【感想・ネタバレ】彰義隊遺聞のレビュー

あらすじ

150年前の5月15日、江戸の町は戦場と化した。西郷率いる新政府軍に彰義隊らが立ち向かった上野戦争。いまも銃痕や刀傷が建物に残る。戦争の様子はどのようであったのか。たった一日で制圧されたが故に「烏合の衆」と蔑まれてきた彰義隊の真の姿とは。当時を知る人々の貴重な証言と、膨大な資料をもとに検証する迫力のドキュメンタリー。教科書では学べない、生きた歴史の手触りが感じられる本。

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Posted by ブクログ

西の新撰組・東の彰義隊として、佐幕の忠義に殉じた武士たちの残光は、新撰組が多くの注目を集める一方で、彰義隊はわずか半日で壊滅した烏合の衆という評価になってしまっている。しかし旗本・御家人といった幕臣身分が中心の彰義隊は、人物としての魅力に溢れた隊士がたくさん存在しており、その足跡を辿ると数奇な運命を辿っていることに行き着く。

新一万円札の顔となった渋沢栄一は、欧州視察に行っていなければ彰義隊に参加していた可能性が高く、賊軍の汚名を着せられたならばここまでの栄達はなかったのではないか。実際に彰義隊のリーダーとして従兄の渋沢成一郎がおり、また義弟の渋沢平九郎はこの戦争で亡くなっている。それ以外にも優秀な人材が数多く参加しており、維新以降は名を変え身分を隠して近代日本の発展に尽くした人々も多数いたのだ。

彰義隊はなぜ上野の山に立て籠もったのか。当時そこを境内としていた寛永寺は徳川家の菩提寺であり、最後の将軍徳川慶喜が蟄居していた。寛永寺の歴代住職輪王寺宮には天皇の血を引く法親王が就くしきたりであり、尊皇の立場を守るためには絶対的に保守しなければならない場所だった。その後東北地方に逃れた輪王寺宮は、欧州列藩同盟の盟主に祀り上げられ、台湾出征時に没した。

彰義隊とは何だったのか。官軍に抵抗する烏合の衆な賊軍という一面的な評価では伺い知れない大きな魅力がある存在だし、上野の地を中心にその所縁も様々残っている。大政奉還~戊辰戦争~明治維新という大きな時代の流れに翻弄され、最後まで武士としての忠義に殉じようとした若者たちの光はかくも明るく儚い。

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2024年08月13日

Posted by ブクログ

彰義隊について、その関わった人やテーマごとにエッセイ風にまとめた一冊。彰義隊は幕末期に上野で戦いをしたという知識はあったものの、それ以上のことは全く知らなかったため読んでみた。
著者は丹念に取材をされているようで、いろいろな側面からこの上野戦争を見ることができた。
彰義隊について記された書物は多くはないようだが、これは彰義隊を知る上で欠かすことができない一冊となるのではないかと思うし、それに留まらず江戸末期の暮らしなどについても理解が深まるような気がする。
先ほども書いたが、著者の取材料金が素晴らしく、いろいろな方にお話しを伺いながらまとめている点は本当に感銘を受けた。
この本を手に彰義隊の関係するところを巡ってみるのも楽しそうだなと思った。

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2025年03月03日

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