あらすじ
おかっぱ頭のやんちゃ娘ヘガティーと、絵が得意でやせっぽちの麦くん。クラスの人気者ではないけれど、悩みも寂しさもふたりで分けあうとなぜか笑顔に変わる、彼らは最強の友だちコンビだ。麦くんをくぎ付けにした、大きな目に水色まぶたのサンドイッチ売り場の女の人や、ヘガティーが偶然知ったもうひとりのきょうだい……。互いのあこがれを支えあい、大人への扉をさがす物語の幕が開く。
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Posted by ブクログ
2015年刊行。川上未映子さんのミクロで鋭くキラキラした言語感覚が余すところなく発揮された傑作だった。言語感覚よりも倫理的問題の方に主眼が向かっていた『夏物語』よりも、私はこちらを推す。
なにしろ語り手が小学生たちなので、「コトバ」との関わり自体が頼りなく、切実だ。「○○だ、でもよくわからないような気がする」というふうに、コトバを挙げてみてはやっぱり違うかも、と首をかしげる所作が繰り返されるなかで、それでいて子もたちの無垢な心の動きが浮き彫りにされていく。コトバとの関係性の微細な揺れがそのまま芸術的な美のおののきのようでもあって、これこそまさに純文学であり、芸術小説だと思った。
最後の方の胸が裂けそうな痛切が心に残る。
光り輝く名作小説である。
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娘とaudibleで聴いた。
ヘガティーとかあだ名が面白くて、どうやったら思いつくんだろう。天才的にネーミングが全て好きだった。
この作品を娘と一緒に話し合いながら聴けたことが嬉しい。
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自分が成長していくなかで失ったものを突きつけられます。とてもとても切なくなってしまった…
異性の友達ってすごくいいなぁと思いました。自分にはいなかったので、それが本当に羨ましい。
あと、麦くんがつけるあだ名がめっちゃおもろい。
素敵な小説でした。
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はーもうため息が出るラスト
しみじみと涙が浮かぶ
自分とは違う存在、環境へのあこがれ
戸惑ってみたり、手を伸ばしてみたり、思い描いてみたり
二人ともとても可愛いんだけど、ヘガティー目線で語られる2章での麦くんが本当にいい
みんな自分の子にはこうなってほしいと思わされるはず笑
Posted by ブクログ
高校の時の担任の先生が持ってて、教室に置いてあったんだけど、その当時の私は本が嫌いで読み終わることができず、、、でもずっとミスアイスサンドイッチのことを覚えていて、水色のアイシャドウで大きな目ってことまで覚えていて、ようやく5年ぶりくらいに読み終えることができました!言葉の綴り方というか、表現の仕方、語彙がパッと出てくるものではなくてというか、グングン読み進められた、理解できない比喩というか表現もあるけれど、自分なりにこういうことなのかな?と想像できるのも面白い、ミスアイスサンドイッチに私も会いたいし話してみたいし、というか、麦くんと同じ場所から眺めたいし、麦くんが描いた絵も見てみたい、ヘガティーと麦くんの関係性も素敵で、そして最後の手紙のシーンには大号泣しました、心が綺麗な2人がずっと仲良しでいれたらいいな、また読みたいです
Posted by ブクログ
麦くんとヘガティー、小学4年生の『ミス・アイスサンドイッチ』と、小学6年生の『苺ジャムから苺をひけば』の中編が2作。いいコンビだなぁ。
二人の姿から、忘れていたたくさんの感情を思い出した。どうして大人になると忘れてしまうんだろう。
あのころは、たしかに世界が変わる瞬間があった。そうしてじょじょに開かれていく世界に、おどろき戸惑い目をみはってきたはずなのに、気づけばこうして開ききった世界にいる。
「大人ってわからないんだよ、わたしたちが何を考えているかとか、何がいやで、どんな気持ちでいるかなんて」というヘガティーの言葉にぐさり。12歳のとき、私もそう思ってたよね。
きらきらとしたイノセントに満ちていて、何度でも読み返したい大好きな一冊です。
Posted by ブクログ
初・川上未映子さん。
この文体、好きかもしれない…。
黒髪おかっぱ頭のやんちゃ娘ヘガティーと、絵が得意でクラスメイトにあだ名をつける名人の麦くん。
ふたりは学校でそんなに目立つ存在ではないけれど、男の子と女の子の最強小学生コンビなのだ。
低学年の頃、麦くんが気になって仕方がない「ミス・アイスサンドイッチ」のことをちゃんと聞いてくれて、会いたいときには会いにいかなくちゃと背中を押してくれたヘガティー。
六年生になってクラスが離れても、悩みを打ち明けたり、一緒に笑ったり、互いを支え合うかけがえのない存在。
家の近所で起こった出来事や、家族のことや、学校の授業、友達との何気ない会話が小学生そのもので純粋で、思いやりに溢れていて、何だか泣けてくる。
川上未映子さんの感性が弾けてる。
思い返せば、小学校六年間のこの時って最高に輝いてる時間だったのかなと思う。
そして、大人になっても、お互い同じくらいの身長だったこの頃のことを、ずっとずっと覚えていてほしいと思う。
Posted by ブクログ
気持ちが昂る時、そのときを忘れたくない決して忘れないだろうと思った瞬間、風景が押し寄せてくる。
そしてそれを表現することばがすべて懐かしくて美しい。
江國香織の夏の匂いを読んだ時と同じ、子供のときの子供目線の不思議な世界を感じた。
Posted by ブクログ
一文の長さ。次々と思考が湧き上がる思春期の一人称を表現されているなと思った。
リズミカルで甘酸っぱい世界観。
「もっとちゃんと考えてから、もっとちゃんと答えればよかった」
あこがれとは未知へのとらわれ。
自分なりの美しさ(ミスサンドイッチ)へのあこがれ。
自分なりの正しさ(家族像)へのあこがれ。
Posted by ブクログ
読み終わった後、ものすごく長いため息がでて、呼吸まで疎かになるほど集中して読んでいたんだと思った。
圧倒的な筆力だと思う。
心理描写のリアリティがすごいんだろうか。
主人公は小学生なので、行動(行動原理)は子供なんだけど、思考のプロセスは大人とかわらない。そんな中で知識や経験が足りなくてうまく立ち回れなかったり、できる事に金銭的な制約があったり。
子供であることの不自由さを知っていたはずなのに、大人になるにつれてどうしてこんな気持ちを忘れていたのか不思議になる。
チグリスの話も読みたいなぁ。
Posted by ブクログ
『川上未映子の文体は、ジェットコースターだ。』
「文体」
それは読書という行為において、骨みたいなもので、
いや、五臓六腑みたいなもので、
つまり、目には見えないけど(気付きにくいということ)核みたいなものだ。
料理で例えるなら「塩味」といったところだろうか。
みなさんが本に求めることはたくさんあると思う。
気になるテーマ、新たな発見、新たな学び、感動、
大どんでん返し、苦悩、共感、、、
それらすべては、本の内容(中身、コンテンツ)に関わるものだ。
もちろん大事だ。実際に僕もほとんどの場合、それらを基準に読む本を選んでいる。
でも、それらをすべてひっくり返すようなものとして
「文体」は存在する。
文体は日本人にとっての「温泉」みたいなもので、
自分に合う文体に触れているとそれはもう心地よくて、
大げさではなく、まさに「文章に浸かっている」という感覚を味わう。
音楽でいうところの「リズム」だと思う。
本の内容は「歌詞」といったところだろう。
本当に聞いているだけで(読んでいるだけで)
すでに心地よくて、満足なのである。
確かに、あの村上春樹も言っていた
「文章で大切なのは、リズムです。」
つまり、ここで言っていたリズムとは文体のことだったのか。
やっぱり合点がいった。
『僕は、村上春樹の文体が好きで、
川上未映子の文体が好きなのだ。』
あとどのくらい、川上未映子のリズムに浸っていられるだろうか。
時間は限られている。
<本の内容紹介になってない『あこがれ』の感想>
最後の速度感。走っている。息もつかずに走っている。
疾走感とか、すがすがしいとか、
そんなんじゃなくて、目まぐるしい。
『わたくし率』でも、『乳と卵』でも、『ヘブン』でも
物語終盤の川上未映子は、ジェットコースターなのだ。
「これがこの人の文体なんだよ」、それを思い出した。
でもなんなんだ?いったい何がこう感じさせるんだ?
よく分からないけど、あまり簡単に使いたくはないけど
天才だと思う。
やっぱり、出会えてよかった。
<おすすめの人>
・「芥川賞作家で元シンガーソングライター」ってなにそれ気になる、って人
・「哲学科専攻」ってなにそれ気になる、って人
・この感想を最後まで読んでくれて、「騙されてなるものか」とか思わずに、素直に「そんなに言うんだったら」といって気になってくれた、心やさしいそこのあなた
<おまけ>
『会うための約束が必要になって、その約束をするための約束みたいなのも必要になって、どんどん会わなくなっていくんだよ。』
『だから会いたいときに、会いたい人がいてさ、会えるんだったら、ぜったい会っておいたほうがいいと思うんだよね。』(引用、85頁)
みなさんも会いたい人、読みたい本があったら
ぜったいに読んでおいたほうがいい、かもです。
Posted by ブクログ
『六年間』という期間を区切った場合に、あなたはどの時代のことを思うでしょうか?
私たちの人生は一日一日の積み重ねが一週間、一ヶ月、そして一年という一つのまとまりとして積み重なっていきます。昨日と今日、そして明日と考える中にそこに大きな切れ目というものは本来的にはないはずです。しかし、実際には入学・卒業、就職・退職といった事象によって日々は区切られていきます。
そのような区切りを意識した中に、『六年間』といった期間を思い浮かべると、そこには、多くの人が小学校時代を思い浮かべるのではないでしょうか?ランドセルを背負っての登校、黒板を向いて友達と受ける授業、そして悪巧み?な放課後…とこのレビューを読んでくださっているあなたの記憶にもハッキリと残るあの時代の風景があると思います。それは、今から振り返れば”大人への扉をさがす”時代だったのかもしれません。
さてここに、小学生という時代を生きる男の子と女の子が主人公となる物語があります。二つの章それぞれにそんな二人が主人公を務めるこの作品。小学生視点で全てがやさしくやわらかく描かれていくこの作品。そしてそれは、”おかっぱ頭のやんちゃ娘 ヘガティーと、絵が得意でやせっぽちの麦くん”という二人の小学生の内面に溢れる感情を垣間見る物語です。
『そこで売ってるいちばん安いサンドイッチは卵のやつで、ぼくはふたつ入ってるけどすごく薄っぺらいそれを、毎日か、それか二日に一度は買いにくる』というのは主人公の麦。『ぼくはサンドイッチがすきだというわけじゃぜんぜんない』ものの駅前にあるスーパーで『お客さんにサンドイッチとかサラダとか、パンとかハムとかそういうのを売っている』『ミス・アイスサンドイッチ』の売り場でサンドイッチを買います。『いつも驚いたのとつまらないのをまぜたみたいな顔をして立ってい』る女性を『みた瞬間にぱっと』『ミス・アイスサンドイッチ』と名付けた麦。『まぶたはいつもおんなじ水色がべったりと塗られていて、それは去年の夏からずっと家の冷蔵庫に入っていて誰も食べなかったかちかちのアイスキャンディーの色にそっくりで、それで毎日あそこでサンドイッチを売ってるから』ということでつけたその理由。そんな『ミス・アイスサンドイッチ』をはじめて『みつけた日はママと一緒だった』ものの、『ママ、あの人の目をみてよ!と驚いたぼくの声にママは聞こえないふりをし』ます。『瓦のついた木造の、どこにでもあるふつうの茶色の古い家』にママと『四歳のときに死んでしまったお父さんのお母さん』であるおばあちゃんと三人で暮らす麦。そんな麦は『ミス・アイスサンドイッチはすごく無愛想だ』と思うも『ぼくの順番なんてずうっとこなければいいのにと思いながらぼくはまばたきだってほとんどしないで、ただひたすらにミス・アイスサンドイッチをみ』ます。そして、『ぼくはミス・アイスサンドイッチの目でいっぱいになってしま』う『夏休みを過ごし』ました。やがて二学期になったある日、集団下校の中、他の学年を見回し『四年だけがずいぶんまとも』と思いながら歩いていると、『いきなり後頭部を叩かれ』ます。『ネバモ!』と叫ぶのは『おなじクラスのヘガティー』でした。『カラスをみつけたらなぜか近くにいる人の頭を思いきり叩いても許される』ことが流行りだし、『必ずネバモ!って叫ぶのが条件で、さきにそれを叫んだ人に叩く権利がある』という中にやられた麦。『クラス替えをして早々の昼休みに、ばれないと思ったのか教室でおならをした』、それが『紅茶のにおいがする』ことから麦が『ヘガティー、とぱっと思いついた名前を』口にしました。それが一気に広がり、当初、『露骨に恨んでい』たヘガティーでしたが、やがて『おならの意味がとれ』、『純粋なヘガティーの名前に』なります。そして、父親と二人暮らしのヘガティーの家に映画を見に行くようになった麦。一方で、『いつもおばあちゃんが寝ている部屋で宿題をしたり本を読んだりして過ご』す麦は、『おばあちゃんにだけミス・アイスサンドイッチの話を』します。『こたつに入って、ミス・アイスサンドイッチの絵を描いたりもする』という麦は、『最初に輪郭を描いて、それから前髪を描く。つぎは頭をまるく囲って、つぎになんとなく鼻。そして口。最後に大きな目をふたつ描いてからまぶたを水色で塗ると急にそれっぽくなって、ぼくは思わず感心して、ふうん、と声を出したり』します。そんなある日、いつものようにスーパーに行くと、男が『ミス・アイスサンドイッチにむかって怒鳴ってい』る光景を目にします。そんな麦の小学生の日常が描かれていきます。
“元気娘のヘガティーとやせっぽちの麦くん。寂しさを笑顔で支えあう小学生コンビが、大人の入口で奇跡をよぶ”と内容紹介にうたわれるこの作品。「新潮」の2013年11月号と2015年9月号にそれぞれ掲載された短編を一冊にまとめた作品であり、渡辺淳一文学賞を受賞してもいます。
如何にも小学生な男の子と女の子が並んでいる、そんな二人を優しい筆致で描いた表紙がとても印象的なこの作品ですが、文体の印象も表紙の印象そのままです。そうです。この作品は思春期の入り口に差し掛かった男の子と女の子のふわっとした内面感情を丁寧に描いていきます。では、まずは男の子・麦視点で描かれる一編目の〈第一章 ミス・アイスサンドイッチ〉を見てみましょう。この短編では、麦自身が名付けたスーパーのサンドイッチ売り場に立つ店員『ミス・アイスサンドイッチ』を意識する麦の姿が描かれていきます。『まぶたはいつもおんなじ水色がべったりと塗られていて…』という外見からそんな風に名付けた麦ですが、お姉さんにあたる女性のことを意識する様がいじらしく浮かび上がります。そして、列の順番に並ぶ麦の思いがこんな風に綴られます。
『ぼくの順番なんてずうっとこなければいいのにと思いながらぼくはまばたきだってほとんどしないで、ただひたすらにミス・アイスサンドイッチをみている』。
順番がやってきて『お金を受けとったりお釣りを返したりするときにまぶたがめくれて大きくなるあの目がやってくる』という瞬間にはこんな感情も顔を出します。
『あごのすぐ下と鎖骨のあいだのくぼんだあたりがぎゅっとしめつけられたような感じになる』。
そんな感情を『猫を抱っこするときにさわるお腹の、やわらかいたよりなさ』、『足の甲でこすってみる毛布』、『ホットケーキの茶色にとけてゆくときに透明になるバターの色』とさまざまな比喩で喩えていく麦は、
『ミス・アイスサンドイッチからサンドイッチを受けとってしまうと、匂いが急に冷たくなる』。
そんな風にも感じます。なんとももどかしい麦の思いに、それがね、恋って言うんだよ!と教えてあげたい思いが募る中に物語は展開していきます。一方でそんな『ミス・アイスサンドイッチ』のことを共有するおばあちゃんへの想いも見え隠れします。介護サービスを受け部屋から寝たきりのおばあちゃん。
『おばあちゃんは、たぶんきっと、そう遠くないうちに死んでしまって、そして、いなくなってしまうだろう』。
そんな現実を見据えてもしまう麦。
『眠っているおばあちゃんと、これから死んでいってしまうおばあちゃん。このふたつは、おなじおばあちゃんなんだろうか』。
この視点は秀逸だと思います。小学校四年生の男の子の視点、まだ自分が何者かも当然意識することのない中に、また、『ミス・アイスサンドイッチ』のことが気になるというその感情の正体に気づけないもどかしさが描かれていく物語。そんな物語は予想以上に呆気なく終わりを告げます。「新潮」2013年11月号でこの短編だけ読んだ当時の読者はなんとももどかしい思いに包まれたであろうことが感じられます。
そして、呆気なく終わった〈第一章〉に続くのが女の子・ヘガティー視点の〈第二章 苺ジャムから苺をひけば〉です。元々、『クラス替えをして早々の昼休みに、ばれないと思ったのか教室でおならをした』、それが『紅茶のにおいがする』というところから麦が名付けたヘガティーという失礼極まりない名前の女の子視点で描かれるこの短編。初出である「新潮」2015年9月号では前作から二年近くが経っています。その間に川上未映子さんにどういう思いの変化があったのかは分かりませんが物語は同じ小学生視点にも関わらず随分と読ませる物語に変容しています。麦視点の〈第一章〉はもしかすると人によっては途中でギブアップされる方がいるかもしれないほどにフワフワした掴みどころのない雰囲気感に包まれていました。それが、〈第二章〉に入って一気に読ませる物語へと変容します。この構成は内容こそ異なるとはいえ、同じく少年と少女視点の二部構成を取る加納朋子さん「いつかの岸辺に跳ねていく」を思い起こさせます。
そんなこの作品の〈第二章〉に描かれていくのが、父親のパソコンに残されていた次の一文にヘガティーが触れた先に展開する物語です。
『二〇〇三年四月、女児誕生。妻とはのちに死別。なお、前妻とのあいだにも一女をもうけている』。
ヘガティーは三歳の時に母親と死別した先に父親と二人暮らしの今を生きてきました。そんなヘガティーが知った衝撃的な真実。
『お父さんは、わたしが生まれるまえにもお母さんではない女の人と結婚していて、その女の人とのあいだにも子どもがいる』。
『ということは、母親のちがうお姉ちゃんがわたしにいるということだ』。
小学六年生という思春期の芽生えの時期に与えられた情報としては衝撃すぎるその内容はヘガティーの心を大きく揺れ動かしていきます。小学生時代というものは、自分が何者かを意識し出す時代でもあると思います。自分は本当に父親と母親の子供なんだろうか?私も小学生当時そんな思いに苛まれたことがありました。この〈第二章〉の主人公・ヘガティーが受けた『お姉ちゃんがわたしにいる』という衝撃は相当なものだと思います。一人っ子としての人生が突き崩されるかもしれないその事実。物語は、さまざまな思いに駆られていくヘガティーの揺れ動く心の内を鮮やかに描き出していきます。〈第一章〉、〈第二章〉と続けて読んだ身には、物語が別物に変化したかに感じる極めてシリアスなその展開。これから読まれる方には、読むのを途中で投げ出したくなる〈第一章〉の先に、必ずや読み切って良かったと思う〈第二章〉が待っている、そのことを念頭に読み切っていただければと思います。思春期の萌芽を見る懐かしい感情、誰もが通ってきた繊細な思いに満ち溢れた時代を垣間見せてくれる物語がここには描かれていました。
『どんなに世界が広くても、どんなにたくさんの人がいても、今、わたしがいるここは、ここにしかなくて、そしてそれが、ありとあらゆるところで、同時に起きているのだ』。
思春期の萌芽を見る小学生のヘガティーと麦がそれぞれの章で主人公となるこの作品。そこには、” 互いのあこがれを支えあい、大人への扉をさがす”二人の小学生の日常が描かれていました。小学生視点で優しく描かれていく物語に次第に入り込んでしまうのを感じるこの作品。”寂しさを笑顔で支えあう小学生コンビ”の友情を熱く感じるこの作品。
どこまでも柔らかく、やさしく紡がれていく物語。そう、じっくりゆっくり味わいたい、そんな物語でした。
Posted by ブクログ
「あこがれ」が小さな冒険につながっていくふたつのお話。第一章は小学四年生の麦くんのお話で、第二章は六年生になった麦くんの親友の女の子、ヘガティーが主人公のお話です。
このさき、ネタバレありです。というより、今回はネタバレばかりです。読んだことのない方には「てんでなんのことやら」かもしれませんが、あしからず。
海外文学ぽい感じを試したのかなあと最初は思った第一章。ストーリーからの感想などの、本来メインともいうべき感想からは離れたようなことを言うことになります。
主人公・麦彦のおばあちゃんの人となりが感じられるところがよかったです。人間の老化は避けられません。でも、まだ十分に動けていた過去というものは消えることはなく、たとえば主人公の少年の記憶の中には、おばあちゃんがしっかり歩いていたり話していたりしたときの様子が残っている。老いて介護が必要になったおばあちゃんが今のおばあちゃんなのだから、そのおばあちゃんという人間は老いて動けなくなった人だというふうに理解され、接せられようになっている。でも、そこばかり見ていると、なんら無味乾燥な見方しかしていなくて、実はなにもわかっていないと言えるものだったりもする。その人が生きてきた経過、内容、過程。音楽だって、最後の10秒だけ聞いてもわからないのといっしょで、人間だって、たとえば最後の1年だけ見ていてもその人という存在はわからないのだと思う。本書でおばあちゃんについて書かれているところは短いです。それなのに、しっかり「人」を理解するためにとらえておくポイントがわかって書かれているから、おばあちゃんが出てくると、なんだか胸が温かくなるのだと思う。
これは、主人公があこがれる若い女性・ミス・アイスサンドイッチが最後に主人公と喋るところもそう。そこでミス・アイスサンドイッチにやっと平熱とでもいえる温度が宿って、それまでの距離感からくる「他人的な理解」から、しっかりその人の人生を肯定した「隣人的な理解」へと印象が変わり、そのうえで人物が描かれているように感じられた。ミス・アイスサンドイッチにもまぎれもなく血が通っていて、考えて感じてその都度選択をして生きていて、自分の人生を歩いているさまがある。おばあちゃんと同じようにミス・アイスサンドイッチも、短い会話シーンだけでもう立体的かつ愛すべき人間として描かれていて、それは作者の優れた筆力のほかに人間観から大きくきているだろうことなので、そういった豊かさのこもっているところがいいなあ、と僕は思いました。
海外文学的な乾いた文体で表面的に文章が流れていく感覚が強めのスタイルに挑戦しての本作なのではと思えたのだけれど、おばあちゃんとミス・アイスサンドイッチ、この二人に人間の良心が反応するものが息づいていて、それは本作では子ども視点で書かれているものゆえに、ちらりといった程度でのそういった人間性の登場になったのでしょうが(なぜかというと、大人が大人になっていく過程や大人として生きていくなかで培われるものだろうからです)、作者の才能の本流はその、ちらりのほうだよな、と僕には感じられました。
第二章。
四年生から六年生になり、そして男子から女子へ主人公も変わって、言葉で世界をとらえる解像度が上がっているし、考えることの深みも増しています。ひょんなところから、主人公・ヘガティーに異母姉がいることがわかり、ヘガティーの心理が変わっていく。お父さんに対する心理についてはもうそうですが、そのお姉さんの姿を一目ながめてみたい、と思うようになる。そして、会うことが出来て、姉の家に招かれたところの様子からがとくに引きこまれました。姉は、自分の実父のことなんかどうでもよいと考えているし、妹がいることにも何とも思わないと率直に述べるのですが、この姉とその母に対するヘガティーとの距離感、場違いな感じにはたまらないものがあります。他人同士の気づかいよりも近く、そして肉親の距離感にしては嫌悪感みたいなものがある息苦しい空気が醸し出されます。こういう居づらい感じってときにあるよなあ、と僕も思い出しながら読んでいました。そして、この家を出てからが圧巻のスピーディーな流れに巻き込まれることになります。剥き出しの自分のままぶつかっていくように生きているところの描写、といえばいいでしょうか。著者はそういった生々しく激しいところを活写する力が相当ある方だと思います。そして、そういった力で畳みかけられて、圧倒されるようになって、書かれている言葉を、がぶがぶあっぷあっぷと飲み干すような読書体験になるのでした。この最後の数十ページで、『あこがれ』という作品の高みがぐっと持ち上がった感じがします。
というような、「作品紹介」ではなく、「個人的雑感」といったレビューになりました。執筆終わりでへろへろになっているときはこんなものでしょう……。とはいっても、今回三作品目となった川上未映子さん。もうこの方は、作家としての力はすごいものだ、手に取るときに躊躇することはないぞ、という思いが確たるものとなりました。相性もあるのでしょうが、そういった作品に出合えたこと、この世界に存在することを知り得たことは、自分にとってものすごく幸せなことなんじゃないだろうか、というような、ちょっと噛みしめるような喜びがあるのでした。
Posted by ブクログ
ヘヴンと対になるような小説だと思う。
世界は複雑だし残酷だしよくわからないことだらけ。
でもいま確かに「生きている」ということは誰にも奪えない、圧倒的な事実。
世界の複雑さを複雑さのまま、残酷さを残酷さのまま肯定した傑作。
Posted by ブクログ
川上さんの小説、とても好きだな、と思った。
人生のかけがえのない一瞬を美しく切り取っている。
ヘガティーと麦彦の恋愛には至らない、思春期一歩まえの親愛の関係。
おんなとおとこになることより大切なことがあるふたり。
まぶしくて羨ましい。
Posted by ブクログ
麦くんとヘガティー、個性的な親や友達に囲まれて、学校でも家庭でも腑に落ちなくてモヤモヤな出来事が多々ありつつその不合理に子供なりに折り合いをつけて。そんな言葉に上手くできない気持そのままの語り口で綴られていてとても初々しい。
第二章の方が小説的にはドラマティックだけれど、第一章のカルトに入れ込むシングルマザーと寝たきり祖母と暮らす、気が弱いけれどおっとり優しい麦くんの風変わりな初恋物語が可笑しくて可愛くて好き。
Posted by ブクログ
読めば読むほど惹きつけられる本〜
麦くんとヘガティー、小学生の目線で、考えてることが次々と適切に表現されて、その表現力に脱帽といったかんじ。
小学生ならではの視点もあり、
純粋で、無知で、名前のついてない感情。
これがあこがれなのかなぁ、あこがれ。。
初恋って気づいて顔が思い出せなくなっちゃうとか、
好きな人に会いたい人にいつでも会えなくなる怖さとか、
付き合ってることにしててとか。
会えるのは毎日会い続けてるからだって。
会いたい人には会えるうちに会っておかなきゃいけない。
血のつながりとか、死別とか、
いろいろ。いろいろ。あこがれって、もう私の年齢になると感じにくい感情だなぁっておもう、
昔はこういう感情を持ててたのかな〜
Posted by ブクログ
皆さんのレビューが良かったこともあるが、表紙の絵に惹かれて購入。
右の男の子が麦くんで、左の女の子がヘガティー。
二人が4年生と時の短いお話と、6年生になってからの少し長いお話。
この作者、初めて読んだけど、台詞がパン、パン、パン、パン、パン、パンと繋がって行く文章のリズムは結構好き。
サンドイッチ売り場の人に対する麦くんの、不思議な気持ち。それがどんな気持ちなのか自分でも分からない不思議な気持ちってあるよね。
ミス・アイスサンドイッチと初めて話が出来た後、色んなものを眺めながら、ぼろぼろにはがれた白い線の上を歩いて行く描写が切ないな。
ヘガティーが偶然知った父の秘密。見知らぬ姉の存在は、これもまた自分が思わぬ方向へあっちへこっちへ心を揺らす。
これだけでなく、良く分からないけどそんな気持ちになってしなうようなことが、大人になるに連れだんだん増えてきて、そこを通り過ぎることで、ちょっとずつ大人になっていく。
見知らぬ姉を訪ねて行ったひとつのイベントを越え、父や母への思いを新たにしたヘガティーが、自分とともにある世界のあらゆる人やモノの在り様に気がつき直す姿に心洗われる。
Posted by ブクログ
洋画を読んでいるような感覚。群れない2人がかっこよかった。思春期真っ最中ながらも悶々とするのではなく行動に移していってるのが立派すぎる。
Posted by ブクログ
周りに見える景色を羅列していくことで、沈黙を表現できる。
どうでもよい具体的な考え、会話を書く。目が大きい人は視界の黒枠も広がるのだろうか。とか
川上さんの文章はやっぱり好き。ヘヴンより百倍明るいが女子リーダーとか麦くんの母の謎の仕事とか、少し影もある。
アルパチーノ(^^)/~~
第一章
ミスアイスサンドイッチ 小4 麦くん
ぼくはスーパーのサンドイッチ屋のミスアイスサンドイッチが気になり、彼女の絵をたくさん描く。クラスの女子がミスの顔を整形だと笑っていてざらり。友達のヘガティーと会いにいくとミスは辞める予定だと言う。最後にぼくが絵をプレゼントすると喜び、結婚する予定だと言った。その日ミスとそれに似た姫や犬の自分の出てくる絵本の夢を見る。
優しいおばあちゃんは死んで、相変わらずお母さんは家で占いサロンをしていて、ヘガティーは銃撃戦の映画の真似をする。
屁が紅茶の匂いだからヘガティーって……笑
第二章 小6 ヘガティー
苺ジャムから苺をひけば
わたしのお父さんが実は昔別のお母さんと結婚していた。麦くんはむりやり女子と付き合わされた。麦くんの母が懇意のパワーストーン屋で火事。麦くんの母再婚。
別の母の娘、姉の調査。家に行くも「妹と思わないし、お父さんが死んでも何とも思わない」と言われる。実は父にも先方にも来るのは全部バレていた。
Posted by ブクログ
終盤ヘガティーの話の展開はドキドキする。小学4年生と6年生の子どもたちの憧れに起因する物話。どんどん口語のやりとりが中心に移り変わっていくので、主人公達の隣に佇んで会話を聞いているような気持ちになった。
Posted by ブクログ
"あこがれ"をテーマに書かれた中編のお話が2話。
小学生の麦くんとヘガティー。
2人は同級生の友達同士。
第1章は4年生の麦くん目線。
第2章は6年生のヘガティー目線のお話♬
年上のお姉さんとかに憧れるってなんか分かるな〜。
小学生から見た高校生や20代のお姉さんって、それはカッコいい"大人"だもんな。
小学生の2人がドキドキしながらも、勇気を出して行動にうつす姿にこっちまで胸がキュっとしてしまった。
2人にとってこの経験はすごく大きなものになるだろう。
小学生の頃の男女のこういう関係ってなんだか懐かしいな〜と思いながら読んだ。
とても清々しい気持ちになれる作品でした!
Posted by ブクログ
小学校6年生の麦くんとヘガティーが、内に抱えるモヤモヤに蹴りをつけて大人へと成長していくお話。
第一部は麦くんの語りで、スーパーの店員、ミス・アイスサンドイッチに対する彼自身と周囲の意見とのギャップに戸惑い、自分の感覚は間違っているのかと疑問に感じる様子が印象的。
第二部はヘガティーの語りで展開され、彼女はある日、自分に関する衝撃的な事実を知ってしまう。
川上未映子作品ならではの口語調で書かれているが、語り手の心情の奥底までこれでもかってくらいの勢いで文章化されていて、文章は難しくないのに内容は重め、というか、考えさせられる内容だった。周囲と自分の考えや感じ方に違和感を感じる麦くんとヘガティーの姿はとても美しいなと思った。
Posted by ブクログ
川上さんの本は、なんだか狂気的な気がする。
オーディブルの読み上げだと特に、なにか日記を読んでいるような、誰かに読ませるように書いていないような不思議な感じの文体。
途中までは、つまらなかったんだけど途中からの引き込まれる感じもすごい。
小学生が主人公だけど、脳内は小学生レベルではない感じ(笑)
血が繋がっていても、他人は他人。
なるほど。
たしかにそうなんだけど、たしかにかなりヘビーな内容だと思う。人間の関わり合いって。型にはまった考えとそうでないものがある。
Posted by ブクログ
ベガティーとかチグリスとか、外国ぽい名前とどこか翻訳ぽい文章がお洒落ぶってるようで最初受け付けられなかったけど、ラストが良かった。「きみは赤ちゃん」もそうだったけど、川上さんは親子関係のせつなさみたいなのを描くのがとても上手な方だと思う。ハードカバーの装丁がめちゃくちゃ素敵。