす。
匿名の誰かのちょっとした気晴らしの噂話が、ネットに上がった途端、邪悪な力を持って個人に襲い掛かる。
これをリアルな表情のある絵で描いたら、却って怖くなかっただろう。表情の乏しい陰影のない絵柄だからこそ、ひたひたとうすら寒い恐ろしさが湧いてくる。ネットでデマをまことしやかに語る者も、それによって追い詰められる者も、人間としては変わらない。
テディが陰謀論を語るラジオ番組を延々と聴いていることでも、それは明らかだ。
ろくでもない野生動物は街中にいる、と言っていたサブリナの妹が、姉と行くはずだった自転車旅行に一人で行くラストシーンは、それでも、ほんの少しだけ救いが感じられる。
Posted by ブクログ
グラフィックノベルとしては初めてブッカー賞にノミネートされたという話題の本。
平凡な暮らしを送っていた女性 サブリナ が突然行方不明になる。
彼女の恋人テディはそれがきっかけで引きこもりのような鬱状態になり、幼なじみのカルヴィンの家に身を寄せる。
やがて、サブリナが殺されるところが撮影されたビデオテープが複数のメディア等に送られて失踪事件は急転直下誘拐殺人事件となり、犯人はサブリナの家の近くに住む面識もない青年で、彼も自殺して発見される。
ビデオテープはネットに流出してしまい、それをみて根も葉もない解釈、荒唐無稽な陰謀説を唱える者まで現れはじめる。
恋人の死に直面し、それを受け止めきれないテディはその陰謀説を唱えるラジオ放送に没頭する。
テディの面倒を見ていたカルヴィンは軍に勤め、妻子とは別居中。ネットの陰謀論者は彼のところにまで事件の真相を語るように迫るメールが連日山の様に送られてきて、心の均衡を乱され始める。
サブリナの妹のサンドラは被害者の親族という立場で受けた周りからの攻撃に疲れ、セラピーを受け始める。
少し読み方を間違えてしまったのは、その事件の真相が明かされるストーリーだと誤解してしまったこと。これはそういう物語ではない。
むしろ、淡々と過ぎていく時間の中で、事実は変わらない。
サブリナは偶然近くに住んでいた異常者によって殺されたのであり、それ以上でも、以下でもない。
これはそれをネタにして自らの妄想を飾ろうとする、そして次の事件が起きれば、サブリナのことも、その遺族のことも忘れてしまう無責任なネットのフェイクニュースや陰謀論者、そしてそれを無意識に支えている一般人(カルヴィンはそうなりかけて自己嫌悪する)を淡々と描く。
そこに急展開も、「隠れた真相」もない。あるがままが真相なのだ、という話だ。
それ故に、一応の収束(テディは職を見つけ、カルヴィンは妻子と別れて軍の仕事を続けることを決め、サンドラは姉と約束していた旅行に出かける)を迎えたところにも大きな起伏はなく、物語は終わる。いや、そういう日常が続くのだとして、話は断ち切られる。
その起伏のなさというリアルが、読み終えた読者に響くのだろう。少なくとも、閉じたページの中で、まだキャラクターたちが、亡くしたサンドラへの思いを抱えながら、昨日と同じ1日を迎えているに違いないと思わせてくれる。