あらすじ
一流のアルピニストでありながら山や自然に対するしなやかな感性を持ち続け、
ヒマラヤにもウラヤマにも等しい愛情をもって登り続けた谷口けい。
その生涯は2014年12月、大雪山でのアクシデントで幕を閉じることになってしまったが、
彼女の言動に強い影響を受けた登山者やクライマーは数多く存在する。
そのひとり、山岳ライターの大石明弘が、谷口けいの生涯を取材してまとめた渾身の評伝。
女性初のピオレドール受賞クライマー、谷口けいの心の旅は終わらない。
【谷口けい 略歴】
1972年 和歌山県生まれ
1998年 明治大学卒業
2001年 伊豆アドベンチャーレース総合1位
2004年 平出和也とゴールデンピーク登頂
2005年 平出とシブリンに北壁新ルートから登頂
2006年 野口健登山隊でマナスル登頂
2007年 野口隊でエベレストに登頂
2008年 平出とインド・カメット南東壁を初登攀。この記録でピオレドール賞を受賞
2011年6月 花谷泰広とカヒルトナピークス(アラスカ)縦走
2014年6月 和田淳二とアラスカ、カヒルトナ氷河で4本のルートを初登。この記録でピオレドール・アジアを受賞
2015年夏 和田とネパール東部のパンドラ登攀
2015年12月 北海道大雪山系・黒岳北壁を登攀後に滑落死
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Posted by ブクログ
谷口けいさんを知ったのは登山中のトイレはどうするのか調べていたときで、お花摘み(トイレ)に行ったきっかけでの滑落死されたというのと、どうやら登山の業績もすごい人らしいので興味を持った。
おそらくすごい山に登ったことも書かれているけど、その山々に登れたか撤退したかはあまり興味が持てなかった。死ぬかもしれない困難な山に登ろうとするのはどうしてなのかという彼女の動機が知りたかった。彼女の仲間の実力のあるプロの登山家の人たちもたくさん亡くなっていた。結局、死と隣り合わせで山に登る気持ちは全然理解できなかったけれど、谷口けいさんが登山も含めて冒険をすることで成長し続けていたこと、それを楽しんでいたこと、どう良い人生を生きるかを真剣に考えて実際に行動した人だったというのはよく分かった。