あらすじ
人間は残酷なサルか、それとも協力するサルか――。「なぜ攻撃的なのに、人類は滅ばなかったのか?」、「なぜヒトの選択は合理的ではないのか?」、「なぜよい行動に褒美を与えると逆効果なのか?」、「なぜ赤ちゃんは「正義の味方」を好むのか?」、「なぜあくびは友人や親族ほど伝染するのか?」、「なぜ過密状態だと、周りに気を使うのか?」……。最新知見が明かす驚きの真実!
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Posted by ブクログ
人間のように同じ種で殺し合う動物は他にいない。しかし一方で、人間が殺人した記録として残っているのはたった40万年前。人類の歴史からすると最近。それまでは仲間を殺さずに生きていた。人間には共感し、他者を援助する性質がある。チンパンジーらも援助することはあるが、自分を犠牲にしてまで他者を助けるのは人間特有の性質だといえる。著者は、人間は本来善悪の両側面をもつが、進化と理性によって悪を抑制し善に価値を見出すよう発展し続けるとした。実験や学説の紹介も豊富で、希望がもてるような内容だった。ただ、紹介が多い分、著者の主張を主軸においているわけでは(おそらく)ないので、ところどころに数行登場する著者の説は結論のみに絞られており、やや飛躍している印象を受けた(自分がうまく理解できなかっただけかもしれないが)。
・他者の暴力の影響
実験によると、攻撃的な行為が正の結果を生むのを学習した人は攻撃的になる。逆に、攻撃的な行為を否定的に扱うシーンを見れば、攻撃的にはならない。関連して、家庭内暴力(怒鳴りも含む)があった子供は、大人になったときに暴力的になりやすい。これは暴力により他人をコントロールできることを学習したから。何か罰を与えないといけないときには、暴力や暴言で子供をコントロールするのではなく、子供が好んでいるものに制限をかける等、負の罰を与えるといいらしい。
暴力的なゲーム(シューティングゲーム等)の影響は正直よく分からない。個別の実験だと、脳が暴力的行為に慣れてしまい感受性が低下、さらに難しいゲームをすることでフラストレーションが溜まり、結果的に攻撃的になってしまう説もあるが、全体的な傾向としては暴力的ゲームが売れた直後は犯罪件数が低くなる。この矛盾がなぜ生まれるのかは分からない。結局、ゲームはいい面でも悪い面でも人間に影響を与える。ゲームに限らずだと思うけど。
仲間外れにより辛くなるのは、実際に脳の痛みに関する部分が反応しているから。予想以上に深刻。
スタンフォード監獄実験の概要は知っていたが、悪名高いということや詳細な状況は知らなかったので、新しい知識を得られて良かった。もともとは囚人の心理を知るための実験だったのに、予想に反して看守役のサディスティックな行為が目立ち実験中止になった。悪の汎用を想起した。著者が賛同する説によると、集団の代表として正義を執行した、という。著者はその解釈をもう少し進めて先述の仲間外れと関連付け、集団からの排斥を避けようとする心理が根本にあったのではないかと考察する。自分は、それもあると思うけど、人間には学者が言うような性質の種が多かれ少なかれちょっとはあるのかなと思った。画家ゴッホの、弱者を助けられるのは自分しかいないと思い込みすぎるという気質と、目的は真逆だけど根幹にある性質は似ているのかなぁと何となく思った。
・協力、他者援助
人間もチンパンジーも、他者と協力する。しかし、異なるのは自分に利益がない時でも他者を援助するということ。人間は赤ちゃんでも他人が困っているときに助けてあげる。しかも、ほうびを与えればむしろ他者援助の傾向が低下する。お金を自分のために使うか他人のために使うかという実験では、他人のために使った人のほうが幸福度が高くなった。また、ほかの動物と変わらず、人間においても、社会を維持するための 「互恵性」 は 重視される。そういった集団(他の人)の利益を高めて自分も高い利益を得ようとする傾向、そして同時にそうしなかった人(もっというとズルをする人)を排斥しようとする傾向の両側面が進化し、人間は超協力的性質を備える生き物となった。ながらく生物学の分野では人間は攻撃的で争いを好むとされていたが、近年それは誤りであると考えられている。人間には本来善悪の両側面があるが、上記が原動力となって、悪を抑制し善に価値を見出すということを学び、進化してきたのではないかと著者はいう。希望はもてるが、人類全体としてはそうであっても、必ずそこから漏れる人はこの先も現れると思う。そこをどうするか。