あらすじ
520人の命を奪った、史上最大の航空機事故から四半世紀。遺族たちは何を思い、どう生きてきたのか。頭にやきついて離れない凄惨な現場、日航との補償交渉、理不尽な事故調査、事故が風化してしまう恐怖……。遺族会である「8・12連絡会」の事務局長が、これまでの歩みを克明に振り返った感涙の記録。
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Posted by ブクログ
1985年8月12日に、日本航空123便が離陸12分後から32分間の迷走飛行の末、群馬県多野郡上野村の山中に墜落した。
その後、遺族は「8.12連絡会」を発足。
・遺族相互で励ましあい、助け合い、一緒に霊を慰めていくこと。
・事故原因の究明を促進させ、今後の公共輸送機関の安全性を追求していくこと。
・独自の主体性を守り、政治・宗教・組合等の団体に属しない。利益を追求することや会として補償交渉の窓口になることはしない。
事故直後の捜索から遺体確認の様子。事故調査委員会では蚊帳の外に置かれたり、刑事告訴も取り下げられ、「何があったのか」を遺族が知る機会がほとんどなかったこと。心無い報道などの二次被害に苦しんだこと。
遺族の心の叫びが詰まっている。
Posted by ブクログ
日航機墜落事故については本も、ネットでのまとめサイトも色々ありますが、遺族会(補償交渉団体ではなく)の心のケア、遺族の結びつき、安全への提言・運動と言うのが、程よい距離感と共感を感じさせる本でした。興味本位とも言える事故原因追求や陰謀説、悲惨な惨状(確かにそれはそうなのですが)を書きたてるのではない。等身大の哀しみや、その感情と共に生きることについて考えさせられました。