あらすじ
十一歳で敗戦をむかえ、名作ドラマの数々を世に届けた脚本家は現在の日本で何を見、何を思っているのか。エッセイの名手でもある山田太一がおくる、心に沁みる最新エッセイ集。語り下ろしインタビュー付。
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氏はやはりどこまでも「テレビ人」としての自覚を持っていたようで、だからこそ、大上段に構えることを嫌い、常に視線を低く市井の人々の声に耳を澄ませていたのだろうと、人柄が伺われるエッセイ集。後半の書評群も興味深かった。
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著者のエッセイは過去にも読んだことが
あるけれど、本作は、年齢を重ね、
老境に立ったからこその、
人生を、人を眺めるような
視線を感じた。
旅先のある微笑みが忘れられない。
幸せとは。
友への想い。
家族の思い出
など、
それぞれが、氏の作品の底辺に
流れる、煌めきや温かいもののような気がした。
書評もとても興味深く読んだ。
とりわけ心に残ったのは
「ぼくの大切な友だち」。
映画の話から、大切なともだちを
見つめる著者の視点へ。
思いがけない展開と、ストンと心に
落とす影の深さに、
あぁ、やはりすごいな、と。
感動の手前の心を揺れ、
深く心に残るシーンの描き方。
こうした物事の捉え方、
描き方は、やはり、山田太一しかできない。
Posted by ブクログ
山田太一(1934~2023年)氏は、東京・浅草生まれ、早大教育学部国語国文学科卒。大学卒業後、教師になるつもりだったが、就職難で教師の口がなかったため、松竹に入社。監督の木下惠介の下で助監督などを務めつつ、テレビドラマの脚本の仕事を始め、1965年、退社してフリーの脚本家になる。1976年からNHKが始めた脚本家シリーズの第1回目に選ばれ、山田太一シリーズとして発表された『男たちの旅路』は人気を博す。その後、TBSドラマ『岸辺のアルバム』(1977年)、NHK大河ドラマ『獅子の時代』(1980年)等を手掛け、1983年に始まったTBSドラマ『ふぞろいの林檎たち』シリーズは大ヒットし1997年まで続いた。2017年に脳出血で倒れた後、創作活動から離れ、2023年11月、死去。芸術選奨文部大臣賞、山本周五郎賞、菊池寛賞、日本アカデミー賞最優秀脚本賞等、多数の賞を受賞。
本書は、著者が主に70代に、「暮らしの手帖」、「文藝春秋」、「東京人」、「考える人」、「波」等の雑誌に書いたエッセイや書評をまとめ、2015年に出版、2018年に文庫化されたもの。
私は、山田氏より30歳ほど若く、『ふぞろいの林檎たち』の主人公達とほぼ同世代ながら、まさに山田氏がこのドラマを作ったきっかけでもあった「テレビ離れをした若者」で、後年になるまで山田氏を優れた脚本家として意識することはなかった。ところが、昨年山田氏が死去した後、追悼的な番組を度々目にし(近年は、年齢や在宅勤務のせいで、家でテレビを見ることが格段に増えた)、そこで語っている山田氏が、テレビでヒットを連発する人物に対する私のイメージとはかけ離れていて、物静かで、朴訥で、不器用そうな雰囲気を醸し、一方で、物事を的確に捉える観察眼を持っていると感じ、山田氏のことをもっと知りたいと思って本書手に取った。
読み終えて、初出がバラバラの文章を集めていることによる雑駁感は已むを得ないとしても、期待に違わず、山田氏でなければ書けないであろう切り口及び感性で、様々なことが率直に語られており、共感すること、納得すること、多数であった。
また、上記の通り大半が70代で書かれており、当然ながら、自らの「老いと死」を意識した視点からの文章は少なくなく、それらに対しては、無闇に抗ったり、恐れたりすることなく、自然体で向き合っている(向き合おうとしている)と感じられ、それが如何にも山田氏らしいと思った。(実際は、亡くなる前の数年は、プロデューサーとして付き合いのあった人とは会わなかったとも言われており、老いと死の難しさを改めて感じた)
稀代の脚本家・山田氏が、70代にして何を考え、感じていたのか、老いや死にどう向き合おうとしていたのか、が垣間見られるエッセイ集である。
(2024年2月了)
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以前、同じエッセイ・コレクションの『昭和を生きて来た』を読んでからの、お気に入り。
戦後の生活、思いというのか。
この人の中で切り離せない時間になっていることが、全体を通してよく分かった。
「数秒の笑顔」では、間違えて女子トイレに入りかけ、引き返した時に出会った二十代の女性の、人の好いうなずきと笑顔が、四十三年経っても忘れられずにいるというエピソードが語られる。
私が大学のとき、一方的に大好きだった女の子(恋ではないが)も、人の好い笑顔を振りまいていたなぁと思い出した。
誰かの人生の中で、笑顔を面影に出来ることって素敵だと思わされる。
「新春の願い」は、孫引きになるが小沢昭一さんのコメントから。
「昔は川中島で武田信玄と上杉謙信が戦った。つまり日本人同士が戦争をしていた。そういうことはいまの日本にはない。人間の世界から戦争はなくならないと訳知り顔にいう人がいるけれど、そんなことはない。日本人同士の戦争はなくなっているではないか。戦争はやめられる。希望をなくしてならない」
対称的に「教室の歓声」から。
「ある日、先生が、いま日本はやられているが、実はひそかに開発している強力な爆弾があると、黒板に図を描いてその原理を説明してくれた。あとで思えば、それは原子爆弾だったのだが、原理の方はよく分らないまま、とにかく、これが完成して、ワシントンに一発、ニューヨークに一発落とせば、二大都市の人たちの大半は死んで、アメリカはもう終り、日本の勝利になるという話だった。その時のこみ上げるような喜びを忘れられない。」
今発せば炎上ものの言葉だろうが、それが戦争の一面であり、皮肉である。
見えなくなっている枠組みを見る目を養うことを、考える。想像する。
「文章との出会い」は笑ってしまった。
「私は芥川龍之介の「羅生門」が欲しい、といった。なにかで、芥川という作家のそれまでのすべてをそそぎ込んだ名作だと読んでいたのである。店員はすぐうなずいて持って来てくれた。
私は点検して、これは「ちがう」といった。書面は確かに「羅生門」だが、ひらくと他にも短いものがあれこれ入っていて、「羅生門」という題名の小説にさいている分量は、ほんの数頁にすぎない。作家が、それまでのすべてをそそぎ込んだ作品が、こんなに短い筈がない」
店員さんは改めて探しにゆくのだが、なるほど、面白い根拠すぎる。
最後に寺田寅彦『柿の種』の書評「同じ家族はいない」では、皮膚病の父と小さな娘から、家族であることの理想美だけではない、けれどそこにある温もりを、短い文量でしっかり伝えてくれる。
お気に入りの部分だけでも、まだ幾つかある。