あらすじ
最後に選ぶ一皿に、その人の生きた証が詰まっている――。淀川キリスト教病院ホスピス緩和ケア病棟では、週に一度、患者が希望する一皿が振る舞われる。家族みんなが大好きだった天ぷら、昔懐かしのハイカラ洋食……臨終の間際によみがえる美味しい記憶と、患者を支える家族、医師、スタッフの想いをていねいに紡いだ「リクエスト食」の物語。
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Posted by ブクログ
ライターの青山ゆみこさんが淀川キリスト教病院の協力のもと、
末期がんの患者さんから話を聞き取り、
支える家族、医師、スタッフの想いも、まとめたものです。
食べることで人は生きて、人生みたいなものが作られる。
どんな時に、どんな状態で、何を食べたのか、誰とどこで食べたのか。
それが最後のご馳走と聞かれた時に
フッと心に蘇ってくるのかもしれない。
私は、単純に一番目には普段から大好きなものが、頭には浮かび、
その後、子供の頃、母が作ってくれた「おやつ」を思い出しました。
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自分の最後のご馳走は何をのぞむか?
病院に3ヶ月入院した
辛かった
何よりも、選択できないことが
最後選べること、とても素晴らしい場所だとおもう
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上間陽子さんの「海をあげる」で、上間さんの幼いお嬢さんが夢中になっている本として登場し、気になったので読んだ。
村上春樹の「アンダーグラウンド」などでも思ったことだけど(本としての性質は全く違うが)、どんな人にも生活があって、好きな食べ物や通う場所、趣味があるんだなぁと改めて感じた。地下鉄でたまたま隣に座ったらおじいさんにも、もう末期のがんでホスピスにいるおばあさんにも幼い頃の幸福な記憶や思い出の食べ物があるんだなぁというような。こういう一般の方の様々な人生が詰まっているような本はとても好きだ。
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そのホスピスでは、週に1度リクエスト食が振舞われる。
患者が希望するその食事には、家族の思い出、食の愉しみが、
その人の人生の証が詰まっている。そして支える人たちの想いも。
プロローグ・・・患者さんへのリクエスト食の聞き取り。
リクエスト・・・その料理の写真と患者さんへのインタビュー。
リクエスト食を支える人たち1~4
・・・管理栄養士、看護師、調理師、医師の話。
淀川キリスト教病院のホスピス緩和ケア病棟では、
週に1度、患者さんが希望する食事を心を込めて料理する。
平均滞在日数が3週間、今日食べられても明日は食べられない
かもしれない、末期がんのホスピスの患者が、
食べられる状態のときに、可能な限り希望を叶えてあげたい。
そんな病院の職員たちの想いが溢れたリクエスト食の話です。
リクエスト食から思い出される食事の記憶。
辛い過去の記憶もあるけれど、多くは過去の、現在の、
楽しかった幸せな記憶を患者さんが語ります。
転院してここで食の楽しみを取り戻したと語る人。
今は三食昼寝付きの贅沢だと、嬉しそうに話す人。
きちんと食事を口からとることは、大事と語る人。
寿司やステーキ、すき焼きから、コロッケ、芋の煮物まで、
リクエストされる料理は様々。でも、どれも喜びの食事。
自分だったら最後の食事は何を選ぶだろうと、考えてしまう。
ただ、亡き父母が、リクエスト食を選べたら、
何を選んだろうと思った途端、切なくなりました。
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私は死ぬかもと言いう病になったら、ホスピスに入りたいと常々思っていますが、この淀川キリスト教病院のホスピスに入れたら良いなと思いました。私はあなたのことを大切に思っている、という気持ちで最後の日を過ごせたら何よりも幸せだから。こういう気持ちって欲しいけど、与えてもらうことが何よりも難しいから。
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人生の終わりが間近であることを認識してから、食事を通して過去を振り返り、自分はこんな人生を生きていたんだなぁと穏やかな気持ちになる。
それを支える知見と技能と、なにより深い慈愛を持ったプロフェッショナルなスタッフさんとの時間を持つことは、誰にでもできることではないし、努力して叶うことでもない。
だから、毎度は無理でも時々、食事をしながら些細な思い出を掘り起こしてみようと思った。
昔、聖書が日本に入ってきた時、神の「愛」を「御大切」という言葉で訳したということを思い出し、納得した。
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単行本の時から読みたいと思っていたが、あれからもう4年。文庫になった。
プロローグの玉井さんの聞き取りから、その聞き取りの会話の優しさみたいなものに、いきなり泣きそうになる。
そのあとは、皆さん「大阪の人」と言っていいのか、死を目前とした人と思えない明るさのインタビューで、こんな感じで最後を迎えられたらどんなにいいだろうと感じた。
平均滞在日数が3週間とは、なんと厳しいことだろう。週1回のリクエスト食も、2、3回しか食べられない。それでも心のこもった、自分のためだけに作られた、自分の食べたい食事が取れるなんて、なんてうらやましい。いや、うらやましいなんて簡単に言っては行けないけど、こういう最後を迎えられない方が圧倒的多数な中、終わり良ければ全て良し、とまた簡単に言っては行けないかもしれないけど、やはりそう思う。
これを読んだ人はみんな自分は何をリクエストするだろうと考えるのではないか。
死は、怖くて遠ざけたいものであるけれど、それが避けられないと分かった人が、何を食べようかと考える時、筆者も書かれていたが、前を向いておられる、最期まで前を向いて明るく楽しみに生きられるなんて、やっぱり素晴らしい。病院、スタッフそれぞれ尊いお仕事をされているなぁと感動する。そして、その方たちを取材され、死期を迎える患者さんの食にまつわるヒストリーと共に、こうして1冊の本にまとめられた青山さんも、読者の私たちだけでなく、登場されたみなさん、そのご家族にも喜ばれることになり、いいお仕事されたんだなぁと思う。
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残りの人生が幾ばくも無いとなったら何が食べたくなるでしょう。
この本はホスピスでのリクエスト食についてのお話です。実際にホスピスで取材したものを文章にしたものです。読みやすくて、考えさせられる本でした。
私は…と考えてみたのですが小さいころ日曜の朝に父ちゃんが納豆と卵とネギにお醤油垂らしてガーッと混ぜてくれたやつをご飯にぶっかけて食べたの、幸せの味だったとか、学生の頃、朝ごはんにってお母さんが握ってくれた塩の効いた海苔がたっぷり巻いてあるでっかいおにぎりが幸せの味だったなとか、なめこたっぷり入った熱々のおみそ汁が幸せだったな。とか思うんですが、これらは今の私が再現できる味になっているので、今でも再現してよく食べます。(朝ごはんメニューばかりですが)
これらは、”思い出して”食べたくなる味なんだろうな。と思います。
私の両親は私が幼いころラーメン屋を営んでいて昼ごはんはラーメン、お誕生日会のシメもラーメンという家でした。大きくなるとラーメン食べ歩きも散々しました。だからラーメンが食べたくなるかもしれません。父ちゃんがスープを作ってお母さんが茹でた麺のラーメンの味を覚えていないのが残念でなりません。余命いくばくもない時に「ラーメン食べたい」ってなった時にどんな味のラーメンを求めるのか…。”記憶はないけど”食べたい味です。
余命いくばくもなくなってこのホスピスに入れたら多分上記の料理を私はリクエスト食にするでしょう。明日世界が滅亡するならば、酒飲んだ上にシメで上記のどれかを食べてぐっすり寝るんじゃないかとも思います。
メニューとはちょっと違いますが食卓っていう意味で思い出すのは、料理が並んだ食卓に、一人一枚料理をとる皿と酒を飲むコップ一つと一人一枚の灰皿だった頃の父ちゃん、お母さん、姉、私全員が飲んだくれ&ヘビースモーカーだった頃の食卓が強烈に記憶に残っています。不健康極まりないですが。
Posted by ブクログ
先々月がんで亡くなった母は、十数年前まで淀川キリスト教病院でボランティアをしていました。そのときも同病院にホスピスはもちろんあったものの、こんなリクエスト食はなくて、母に「こんな本があるよ」と渡したら、当時を懐かしみながら読んだようです。
そりゃ美味しそうだよ、でもいったいいくらかかるのかと思いながら私も読んだら、高額の入院費を払った人が特別に受けられるサービスというわけではないとのこと。素晴らしいことです。
ただ、他の施設に移ったら食欲が失せて体調が悪化したというような話には、がんが進行しているのだから食事のせいとも言えないのではと思います。生きる意欲を持つために食事はもちろん大切、でも食事以外の面でも患者と共に前向きな気持ちになれるようにしたい。ってなことは私が言うまでもないことですよね。(^^;