あらすじ
【HRアワード2020 書籍部門 最優秀賞受賞】13刷 7万5千部突破のロングセラー
忖度、対立、抑圧…あらゆる組織の問題において、「わかりあえないこと」は障害ではない。むしろすべての始まりである──。
ノウハウが通用しない問題を突破する、組織論とナラティヴ・アプローチの超実践的融合。
いま名だたる企業がこぞってメンタリングを熱望する気鋭の経営学者、待望のデビュー作!
読者・有識者 絶賛!
■面白すぎて一気読みしてしまった。(20代・男性・会社員)
□編集者としてもドンピシャリで、勉強になった。他者と働くために大切なことが非常によくわかる(佐渡島庸平氏・コルク代表)
■難しい本に見えるけれど、内容がすっごくあったかい。超良書です。(20代・女性・自営業)
□熱量が心地良く、明日もう一回読みたい。(30代・男性・会社員)
■「対話」することは誇りを持って生きることだと書いてあって胸が熱くなりました。(青木耕平氏・クラシコム代表取締役)
□ヒトにやさしくなれる本だった。いつか小学生の教科書にならないかな。(30代・男性・会社員)
■「イケメンすぎる良書」だわ。擬人化したら確実に惚れる。(30代・女性・人事)
□素晴らしかった。なによりも著者のことが人として好きになった。(20代・女性・ソフトウェアエンジニア)
■骨太な理論に裏打ちされた、組織を変えるための本質と、その実践方法である(松井孝憲氏・グロービス研究員)
□ドキッとした。まさに本質。間違いない。(20代・男性・会社経営)
■ぼんやり感じていたことが見事に体系化されていて、それでいて優しさのある組織論。(30代・男性・会社役員)
□一言、衝撃だった。自分の中では21世紀の革命。(30代・男性・サッカーコーチ)
■現場で活かせる内容でした。(40代・男性・サービス)
□ビジネスだけでなく、様々な場面において応用できそう。(20代・男性・メディア)
■夫婦間での悩みをもつ友人にも薦めたい。(40代・男性・IT企業社長)
□要するに、本書は「万人」におすすめできます。(中原淳氏・立教大学 経営学部教授)
内容
現場で起きる「わかりあえなさ」から始まる諸問題は、ノウハウで一方的に解決できるものではありません。
その「適応課題」と呼ばれる複雑で厄介な組織の問題をいかに解くか。それが本書でお伝えする「対話(dialogue)」です。
対話とはコミュニケーションの方法ではありません。
論破するでもなく、忖度するでもなく、相手の「ナラティヴ(narrative)」に入り込み、新しい関係性を構築すること。
それこそが、立場や権限を問わず、新たな次元のリソースを掘り出して、組織を動かす現実的で効果的な方法なのです。
目次
はじめに
正しい知識はなぜ実践できないのか
第1章 組織の厄介な問題は「合理的」に起きている
第2章 ナラティヴの溝を渡るための4つのプロセス
第3章 実践1.総論賛成・各論反対の溝に挑む
第4章 実践2.正論の届かない溝に挑む
第5章 実践3.権力が生み出す溝に挑む
第6章 対話を阻む5つの罠
第7章 ナラティヴの限界の先にあるもの
おわりに 父について、あるいは私たちについて
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
誰もが目を背けてきた事実。
『人と人は分かり合えない』
これを、冒頭でハッキリ言い切ってくれた1冊。
でも、だからこそ!
『互いに歩み寄る努力が必要』
とも説いてくれた。
長年モヤついていたことをクリアにしてくれた名書。この本に出会えて本当によかった。
ブックカフェで最後まで読み切り、そのまま本をレジまで持っていった本は、自分の人生の中では唯一この本だけです。
Posted by ブクログ
そもそもわかりあえるという前提からスタートしないのがよいのかもか
この著者、別の本をいまの会社同僚から教えてもらい、面白そうだったので、この本含め3冊即購入。
読まない人にどうやって内容理解してもらえばいいんでしょうね
Posted by ブクログ
ナラティブアプローチということで、働くうえで、あの人はわかってくれない…という諦めを対話という形で橋をかけていくということが述べられています。 初め、忖度や妥協と何が違うのか、と感じましたが、医者と患者のやり取りで、対話がどういうものか、何となくつかめた感じです。 他者とわかりあえないと感じても、諦めないで橋をかけていきたいです。
Posted by ブクログ
組織は関係性によって成り立っていることを前提として、体系だった良書。帯に教科書にという記載があったが、社会人としての大事なスタンスが記載されている。
そのため、働く全ての大人に捧げる実践書はまさに感じた。
Posted by ブクログ
他社との対話の大切さを言語化してくれている本。
今まで仕事で成果が出たときは、この本に書かれていることをしていたなーと思いました。
いきなりやりたいことを言ったり、専門的な知見から正論を振りかざしたりしてもなかなか通じないので、利害関係者の考え方を理解することを丁寧に進めないといけない。
仕事をするうえでうまくいかないときにこの本を読んで構造的にどうアクションをとらないといけないのか冷静に考えるキッカケになるだろうなと思いました。
また折をみて読みたいなと思います。
Posted by ブクログ
自分のナラティブを置いて、相手と対話することの大切さが諄々と説かれている。相手にも事情があること、それを観察し、解釈し,介入していく大切さがわかった。
今、職場で正に溝を感じている。相手のナラティブを対話で掘り下げ、彼自身が主人公となるナラティブを構築できるような対話を心がけていきたい。
Posted by ブクログ
何だか心が温かくなる不思議なビジネス書。
戦略という言葉には、「戦略を考える人」と「それを実行する人」という支配関係を、無意識的に組織の中に創り出す作用があるかもしれないことに気を付けるべきという警鐘を鳴らしてもらった感じ。
本書の骨格である下記を、時折自分の中で噛み締めるだけで、得られるものはたくさんありそう。
準備:溝に気づく
・自分から見える景色を疑う
・あたりを見渡す
・溝があることに気づく
観察:溝の向こうを眺める
・相手との溝に向き合う
・対岸の相手の振る舞いを良く見る
・相手を取り巻く対岸の状況をよく見る
解釈:溝を渡り橋を設計する
Posted by ブクログ
自分のナラティヴ(主張みたいなもの)を一旦脇に置き、相手のナラティヴを観察すること、
相手がどんな考え方で動き、何に困っているかを理解し、具体的な解決策を示すことで物事が改善する。
よく「相手の視点になって考えろ」等聞くが、それをどのように順序立てて行うか体系的に書かれている。
Posted by ブクログ
相手と自分のナラティブ(考え方を形成する背景、物語)が違うこと、溝があることを認識して、溝に橋をかけていこうという話。
部下に対して、部下が主人公になれるようにするのが上司の仕事、主体的であって欲しいという想いは大半はこちらのナラティブの都合という主張はハッとさせられた。
また、対話において迎合にならず組織の中で誇り高く生きることだというのは勇気づけられる一節であった。実際はなかなか難しい。
Posted by ブクログ
一方的に解決できない4タイプの「適応課題」
・ギャップ型:大切にしている「価値観」と実際の「行動」にギャップが生じるケース
・対立型:互いの「コミットメント」が対立するケース
・抑圧型:「言いにくいことを言わない」ケース
・回避型:痛みや恐れを伴う本質的な問題を回避するために、逃げたり別の行動にすり替えたりするケース
これら4つのタイプに共通する点は、どれもが既存の技法や個人の技量だけで解決できない問題であり、もっと言えば、人と人、組織と組織の「関係性」の中で生じている問題だということです。
また、少し俯瞰してこれら4つを見てみると、大事なことに取り組んでいない・できないという共通点があるように見えます。
当事者からすると解決しなければいけない問題よりも、そもそも問題の立て方自体に問題があるということだと言えます。しかし、なぜ当事者が表に出てきている問題だけに注力するのかと言うと、それは既存の認識の枠組みによって、問題の立て方が制約されるからです。
誰しもが持つ「ナラティヴ」とは何か
社会で働く中で、私たちは気がつかないうちに「私とそれ」の関係性を相手との間に構築していることがよくあります。うまくいっているならば、無理にそれを変える必要はありません。しかし、そこから何か想定外の問題が生じたときなど、適応課題が見出されたとき、私たちはその関係性を改める必要が生じていると考えることができるでしょう。
その一歩目として、相手を変えるのではなく、こちら側が少し変わる必要があります。そうでないと、そもそも背後にある問題に気がつけず、新しい関係性を構築できないからです。 しかし、「こちら側」の何が変わる必要があるのでしょうか。
それはナラティヴです。「ナラティヴ(narrative)」とは物語、つまりその語りを生み出す「解釈の枠組み」のことです。物語といっても、いわゆる起承転結のストーリーとは少し違います。
ナラティヴは、私たちがビジネスをする上では、「専門性」や「職業倫理」、「組織文化」などに基づいた解釈が典型的かもしれません。
したがって、ナラティヴ・アプローチは、ナラティヴという言葉から連想されるように「どう相手に話をするか」ということよりも、むしろ、「どう相手を捉える私の物語を対話に向けていくか」 を主軸にしたものと言えます。
そして、これを一歩引いて見てみると、適応課題に直面してお手上げに思えたときも、実は自分の側から対話をしていくことによって、色々な道を切り開ける可能性があるということを意味していると言えるでしょう。
対話、適応課題、そして、ナラティヴ・アプローチは、このような関係で繋がっているのです。
「溝に橋を架ける」ための4つのプロセス
対話のプロセスは「溝に橋を架ける」という行為になぞらえることができます。
仮に組織の中の異なる部門の代表同士が対話すると考えると、それぞれの部門ごとのナラティヴが互いの足場のようなもので、両者の間には溝があります。このナラティヴの溝(適応課題)に橋(新しい関係性)を築く行為が、対話を実践していくことなのです。
ハイフェッツたちは、適応課題に挑んでいくために、「観察一解釈一介入」のプロセスを回すことが大切だ、と述べました。しかし、私は日本の組織文化の現状を踏まえ、もうひとつ、観察の前に「準備」の段階をつけ加え、ハイフェッツたちの考え方よりも、もう少し取り組みやすいものにする必要があると考え、その点を修正してあります。
この「構に橋を架ける」ためのプロセスを、大きく4つに分けることができます。
1、準備「溝に気づく」
相手と自分のナラティヴに溝(適応課題)があることに気づく
①自分から見える景色を疑う:技術的アプローチがうまくいかないことに気づく
②あたりを見回す:自分のナラティヴを一度脇に置いてみる
③溝があることに気づく:関係性が「適応課題」を生み出していることを認める
2.観察「溝の向こうを眺める」
相手の言動や状況を見聞きし、溝の位置や相手のナラティヴを探る
①相手との溝に向き合う:適応課題に取り組むことを決める
②対岸の相手の振る舞いをよく見る:相手の言動を観察する
③相手を取り巻く対岸の状況をよく見る:相手のナラティヴを観察する
3.解釈「溝を渡り橋を設計する」
溝を飛び越えて、橋が架けられそうな場所や架け方を探る
①溝を越え、対岸に渡る:相手のナラティヴをシミュレーションする
②対岸からこちらの岸をよく見る:相手のナラティヴに基づいて自分がどう見えるかを眺める
③橋を架ける、ポイントを探して設計する:「新しい関係性」を作る方法を構想する
→・観察でわかってきたことを眺めて、そこから相手のナラティヴを自分なりに構成してみる
・相手のナラティヴの中に立ってみて自分を眺めると、どう見えるかを知る
・ナラティヴの溝に架橋できるポイントを、協力者などのリソースを交えて考える
4.介入「溝に橋を架ける」
実際に行動することで、橋(新しい関係性)を築く
①橋を架ける:実際に行動を起こして新しい関係性を築く
②橋を往復して検証する:新しい関係性を通して、さらに観察をする
彼は対話的な実践の中で、新規事業部に別の役割を発見することができました。
それは既存の事業部とコミュニケーションを密にしながら、尖兵としてパイロット的に先に失敗をしたという情報を積極的に提供するインテリジェンス(情報機関)としての役割でした。これは確かに、既存の事業部からしても、新しい情報を得ながら、中期的に直面するリスクを避けるという意味で有用です。
また、なかなか既存事業部の中で手が回らない人材育成の役割や、他の事業部でやりにくい事業の実験を引き受けるなど、必ずしもすぐに成果が出ない中で、社内に新しいことをもたらす役割を徹底して果たしています。
つまり、新規事業として成功すれば財務的な成果であり、一方で、うまくいかないとしても、 それは会社にとってはいち早く事業展開に必要な情報を得る上で有用な情報源になります。ただし、大事なことは、必ず新しい取り組みを盛り込んでいることです。既存の延長線上ではなく、 技術なのか、パートナーなのか、生産方法なのか、何かしら必ず会社にとって新しいものを組み込むことによって、実験としての位置づけを明確にしています。そうした大胆な活動に取り組めるのも、新規事業部が会社にとって有用な役割を明快に示しながら、既存事業部と新しい関係性を作っているからです。
自身のナラティヴの偏りと向き合うこと
新しい事業機会に気がついて会社の中でそれを具体化しようと働きかけたり、事業に限らず、何か新しいことを提案したりしたときに、社内で却下されてしまうということは当然あります。
そのようなときに、ひとつ考えてほしいのは、却下してきた方を必要以上に悪く思わない方がいいということです。そして、会社の事業戦略との整合性という観点からもう一度自分の取り組みを理解すれば、うまく文脈が作れるかもしれないことも当然あります。
自分が新しくやろうとすることが、一体どういう形で会社の事業に貢献するのかをしっかりと考えた上で、上の立場の人に働きかけることは、根本的に大切な点です。
なぜならば、この点を抜きに取り組んでも、持続可能性がないからです。企業とは資本主義社会の中で、事業という方法を通じて社会に貢献をする存在です。事業という方法は、収益を上げることで、持続可能性が確保されるのです。これは非常に重要なポイントです。
無論、いつまでも会社に言われたことをやり続けろと言っているわけではないのです。それは限っでしょう。そうではなくて、少しずつでも変化を会社られた人生の時間の無駄遣いになってしまうでしょう。 にもたらすことができるよう、信頼を得るという準備を怠らないことが大切だと言っているのです。
逆に事業にしっかりと貢献する道筋が見えないものは、会社の金を使った遊びだと解釈されるリスクが高いです。事実、そうとしか見えない方も少なからずいます。それは早晩バレますし、誰からも相手にされなくなってしまいます。そうした場合、いずれ信頼を失い、何もできない立場に追いやられることでしょう。これは大変に不幸なことです。
むしろ重要なのは、そうした弱いつながりを機能させるための強いつながりをしっかりと作っていくことであると言えます。これは過去の閉じた企業内のつながりに戻ることではなく、新しいつながり、共同体を新たに構築していくことを意味します。
例えば、中途採用の多い企業の取り組みとしても、同じ階層の人同士でじっくりと時間を掛けて、お互いの課題を共有し、アドバイスし合うような取り組みを制度として設けているところもありますが、こうした取り組みは今後より重要になると言えます。
また、企業間の共同体の構築も大切ですが、そのための作法としては、何か新しいことに取り組むことに軸足を置くのではなく、自分の抱えている苦労を共有することに軸足を置くことであると言えます。日頃職場で語ることがなかなかできない苦労を語ることによって、孤立が解消されていくからです。そして、それについてお互いにアドバイスをし合えるような関係を構築できれば、ここもひとつの居場所として生かしていくことができるようになるでしょう。
陥りやすい罠
①気づくと迎合になっている
②相手への押しつけになっている
③相手と馴れ合いになる
④他の集団から孤立する
⑤結果が出ずに徒労感に支配される
憎むべきは彼ら自身ではない。彼らをそうせしめた状況、彼らが組織の中で置かれた状況や取り巻く関係性である。あの当時、銀行で働いていたならば、無理にでも融資を増やさなければならない状況にあったのは間違いないだろう。その中で、私の父や他の人々は人生を大きく狂わされた。だが、そうせざるをえなかったのは、彼ら一人ひとりの人間が邪悪だったからだろうか。そうではないのではないか。彼らが、自分がやっていることの意味を相手からは考えることのできない関係性の中にいたからではないか。
形を変えて、同じような過ち、同じような弱さから人間は逃れることはできないのではないか。
だとすれば、私は、自分の痛みばかりに目を向けていることは、公平ではないと思った。彼らも自分もまた、関係性を生きる人間である。人間は、関係性に埋め込まれ、身動きが取れなくなる弱い存在である。その弱さは私の中にも厳然として存在している。
その弱さが存在していることについて、私に痛みを与えたことへの責任という物語で圧殺して見て見ぬふりをしていても、どこかで残る違和感を私も認めなければならなかった。憎んでいた彼らと私は、地続きの存在であることを認めないことは、とても卑怯なことではないかと思った。
だから、私はそこに連帯を見出すべきであると思った。連帯とは、私がもしも相手であったならば、同じように思ったり、行ったりしたかもしれないことを認めることである。私の中に相手を見出すことである。私と彼らは地続きの存在なのだ。
だから、一方的にではあるが、彼らと和解することにした。和解とは、これで一切そのことを恨まない、これでおしまいというわけではない。彼らを赦し受け入れる道を歩む決意をしたのである。
私がなすべきは、彼らを恨むことではない。彼らを声高に糾弾することでもない。私たちは敵と味方の関係ではないのだ。私たちはともに、弱さを生きている存在なのだ。この愚かで、弱い人間という存在は、しかし、それゆえに、よりよい関係性を生きることができれば、素晴らしい存在にもなりうる弱さを持つ、希望に満ちた存在でもあるのだ。
私たち弱い人間が、それゆえに善き人間として生きられる関係性をいかに築いていけるのか、私は父にそのミッションを託されたのだと思っている。
Posted by ブクログ
相手の立場になって考えなさいという道徳の公式をナラティブ・アプローチという手法を通じて説得力を持って説明してくれる。後半はやや観念的になる感もあるが、それがゆえに組織で努力する労働者に刺さる”ナラティブ”になっており胸が熱くなる。
Posted by ブクログ
ナラティブの溝を乗り越えるための対話には痛みが伴う。
それは怖いことかもしれないが、今までもそうやって他者との関係性を構築してきたと思う。そして改めて振り返ってみると、長く深く付き合いがある人たちとはそのような機会を一度もしくは何度か経て今の関係性があるような気もする。
対話から逃げず、向き合い続けていきたい。そんな勇気を大切にしたい。
以下は個人的メモを元にしたまとめ
---
適応課題(≒ナラティブの溝)を乗り越えるためには新しい関係性の構築が必要であり、それが「対話」である。
お互いに「分かり合えないこと」を出発点として、ナラティブの溝を渡れるような橋をかける。
そのためには自分の弱さ・不完全さ、不都合な部分を明かす必要があり、痛みが伴う。
弱さをさらし、相手の隔たりを受け入れることがより良い関係性と変化を生み出すことができる。
- マルティン・ブーバーの「私とあなた」の関係(≠ 「私とそれ」の関係)
- オルテガの「私は、私と私の環境である。」
- パスカルの「人間が惨めであることを知るのは、偉大なことなのである。」
Posted by ブクログ
どの組織でも同じ課題を抱えている。
適応課題に対する対応方法が対話であると分かっていてもなかなか実行できない。
対話とは新しい関係性を構築すること
という言葉に捉え方が変わった。
組織人として学びの多い本でした。
Posted by ブクログ
対話ができれば強固な組織が作れる。その対話を行うには4つのプロセスを用いて慎重に相手との溝を埋めていく必要がある。木を見て森を見ず。何事も俯瞰して見極めることが肝要ですね。
Posted by ブクログ
埼玉大学の准教授である宇田川元一氏の著作。
ありていに言えば、共感やエンパシー(empathy)で乗り越える組織論、といったところ。
・・・
この著者の宇田川氏、エピローグとプロローグがすごい。
人に言いふらすようなことではないけれど、中小企業の父親が銀行に唆されて株取引に手を出し、借金をする。その父が亡くなり、家族総出で借金返済に死に物狂いになるという体験をしてらっしゃる。
死にたいのを踏みとどまり、普通に生きる。亡き父親を怨む。父を騙した銀行を恨む。このような体験を経て、どちらも許したわけではないけれど受け入れるという心境に達した彼の方法論は、ある意味で「悟りの境地」に近いように感じた。
そういう意味では、読後の高揚感は凄かったけれど、ふと醒めれば、「そこまでオレほんまにできるん?」と自分のやる気がやや疑わしくなるところはあります。
・・・
で、筆者の方法論といえば、自分の考えはおいておいて、なぜ訳の分からない上司・部下・ムカつくあいつは、かようにクソな考え方をするのか、と冷静に観察しようというもの。
そこから、相手の置かれた立場(例:上司にはまた上に上司がいる、会社と顧客との板挟みになった状況がある、その他もろもろの「事情」)が見えてくる、とします。
そこを見たうえで、適切な会話を継続的に続け、自分の意思を通していこう、というものです。ちなみに筆者はこうした一連の行為を「橋を架ける」作業と称します。
つまりこれ、平たく言えば、「相手の立場に立つ」ってこと。ある意味十分頭ではわかっていることです。ところが、こうして説かれてみると、如何に自分が常日頃こうしたことをできていないかに気づきます。
・・・
さて、こうした議論のなか、「弱者の正論」というコミュニケーション不全の一例があがっていました。
これは、職位が下の方からみて、上司だから・部長だから・社長だから、こうしてあたりまえ、こうあるべき、といちいちごもっともな正論を吐くやつ(はい、私です)。
こうしたくだりを読んでいて、ああ、会社が良くならないのは私自身が影響だったのか、と思い知るに至りました。
ま、自分が元凶ではないとしても、そうしたシニカルな態度や評論家みたいな外野の態度をとるのは決して褒められものではないと改めて反省しました(それでも言いたいことは沢山あるんだけど)。
・・・
ということで、宇田川氏の組織論の本でした。
全然言い尽くせていませんが、技術的問題では乗り越えられないもの、これを「適応問題」と称し、これらにつき、ある意味地道な会話・対話(つまり相互理解)をきっかけに乗り越えるべき、ということを述べる本でありました。
上司がアホに見えて半腐りしている若手、窓際に追いやられ情熱ではなくルサンチマンばかり燃やしているおじさん(私)にはうってつけの作品かと思います。
皆さん、一緒に自己省察しましょう。
Posted by ブクログ
適応課題にあたったときに物事を前にすすめるためのアプローチとして対話が提案されている。
大事だと思ったこと
①対話は相手と自分の分かり合えなさを自覚することからはじまる
②新しい関係を構築し直すのが対話である
③対話は橋をかけるプロセスになぞらえることができる。相手と自分の間の溝に気づく(準備)→相手の意見やその背景を眺める(観察)→どうすれば相手にとって意味があるものになるかを考える(解釈)→実際に行動に移す(介入) このプロセスを何度もまわしていくことが大切
Posted by ブクログ
共感しかない。
事実は一つでも、誰から見るかによって全然見え方が違ってくる。わかってるんだけど、難しい。でも、誰かと意見が対立してやりにくいなぁって思った時は、深呼吸して相手の岸から想像してみようと思うようになった。
ただ、ちょっと思う事は、相手も同じようにそう思ってくれていたらうまく行くと思うの、お互いに。でも、こちらは相手の岸に立って寄り添おうとしても、相手が自分自分だとやっぱりうまくいかないし辛くなるよね。
Posted by ブクログ
色々な属性・立場の方との会議が増える中で、「こちらの意図が伝わらない」 「相手の意見が理解できない」と感じる(あるいは感じていそう)という場面に直面することが増えてきたように思い、本書を読みました。
本書は、組織内で生じる「わかりあえなさ」や「やっかいな問題」に対処するための、対話を通じた実践的アプローチを紹介しています。
■ 本書の主な内容
1. 技術的問題と適応課題
ビジネスの現場で直面する課題には、大きく以下の2種類があります:
• 技術的問題(Technical Problem):既存の知識や手法で対応可能な問題
• 適応課題(Adaptive Challenge):既存のやり方では解決できず、価値観や関係性の再構築が求められる問題
適応課題は、「わかりあえなさ」を前提とした対話や関係性の変化を伴うため、単なるノウハウやスキルだけでは解決できません。本書は、このような課題にどう向き合うかを教えてくれます。
2. ナラティヴの溝を渡る4つのプロセス
ナラティヴとは、それぞれの立場や背景から生まれる「意味づけの枠組み」です。
この違いは、しばしば組織内での対立や誤解の原因になります。
本書では、その「ナラティヴの違い」に橋を架けるための4つのプロセスが紹介されています。
1. 準備:自分と相手の見方が異なることをまず受け入れる
2. 観察:相手の言動や状況をよく見て、背景にある価値観を想像する
3. 解釈:相手のナラティヴを咀嚼し、自分との共通点・違いを意識化する
4. 介入:新たな理解をもとに、橋を架けるような関わりを実践する
このプロセスを丁寧にたどることで、「わかりあえなさ」を前提にしながらも、共通の意味を紡ぎ出すことが可能になります。
3. ナラティヴと対話の重要性
このようなナラティヴの溝を乗り越える手段こそが、対話です。
対話とは、相手のナラティヴに触れ、それを理解し、新たな関係性を築いていくプロセスです。
ここで重要なのは、対話と迎合はまったく異なるということです。
• 迎合は、相手に合わせて自分の考えを引っ込めること。つまり、自分が気づいた課題や違和感を手放してしまうこと。
• 一方、対話は、たとえ違いが明らかであっても、そこに橋を架けようとする行為。自分の信念も保ちながら関係を築こうとする姿勢です。
なぜ、わかりあえなさを前にしても対話に挑むのか。
それは、私たちが抱える適応課題を超えていくためです。成し遂げられないかもしれない理想を持ち続けること、誇り高く生きることが求められます。
■ 業務への応用
本書の内容は、以下のように業務へ活かせそうです。
• 会議の前や冒頭、関係性構築のタイミングで、立場・背景の異なるメンバー間のナラティヴの違いを認識し、共有の土台を築く
• 「話がかみ合わない」と感じた瞬間に、対話に立ち戻り、相手の言葉の背景を探る
• 適応課題の解決をあきらめない。――少し気恥ずかしいですが――誇り高く生きる
Posted by ブクログ
対話をしている中で陥りやすい罠
①気づくと迎合になっている
②相手への押し付けになっている
③相手と馴れ合いになる
④他の集団から孤立する
⑤結果が出ずに徒労感に支配される
Posted by ブクログ
相手を負かすのではなく立場を理解して仲間にしようという話。これを4つのステップで紹介している。
特に新しい発見はなかった。普通に働いていれば自然と気づくのでは、と思う。
Posted by ブクログ
組織論を書いた本、ナラティブなど珍しい表現を用いているが、組織論的本としては珍しくない内容
よくわからない用語を使っているせいで抽象化されよく分からなくなっている感はある
読み解く力をつけるという点では面白い本であるかもしれない
Posted by ブクログ
組織論の話、つまり、経営論を説くビジネス書、
でも個人的な生き方、の話でもあるような、
『自分の小さな「箱」から脱出する方法』に近いような。
いろんな企業の実践も参照されていたり、
もともとナラティヴ・アプローチの発展した、医療・心理分野の事例もあり。
社会に出たとき、組織に所属した際の役割、肩書を介した人とのつながりのもどかしさ、欺瞞的な側面、それらとどうかかわっていくか、多くの人がモヤモヤしているもの。
人間であるよりも、社会人としての法則に従うことを求められて、
いろいろ空回りしているような状態で、みんながどうしようもなくなっている雰囲気もある。
その、分離、をあえて融合して話す、
試み、ではないか、と思ったり。
_現実は社会的に構成されている社会の中身は会話である、だから、わたしたちは何を語るのかによって、現実を本当に少しずつだけれ度、変えていくことができるかもしれない。その思いから、ナラティブ・アプロ―チを経営の実践の場において、展開できる方法を模索するようになりました。この本は、そうした中で、わたしなりに実践をしてみた一つの帰結であると言えるものです。74
マルティン・ブーバーの「私とそれ」の関係から、「私とあなた」の関係に、というのは分かりやすい説明だと、知った。
もっとフラットに、考えられたらいい、目の前の人間。
けどそうはいかない、
だからこそ、社会はこんなにも発展したのかもしれないけれど、
恩恵と同時に生まれた弊害にも真摯に取り組んで改善できる力もあるに違いない。
対話とは、「新しい関係性を構築すること」、という、わりと大胆な定義づけがなされ、
ロナルド・ハイフェッツさんという、リーダーシップ論の人(Adaptive Leadershipの人か)による2つの区別、技術的問題と適応課題が用いられる。
いろいろ言い方あるよね。
ハードとソフト、みたいな感じかな。
個人的には、ソフトは、政治的、と言ったりするけれど、
だいたいの問題は、技術的な解決策はあっても、
人間関係、プライド、政治、意志、なんかで実行されていないことだから、
それについて話すことは大事でありつつ、
本1冊ではなかなか解決できる課題ではないに違いない、
とか思いながらも、
ひとつ比喩を用いて、つまり、
「溝に橋を架ける」4ステップとして、
1. 準備ー溝に気づく
2. 観察ー溝の向こうを眺める
3. 解釈ー溝を渡り橋を設計する
4. 介入ー溝に橋を架ける
と、分かりやすいイメージを用いて紹介。
_橋が架かるというのは、相手にとっても自分にとっても、お互いが意味のある存在として、物事に取り組める状態になったことを意味します。 66
そんな、繰り返しのプロセスだという。
一方、少し触れらていたように、
組織を一つの機械的な装置として構築して考えていると、
「中枢」と「末端」があって、下は上に従う「それ」になる。
つまり、一人ひとりが主人公になること、「人が育つ」仕事場を実現することは難しい関係性を生むことになるんだと思う。
どのようなイメージを描いて、人と関わるか、チームで取り組むか、って、
本当に大事ですね。目に見えない分、何度も確認し合う必要がありそうだ。
落語、『藪入り』の例。横浜に行ったから、江ノ島に行くことになり、それでまた、鎌倉に行くことになり、、
_対話を実践することの一つ一つは、地道に歩を進める取り組みです。…一足飛びに目的地に行こうとしても、人は今いる状況で物事を考えてしまうのが自然でしょう。今いる状況で良しあしを考えるということは、絵会うものを限定しているということです。ひとつの橋が架かることは、単に少し先に進めるようになったというだけのことではないのです。自分が立っている状況を自ら変えたことで視野に入ってくるものが変化して、次の目指すべきところが見えてきたということです。
この、著者の「対話」への関心の原点には、著者が大学院生の時にガンで他界した父が残した莫大な借金への対処という修羅場の経験がある。
零細企業の経営者であり、バブル期の株式取引を経て抱えた多大な負債を残して亡くなった父。長男である著者は、父に、そして銀行員たちに対して、その理不尽さに怒りを感じずにはいられなかった。
_この愚かで、弱い人間という素内は、しかし、それゆえに、よろい良い関係性を生きることができれば、素晴らしい存在にもなりうる弱さを持つ、希望に満ちた存在でもあるのだ。私たち弱い人間が、それゆえに良き人間として生きられる関係性をいかに築いていけるのか、わたしな父にそのミッションを託されたのだと思っている。
Posted by ブクログ
・組織内で発生する問題には、解法がロジカルで明確な技術的課題と、複雑で非論理的、正しさだけでは解決できない「適応課題」がある
・適応課題を解決する上では、相手の視点に入り、共感し、新しい関係性を構築することが重要。この関係性をつくること=「対話」
・相手のナラティブを理解し、また相手のナラティブから見た自分のナラティブを想像し、解釈することで、橋を架けるアクションがとれる
・総論賛成、各論反対に注意。粘り強く、橋を架ける
・迎合、押し付け、馴れ合い、孤立、徒労感に気をつける。私と"それ"ではなく、私とあなた="わたしたち"で考え、共にゴールを目指す。
Posted by ブクログ
既存の技術で解決できる問題を技術的問題、一方的には解決できない問題を、適応課題という。
対話とは新しい関係を構築するもの。
私とそれ、の関係と、私とあなた、の関係は違う。道具的な応答を期待しているか、固有の応答や関係を期待しているかの違い。
スターバックスは、私とあなたの関係を重要視するために、バリスタの顔が見えるように、全店を一時的に閉鎖して研修をした。
個人とは、個人と個人の環境で作られている。
相手を別のナラティブの中でとらえる。相手の背後になる課題を読み取る。
インテルは、メモリー事業からCPU事業に変化できたのは、現場のミドルが新たな道をすでに模索していたから。
現場には現場のナラティブがある。
人が育つとは、仕事において主人公になること=部下が仕事のナラティブにおいて主人公になれるように助けるのが上司の役目。
経営者が部下と話すときは、権力が作用している。部下は「社長」と話をしている。
責任者特有のナラティブにハマっている罠がある。
対話の罠
気づくと、迎合になっている。対話が押し付けになっている。相手と馴れ合いになっている。
ナラティブアプローチ=対話的な実践
あなたの代わりに、ではなくあなたが考えたことに加えて、あなたに加えて、と言う。
Posted by ブクログ
相手のナラティブを考えることの大切がわかった。
今の自分だと、この本の内容を100%落とし込むことが出来なかったので、また時間をあけて再読したいと思った本だった。
Posted by ブクログ
経営学が専門の著者が、組織の中で起こる人間間、部署間の軋轢、認識のズレをどうやって解決していけばいいのか、という方法について、「対話」による「ナラティヴ・アプローチ」を用いた実践について解説、紹介する本。随所で具体的な例も載っており、会社の中でうまくやっていくためのヒントになる本。
正直、産業系とかビジネス系の本って全く自分は読まないので、別に会社の中だけの話ではないことは分かっていて(というか、それだからこそ)読んでいるんだけど、なかなか面白いと思えず、困った。けどずっと読んでいくと、やっぱり今のおれの仕事やおれの振る舞いに直結する部分があることが否が応でも分かってくるし、一番びっくりしたのは最後の最後、著者の個人的な経験のまとめとして、「私はそこに連帯を見出すべきであると思った。連帯とは、私がもしも空いてであったならば、同じように思ったり、行ったりしたかもしれないことを認めることである。私の中に相手を見出すことである。私と彼らは地続きの存在なのだ。」(p.185)という部分が、最近とても興味を持って読んだ鴻上さんの『演技と演出のレッスン』の中にある「演技は、他人になることではありません。演技は、自分の人生のありえた可能性を追求することです。」という言葉につながるものだと勝手に発見したことだった。こういう風にこの本を読まなかった自分が浅薄だったよな、と思った。ということは演じるということは、役との「連帯」が必要なわけで、そのためにこのナラティヴ・アプローチが使えるのでは、と思った。
と言って、意外な本とのつながりを発見した興奮はあるのだけど、まあ、要するに他人への想像とか共感とか、そういうことだよな、と言ってしまえばそれまでの話のような気もして、それをもっとノウハウ化したのがこの本、という感じ。例えば、最後の方の例で、セラピストとクライアントの両者で軋轢が生まれた時、セラピストの方がクライアントのナラティブを理解していなかった、ということが大きな原因なのだけど、そこでこの例のセラピストは、「『代わりに』というフレーズを取り除いて、『加えて』というフレーズに置き換えた。僕らは言った。『あなたがたが考えたことに加えて、僕らはこんなふうに考えていたんです!』『あなたがたがやってきたことに加えて、こうすることを考えられますか?』」(p.174)というのは、なるほどと思う。つい最近、自分も年末に保護者との若干の軋轢を作ってしまったので(もう和解したつもりだけど。やっぱその時自分余裕がないのがダメだった。プロとしての対応ができなくなって)、「加えて」を意識するだけでも、相手のナラティヴを観察する余裕が出来るかなと思った。「自分は安全なところにいて、相手にリスクをとらせるといういびつな関係」(p.55)とか、教員と保護者って、こういう関係になりがちじゃないかなと思う。あと部下を育てる、というのは教員の生徒指導にも通じるところがある気がするが、「人が育つというのは、その人が携わる仕事において主人公になること」(p.122)というのはヒントになると思う。「その人のナラティヴの中に、様々に学んだことが意味のあるものとして位置づけられるようになる必要があります。この相手なりのナラティヴの形成という側面を抜きに、『能力がない』と一方的に決めつけても、意味の感じられないことに頑張れないのは当然です。」(pp.122-3)という話(でも勉強って意味が後からついてくるっていうのもあると思うけど)。内閣府の調査では「『お金を得るために働く』と回答した人は51%であるのに対して、『社会の一員として、務めを果たすために働く』と答えた人の比率は14.7%しかおらず、さらには『自分の才能や能力を発揮するために働く』と答えた人は、わずか8.8%しかいませんでした。」(p.123)って、なんか不幸な社会だなと思う。で、「『部下の能力を向上させよう』というナラティヴを一度脇に置くことが大切」(p.124)、「実は主体性を発揮してほしいと思うことは、こちらのナラティヴの中で都合よく能動的に動いてほしいと要求していることがほとんど」(同)とか。ってことは今教育現場で行われている「主体性」の評価、って結局教員の仕掛けや働きかけがきちんとしてないと、生徒の主体性は評価できないよな、ってあらためて思う。
結局は理想論って感じがしなくもないし、結局人間は感情の生き物だから、この本では全く議論されていない「好き嫌い」、いわゆる「生理的に無理」な人に対して自分の強固なナラティヴを脇に置くことは難しいので…、とか思うとどうしても本全体がナイーヴな感じがしてしまうが、こういうことを普段考えない人、普段愚痴や怒りや非建設的な批判を言いがちな人には、薬になる本だと思う。(25/02/10)