あらすじ
日本の120年を30年で駆け抜ける! 貪欲な受容と激しい思考。サルトル、ハイデガー、フッサール、ウェーバー、レヴィ=ストロース、フーコー、デリダ、ハーバーマス、丸山眞男、ハイエク、ロールズ、シュミット、シュトラウス……文化大革命の暗黒が晴れたそのときから、中国の猛烈な現代思想受容がはじまった! 日本のたどった道とよく似ているけれど、より切実で熱い思考にあふれたその現場と可能性を、自らも体感してきた中国人研究者が克明に描き出す。知られざる、そして知っておきたい中国がここにある。(講談社選書メチエ)
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Posted by ブクログ
ポスト文化大革命・改革開放後の中国を襲った「現代思想」の激流とは?サルトルからハイデガー、フッサール、ウェーバー、レヴィ=ストロース、フーコー、デリダ、ハーバーマス、丸山眞男、ハイエク、ロールズ、シュミット、シュトラウスまで、四半世紀という短い期間における、このような夥しい思想の流入に対し、中国知識人達は果たしてどう反応し、受容したのか?本著は、既に名実共に「経済大国」となった中国の背後に常に存在してきた、知識人達による思想的・知的営為の軌跡を探るための格好の手引きとなっている。
49年に中華人民共和国が成立して以降、50年代の「反右派闘争」、「大躍進」、そして60年代の「文化大革命」という世紀の政治動乱の年月は、中国思想史的文脈においては、教条的マルクス・レーニン主義によって完全に支配された「空白」の時代でもあった(といいつつも、なんと!この知識人にとって極めて「不遇」な時代においても、強靭な精神(と肉体)をもって陰に研鑽に励んでいたものも少なくなかったという)。
1978年の「改革開放」を機に、今一度中国社会の建て直しが官民一体となって推し進められることとなった。しかし、これは単なる経済的なレベルに止まるものでは決してなく、根底からの「思想的建て直し」でもあったのである。
また、中国でのポストモダン思想の慌しい受容過程についての叙述も、日本の学術界との対比においても考えさせられる部分が多い。
2001年にはデリダ、ハーバーマスが北京、や上海(デリダは香港でも)での講演もあったが、これは20年代のラッセル、デューイの訪中以来の中国思想史を画する大きな節目の年ともなった。これは、二人の講演、中国学者との座談会の記録についての記述も第10、第11章で扱われているが、これらの内容も非常に濃いものとなっており読み応えがある。中国は今や思想的文脈においても、世界と「同時代人」となったのだ。
ますます多様化が進む中国思想界・言論界においては、「公的イデオロギー」に代表され得るような一枚岩の在り方からは程遠い(あの『人民日報』にさえおいても、日によって主張に大きな「ブレ」が存在するのだ!)。低俗なメディア報道などの影響で、得てして単純化、カリカチュアライズされがちである「中国像」を改め、あるいは深めるためにも本著から得られる示唆は大きい。