あらすじ
小谷正一氏、堀貞一郎氏という2人のプロデューサーを軸に、日本のエンターテインメントビジネスの草創期から、東京ディズニーランド誕生までを追うノンフィクション。2人が魅せられた、ウォルト・ディズニーという巨人にもスポットを当てながら、究極のテーマパーク招致に奔走し、成し遂げるまでを描きます。
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Posted by ブクログ
東京ディズニーランド誘致物語である。堀貞一郎、小谷正一らを描いているのだが、調査・研究が精緻で面白い。当時は、豪快な人たちがたくさんおり、その人間関係でプロジェクトが成り立っていることがよくわかる。勉強になった。
「(バスの中の昼食で、コンパニオン2人が食前酒の注文を取り、一行に提供した)ディズニーの幹部が昼食やパーティの席で日頃どんな食前酒を飲んでいるかについて、事前に詳細なリポートを送っていたのだ。堀たちはそのリポートを分析し、各人の注文のパターンが多くても3通りくらいしかないことを掴んでおり、そのおかげで小さな冷蔵庫に全てを詰め込むことができた」p25
「(車中のステーキランチ)堀は事前に帝国ホテルの総料理長・村上信男にこう頼んでいた。「金に糸目はつけないから、アメリカ人がひとくち食べたら時を忘れるランチを作ってください」。相手も職人である。「アメリカ人がひとくち食べたら時を忘れるランチですか」。堀の突飛な依頼に、帝国の厨房がノッた。村上が、最上級の牛肉を手配し、それをバスの出発直前に丁寧に料理した。村上の焼いた、一度食べたら時を忘れるほど旨いステーキが、洒落たランチボックスに詰められ、バスに積まれていた」p25
「このプレゼンテーションの成果として、後に浦安に誕生した東京ディズニーランドが、やがて年間2500万人を集め、2500億円以上を稼ぐ世界屈指の巨大娯楽産業に成長することは、みなさんよくご承知のとおりである」p31
「日本電報通信社は1901年に創業された広告代理店で、吉田秀雄は、その会社の第4代社長である。そして、日本電報通信社は、堀が受験した3年後(1955年)に社名を変更し、株式会社電通となる。実のところ吉田秀雄は、堀が就職試験を受けていた時点では、テレビジョン放送に否定的であった。ラジオの民間放送の可能性を誰よりも先に見抜き、その旗振り役となった吉田秀雄をして、である」p34
「(読売グループ総帥 正力松太郎)正力にはひとつ決定的な弱点があった。ラジオ局を飛び越えて一気にテレビ放送を目指したため、局舎というものを持っていなかったのである。局舎や機材を一から揃えなければならない正力が準備に手間取っている間に、ラジオで実績のあったNHKが1953年2月1日、テレビジョンの本放送をスタート(開局時の受信契約は、わずか866台)させた。正力の日本テレビはそれに遅れること半年の、8月28日に開局。正力は頭ひとつの差で「日本最初のテレビジョン放送」の栄誉を、逃してしまった」p35
「(小谷の指示)「女性が買い物をするとき、ふたつのうちどちらにしようか迷う時が必ずある。迷って捨てた方を全部記録してこい」部下はこの命令を忠実に守り、夫人が何を買って、何を買わなかったかを、こと細かに小谷に報告した。その報告を受け、小谷は、マルソー夫妻が羽田を発つとき、夫人が迷って買わなかった方の商品をそっくりまとめて箱に入れ、プレゼントした。女性が最後まで迷ったというのは、その商品を気に入った証拠である。中には、あちらを買えばよかった、と後悔したものもあったろう。小谷はそれを全部買って贈ったのだ。夫人が大喜びしたことは言うまでもない。その様子を見ていたマルソーは、「コタニの招きなら、いつでも日本に来る」と言い残して日本を去る。小谷は、人の心をつかむ天才だった」p58
「(社長 吉田秀雄への名前入りゴルフボールの贈呈後)帰り際、小谷にもみやげ箱が渡された。開けてみると、『S.K. from Y&R』と、小谷正一のイニシャルが彫られたゴルフボールが1ダース入っている。小谷の顔を見てから慌てて用意したのでは到底間に合わない記念品である。が、吉田秀雄の名前は先方に知らせていても、随行の小谷の名前を知らせた覚えはない。魔法だった。人の心をつかむ技術は日本の専売特許と思っていた小谷は、その分野でもアメリカが先を行っていたことを思い知らされる」p99
「大阪万博は、最終的には、3月15日から9月13日までの183日間の会期で、6421万人の客を集めた。今日、東京ディズニーランドとディズニーシーに1年間に訪れる人数の3倍の客が、半年で詰めかけた勘定である。従って、万博会場は毎日ディズニーランドの6倍混雑していた」p130
「柏木の目に映った小谷は、運転手付きのボルボに乗り、常に身だしなみに気を遣った、ダンディな紳士だった。そんな紳士が、孫ほども年齢の離れた柏木に、いつも対等に話してくれた」p138
「(高橋政知)高橋は、浦安のふたつの漁業協同組合に所属する1800人の漁民を、たったひとりで飲み倒し、江戸英雄と川崎千春が2年はかかると読んでいた漁業権放棄の交渉を半年でまとめあげる」p145
「坪井東や、坪井の意をうけた丹沢章浩は、オリエンタルランド社長の高橋を無視して、再三にわたり、ディズニー本社にロイヤルティ引き上げを申し入れ、ディズニーとの関係を悪化させている。そのたびに、高橋はアメリカに飛び、関係修復に奔走しなければならなかった。高橋は後にこう回想している。「どんなにひどい妨害や邪魔が入ろうとも、たとえ相手が親会社の三井不動産であろうとも、この計画を壊そうとするものは容赦はしない、私は意地でも東京ディズニーランドを造ってやろうと決意した」」p184
「高橋は飛行機に乗る直前、成田空港で、坪井から渡された覚書を、それに目を通すこともなく部下に渡した。高橋は、親会社の坪井の命令を完全に無視して、オリエンタルランド社長の立場で、ディズニーとの基本契約を結ぶ」p186
Posted by ブクログ
読み応えがあって非常に面白かった。プロジェクトXのよう。ビジネス上でのおもてなしや、営業手法など、ビジネスマンにとって参考になるようなエピソードばかりで、興味深く読んだ。三井vs三菱では、そりゃあ三井に軍配があがるわ、と思ってしまった。
「ディズニーランド誘致プレゼン当日」から始まり、堀貞一郎さん・小谷正一さん・ウォルトディズニー3名の経歴、そして最後に誘致決定&開園までの秘話、、、という構成。誘致の話だけに興味がある場合は、最初と最後だけでも読む価値あると思う。
Posted by ブクログ
ディズニーランドは、もしかしたらあそこにできていたかも・・・
ビビる大木さんの紹介で何とも興味を引きました。
夢見ていた、は大げさですが、エンタメ業界で働きたいと思った当時が懐かしくなりました。ホイチョイプロ、好きだったなぁ。
昭和ならではのエピソード満載ですが、今だからこそ大切にしたい男の熱いプライドが知れてとても面白かったです。ビジネス書は得意ではありませんが、エンタメを影で支えた人のお話しは感銘しました。
「クリエイターが表に出たら終わりや」
娘と行くようになってから、夢の国って本当にあるんだと”やっと“気づきました。次行った時は、もしかしたらあそこにできていたかも知れないんだよ、って話してみよう。
Posted by ブクログ
ディズニーランド誘致の端緒。。
「史上最大のプレゼン」で本は始まる。
周到な準備、解りやすい論点、視覚的にも魅せる。。などなど。こんな事が水面下で繰り広げられていたんだ!と次頁をめくるのが、次第に早くなった。
ディズニーランドを、普段と違った側面から見れたような気がして、面白く興味深く読み進みました。