あらすじ
もし三度目の《世界革命》が起こりうるとして、今なおこの世界の枠組みを規定している資本制について、最も行きとどいた分析を提供しているこの書を踏まえる事なしにはあり得ないだろう。マルクスの原理的な思考の深度と強度、そして「資本制が圧しつぶしてゆくちいさな者たちへの視線」に寄り添いつつ語る、本格的入門書。
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Posted by ブクログ
哲学者熊野純彦さんによる資本論入門。本書の趣旨はご本人が終章で述べているように、「価値形態論を形而上学批判として読みなおすところからはじめて、資本の運動を時間と空間の再編過程ととらえるこころみを経て、科学批判としての資本論体系をきわだたせながら、利子生み資本と信用制度のうちに時間のフェティシズムを見さだめる」ことです。本論についてコメントするには自分は力不足ですので、興味深かったことを二点挙げたいと思います。
一つ目は、マルクスと環境問題についてです。熊野さんは、「資本制と自然とのあいだに、マルクスは最終的には両立不可能性を見てとっていた可能性」があると述べ、特に「自然そのものの内部に自然的に存在しない物質をつくり出す産業が存在し、不可視の未来へ負債のみを送りとどけるのを止めようとしない」ことを批判しています。これは前段の文章から3.11のフクシマの事故の後でも、稼働し続けている原子力発電を指しています。「わが亡きあとに洪水はきたれ!」はマルクスの喩えた景気循環の問題だけではなく、地球温暖化といった環境問題にも当てはまるということではないでしょうか。今や洪水はこの日本において比喩ではなくなっています。
二つ目は、交換と贈与に関してです。資本論には資本制に代わる生の形式をどのように構想するのかは描かれていません。資本論は「経済学批判」という副題が示すとおり、そのことを目指してはいません。熊野さんはマルクスが最晩年に書いた「ゴータ綱領批判」に注目しています。「各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!」という標語が出てきますが、これを掲げるための条件として、熊野さんは言います。「権利という発想そのものを乗り越えられなければなりません。なぜでしょうか。権利とは必ず排除を含む、力に対抗する力にほかならないからです。」「このより高次の局面では権利ではなく、必要もしくは欠落が原則となります。」最早ここでは原理となるのは交換ではなく、贈与が前提となるというのです。「私たちの生そのものが贈与に支えられて可能となっている以上、贈与の事実そのものについては、その存在を疑う余地がありません。贈与の原理はたほうまたその困難のゆえに、現在の思考の課題となっているところです。」
物質的な大量生産、大量消費を続けていくことは不可能であることがわかっている今、新たな仕組みを模索するにあたって、この言葉は重いと思いました。