あらすじ
※2019年1月23日まで配信していた『蔵の中・鬼火』と同じ内容となっております。重複購入にご注意ください。
澱んだほこりっぽい空気、窓から差し込む光、箪笥や長持ちの仄暗い陰。蔵の中でふと私は、古い遠眼鏡で窓から外の世界をのぞいてみた。それが恐ろしい事件に私を引き込むきっかけになろうとは……。
感情タグBEST3
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タイトル、表紙に惹かれて。
漢語も混ざっていて、読むカロリーが高め。でも、その言葉の選び方、表現の仕方で、纏わりつくような恐怖?が常に展開されていたように感じた。
そもそも短編集ってあまり好きじゃないけれど、これは全編凄く良かった。どの作品も短さを感じさせない濃厚さがあった。
不気味な、粘度の高い空気に包み込まれる。というより、呑み込まれている感覚に近い。
横溝正史さんの名前を元々存じ上げず。こんな作品を書くなんて誰!?と思うと納得の重鎮で恥ずかしい限り…。
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若い頃に読んだものを再読。記憶の中では耽美的な幻想小説のように思っていたが、しっかり探偵小説だった。人間の記憶て曖昧なものですね。探偵小説ではあるが、雰囲気は耽美的で幻想的なうっとりぞくぞくするもの。そしてこの文章の見事さよ。端然としていて柔らかく美しい。時に漢詩や僕でも知らない漢語が混じり、それでも意味は分かる(一応『広辞苑』で調べはした)というもの。現代作家では絶対に書けないような堂々たる達文。お見事。
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横溝正史の初期短編集で、1933(昭和8)年から1936(昭和11)年の作品が収められている。はっきりとミステリとも怪奇小説とも言えないが、それに近い作品群だ。
巻頭「鬼火」(1935)を読み始めて驚くのは、非常に文学的興趣のある文体で、語彙も素晴らしく豊かなことである。昭和10年前後の文芸作品として遜色のない文章だ。本書収録の全編にわたってハイレベルな文学性が見られ、ただ、物語が怪奇や殺人への興味の方に振れているために、芸術小説とは見なされなかったのであろう。こうした文体を駆使する能力があったのに、ずっと後年、1960年頃(『白と黒』)にはすっかり語彙は減り、ありふれた軽い文体へと次第に変容していったということが、衝撃的だ。この変化は時代の、日本の昭和の世相が、大衆文芸の文学としてのレベルが、いかに変遷してきたかを見事に体現していて、大衆向けなるものの痴愚化に、背筋が寒くなる思いだ。
長い「鬼火」は話の内容が私にはあまり興味を惹かれないもので、より情感のこもった文章で、意外な展開を遂げる「蔵の中」(1935)の方が面白かった。他に夢幻的な情動性に満ちて美しい「かいやぐら物語」(1936)、やはり前半の普通小説的な趣のある叙述から突然奇怪な話へと展開する「面影双紙」(1933)がとても良い。
私は初期横溝の怪奇小説を読みたいと思っていたので、その点では予想を裏切られたが、小説作品として悪くないし、良い小品もあった。江戸川乱歩より優れているのではないかと思う。
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初の横溝正史。ミステリではなく幻想小説を集めた短編集ですが、この方向性の作品もっと読んでみたいな〜。美しく官能的な情景描写がとても良かったです。「蔵の中」「かいやぐら物語」が好きでした。
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1930年代発表の、
金田一耕助登場前の妖美な短編を集めた作品集、
全6編。
古い版で既読だが、
訳あって改版を購入したので改めて。
■鬼火
1935年『新青年』分載。
湖畔を散策していた「私」は
廃屋となったアトリエを発見し、
そこにおぞましくも美しい描きかけの絵を見出す。
顔馴染みになった俳諧師・竹雨宗匠の庵を訪ねた
「私」は、問題の絵にまつわる愛憎劇を聞いた――。
宗匠の告白が切ない。
■蔵の中
1935年『新青年』掲載。
妻の死後、過去の交際相手と縒りを戻した
文芸誌編集長・磯貝三四郎が、
持ち込まれた原稿を読んでいると、
自分と愛人のやり取りを盗み見たかのような描写があり、
しかも……。
他人の行動を覗き見した上、
尾鰭を付けてフィクションとする書き手の悪趣味ぶり(笑)。
だが、それよりも当人のナルシシズム、
自らと自分によく似ていた姉しか愛せないという態度が
異様であり、同時に耽美的でもある。
■かいやぐら物語
1936年『新青年』掲載。
健康回復のため転地療養中の語り手「わたし」は
月夜の海辺で美しい女性に出会った――。
江戸川乱歩「蟲」を上品にしたかのような趣き。
■貝殻館綺譚
1936年『改造』掲載。
芸術と怪奇趣味を愛好する富豪・貝殻貝三郎の
海辺の屋敷に集う人々。
そこで諍いが起き、美絵は月代を殺害。
ひとまず遺体を隠したが、
望遠鏡で様子を見ていた人物に気づき……。
■蠟人
1936年『新青年』掲載。
諏訪の芸者・珊瑚と草競馬の騎手・今朝治は
互いに一目惚れし、
パトロンの山惣こと繭の仲買人・山田惣兵衛の目を盗んで
ささやかなデートを愉しんでいたが……。
タイトルはマネキンとしての蠟人形と
「人間ではなくなった者」の二つの意味を持つ。
若い二人が結ばれてハッピーエンドかと思いきや……無念。
■面影双紙
1933年『新青年』掲載。
語り手「私」が大学時代の友人R・O――竜吉――から
数年前に聞いた話という体裁の物語。
実直な婿養子の父は
若く美しく派手好きな母の遊びっぷりを
苦々しく思っていたはずだったが、
あるとき失踪してしまい……。
オチは残酷だが、なるほどといったところ。
前に手に取ったときの記憶はほとんど残っていず(笑)
新鮮な感動を味わった。
佳品揃いなので、折に触れて読み返すと思う。
Posted by ブクログ
雑誌編集長の磯貝氏のもとに届けられた原稿は、蔵の中で聾唖の姉と育った病気の少年の「蔵の中」という題名の話だった。聾唖だが絶世の美少女だった姉との思い出。姉の死後、大人になった少年は遠眼鏡で蔵の外を覗いていると…。かつては病人や外に出せない訳ありの子供を閉じ込めた蔵の中、中にいる人と外にいる人は違う世界に住みそれは交わることがない。そこから見えた情景は真実だったのか妄想だったのか。蔵の中の住人は常に弱者でありマイノリティなのである。
「鬼火」は万造と代助というお互い仇敵同士の従兄弟とお銀という女の物語。代助を陥れてお銀を奪った万造は列車事故で全身大火傷をして気味の悪いゴム製の仮面を被る。横溝正史のエログロが炸裂する。これらは推理小説ではない。言うなれば気味の悪さだけで読ませる話である。