あらすじ
被災者の肉声を横軸に、現地の歴史的背景を横軸に紡ぎ、各メディアから高い評価を得た東日本大震災ルポルタージュの傑作を文庫化。あの未曾有の大災害の、一週間後に津波に襲われた被災地各所を、一ヶ月半後には福島第一原発周辺の立ち入り禁止区域内を緊急取材した筆者が見たものとは――。「あのとき、何が起きたのか。何が問題になっているのか。佐野さんにしか表せない、骨太な文章に心を打たれた」(解説・菅原文太)
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Posted by ブクログ
ノンフィクションの巨人が描く震災と原発事故で浮き彫りになった日本人の姿。そこには美もあれば醜もあって、読む人間を「真実」の世界に引き込んでいきます。
いまだ復興のめどが立たないまま、時間だけがただ流れている。そんな印象が否めないのは果たして僕だけでしょうか?この本はノンフィクションの巨人といわれる筆者が震災直後に実際に現地を歩いて丹念な取材の元に書かれたルポルタージュです。
震災に関する報道に関しては正直『真実』が報道されていないなぁ、という印象がものすごくあって、本当は実際に自分の目で確かめることが一番なのでしょうけれど、諸般の事情でどうすることもできず、というときに出会いました。
圧巻でした。自分が知りたいのはここに書かれてることだったのだとはたと膝を打ったことを覚えています。ここには『紋切り型』の報道ではなく、津波で行方不明となった新宿ゴールデン街の名物オカマと筆者との再開のエピソードや、津波にあいながらも九死に一生を得て筆者のインタビューに答える日本共産党元幹部の「津波博士」との邂逅。
津波で財産や船をなくして慟哭する『日本一』の猟師。彼らの言葉や息遣いが生々しいもので、以下に今回の震災および津波は彼らの心に残した爪あとが深いものだったかということを思い知ることができました。
そして、中盤の同じ筆者の手による『巨怪伝』で取り上げられていた正力松太郎と、天皇・原発のトライアングル。この話は執念深さとどろどろしたものが渦巻いていましたね。
そして後半部の福島原発の立っている土地は江戸時代には飢饉にあえぎ、戦時中には旧陸軍の飛行場として使われ、西武の堤康次郎に買収されて現在のようになった、ということが丹念な取材によって明らかにされており、まだまだ知らないことがこんなにもあったのかと、唖然とする思いでページをめくっておりました。
いま、震災の復興がどの程度まで進んでいるのか?原発事故はどこまで収束されているのか、まったくわからない状態でこの記事をしたためていますがこれからも、この問題には最低でも数年。場合によっては数十年のスパンで見ていかなくてはならないな、ということを再確認する次第になりました。
※追記
本書は2014年2月14日、講談社より『津波と原発 (講談社文庫 さ 96-2)』として文庫化されました。著者の佐野眞一氏はが26日、肺がんのため千葉県流山市内の病院で死去しました。 75歳でした。
Posted by ブクログ
メルトダウンに続いて読んだ、先の震災関連書。行動力と、参考文献数に驚嘆した。震災の内容もさることながら、原発事故以降の国内の様子について、主に政治的視点から記述している。未だ解決を見ない状況にいらいらしつつ、すでに忘れてしまったかのように自宅で普通に電気使いまくっていた自分にはきつかった。まさに我にかえった。
ついつい(というかいつも)考えずに時間を流してしまうが、それがそのまま国策レベルでやられるのがまずいのだろう。解決策を提示するのが書の役目ではないが、ついアイデアを期待して読んでしまった。筆者はおそらく数個はお持ちだと思うが・・
Posted by ブクログ
東日本大震災と福島原発事故から見えて来る日本の政治の本質に迫るルポルタージュ。
筆者はまえがきで、福島原発事故から三年近く経過した現在の政局から風化しつつある負の遺産と悲惨な記憶を憂いていると共に他のノンフィクション作品を批判している。このまえがきからすると、筆者が語りたいのは東日本大震災よりも、福島原発事故なのだろう。
あれだけ騒いでいた原発事故も三年近くになると選挙戦の材料に使われ、まだ事故は収束の兆しも無いのに東京オリンピック誘致に浮かれる日本は一体どうなっているのか。
第一部は東日本大震災の一週間後の被災地の取材記録。取材記録といっても、筆者が被災地の旧知を訪ねるという私的な色が強い。
第二部では福島第一原発周辺の立入禁止区域の取材から福島原発建設の歴史に迫る。日本で原発が受け入れられるまでの過程と東電がいかに易々と福島に原発を建設出来たのかを描いた辺りは興味深い。しかし、東電の体質を語る上で東電OL事件を引き合いに出す辺りには違和感を覚えた。
全般的に東日本大震災にも福島原発事故にも深い部分にまで斬り込んでおらず、取材記録のコラージュ的な作品という感じである。