あらすじ
『資本論』を日本で初めて翻訳した言論人・高畠素之はマルクス主義の欠点に気づき国家社会主義へと走った。それはなぜか。キリスト教を棄て、性悪説を唱えた不世出の知性が現代に突きつける民主主義・資本主義の陥穽と、暴力装置としての国家の本質とは。高畠に強く影響を受けた著者が危機の時代に向けて放つ「警世の書」。
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Posted by ブクログ
ソ連が起こり、世界にマルクス主義が滲出しつつあった時代、日本では第二次の戦前にあたる時代に、国家社会主義者の道を選んだ高畠素之という思想家について書かれています。マルクス主義に向き合い、「資本論」を独自に翻訳し学び、その基礎のうえにファシズムに親和性も持つような考え方、しかしながら独自のものを築き上げられていきます。人間を性悪説的に考え、悪に対する悪として国家政治に関わろうという現実路線。単純に批判だけ行うものよりも実現性が高かった行動力。本人が長生きをしていれば大きな影響を与えていた可能性が見出されます。しかしながら著者はその思想を研究するなかで別の視座を持たれています。人間は性悪であり、それに対する国家という暴力(悪)を用いるなかには、「善」が欠如しています。人間外に存在する「善」についての視座を持たないことには、資本主義に対する冷静な見方とファイズムへの誘惑に対して抗うことが難しいこと。現代においてその危険(ヘイト等暴力へ向かう力の魅力)に対しての思考としての忍耐力の重要さを考えさせられました。